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2008年11月の78件の記事

我が家、楽の釜盥

私のブログのタイトルは、「我(わ)が家(いえ)、楽(らく)の釜盥(かまだらい)」と読みます。これは、ことわざというより、俚諺(りげん)と言ったほうがよいかもしれません。ちなみに、俚諺とは、民間で言いならわされてきた、上品ではないことわざのことです。

『故事ことわざ辞典』(学研)によれば、「盥(たらい)を買えないので、釜(かま)で代用しているような貧しい暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はない」ということの意、とあります。我が家が楽しければ、貧乏でも我慢できるということだと解釈しています。

英語にも、East, west, home is best. (西へ行こうが東に行こうが、我が家が最高)ということわざがあるそうです。こちらは、ちっとも貧乏くさくないですね。

「盥」というのは、いまはあまり目にすることがなくなった代物ですが、洗面器より少し大きめのもので、昔は顔や手足を洗ったり、洗濯に使っていました。私の親はプラスチックのものを使っていましたが、祖父母は金属製のものを愛用していました。それ以前は、おそらく木製だったはずです。これは、「手洗い」という言葉がなまったものだそうです。漢字自体は、皿と水と右手と左手というヴィジュアルなイメージで構成されています。

現在、「盥回し」という悪い言葉でしか使われる機会がないのが残念です。盥は丸いものですから、この表現は、何人かで円座して洗濯をしている最中に、汚れが落ちないと、隣の人に、ちょっとやってみてよと回す様子から、生まれたのかもしれません。でも、盥ですから、汚い洗濯物は、最終的には、自分のところに戻ってくるのでしょう。自分が洗わないとやはり駄目なのです。

釜というのは、鍋よりも深い金属製の調理用具で、ご飯をたいたりお湯をわかしたりするためのものです。炊飯器の釜の親玉みたいなと思ってくだされば結構です。

釜をのせて、煮炊きする場所を竈(かまど)、もしくはへっついと言います。落語には「へっつい幽霊」という演目もありますね。

辞書で調べていたら、「竈の下でいとどが角力(すもう)とる」などということわざを発見しました。

これは、竈にいとど(カマドウマ)が住みつくような貧しさをいうそうです。これも俚諺でしょうね。

我が家には、ゴキブリ(油虫、御器噛り)やカマドウマは出てこないのですが、貧乏神はなかなか去ってくれません。来年こそは、ぜひとも貧乏生活を脱出したいと思います。

明日から12月ですねえ。師走ですから、本当に、教師も走ります。マラソン大会まであと1週間。がんばるぞ。

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ジョギング10キロ

長男が自転車に乗りたいというので、彼に伴走(というか荷物もち)をしてもらいながらジョギング。冬は、雪化粧をした堂々たる富士山が見られるのがうれしい。

以前から続いている現象だが、走り始めてすぐ右ひざに違和感を感じる。でも、走っているうちに完全に消えてしまうのだ。

そのほかには、特に悪いところは見つからなかった。足底筋膜炎も楽になった。

今日は比較的満足のいく走りができた。

朝食に、ソーセージをたくさん食べたせいだと思うが、久しぶりに右のわき腹が少し痛んだ。レース本番の朝は、できるだけ消化の良いものを食べることにしよう。

走行時間は57分32秒。前半5キロは29分。終始イーブンペースだった。

途中、きれいなお姉さまに遭遇。ランニングウェアに身を包み、長い髪を後ろでまとめて颯爽と走る姿は、なにゆえ美しく見えるのか。おそらく、普段着ならば、なんの印象にも残らない女性のはず。不思議なものだ。

私も近い将来、愛妻といっしょに走りたいと思う。自転車でもいい。ジョギングをしていると、そういうデートを楽しんでいるカップルに遭遇することが多い。いつも羨ましいという気持ちでいっぱいになる。

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Yes we can

私が話したいのは、Bob the Builder(「ボブとブーブーズ」)のことではない。無論、次期アメリカ大統領の話である。

オバマさんの勝利演説を聴いていると、アメリカ人にとっての金融危機は、地球を襲撃してくるエイリアンのような存在に思えてくるから面白い。

SF映画の中では、人類は地球征服を狙うエイリアンに立ち向かうために、ひとつ(a people)になって戦う。黒い人も白い人も黄色い人も、男も女も、貧乏人も金持ちも、ゲイもストレートも、障害者も健常者も、共和党員も民主党員も、共産主義者も資本主義者も関係がない。とてつもない危機の時には、考え方の些細な相違は重要ではなくなってしまう。けんかをしている場合ではなくなり、とりあえず近くにいる人と協力しなければならなくなるのである。

そう考えてみると、金融危機が起こったのは結果的に良かったのかもしれない。

彼の演説には、もうすでにエイリアンとの戦いにおける勝利を先取りしたかのように錯覚させるところがあって、気分が高揚してくる。何度聴いても、その感情は冷めない。

ところで、「オバマ・ベビー」というのをご存知か?

オバマさんが勝利したあと、全米ではお祭り騒ぎになった。その日一日だけだったのかもしれないが、アメリカ人は何年かぶりに楽天的な気分になれた。その晩、彼らは連帯感を味わった。そして、夫婦や恋人たちはベッドの中で一体感と恍惚感を存分に味わったのだ。

あと10か月後、アメリカは急に出生率が上昇するかもしれない。そのベビーブームをオバマベビーというのだそうだ。

危機というのは、人類が有する潜在能力を良い方向で顕在化させ、持てるエネルギーを最大限に賦活する。谷が深ければ深いほど、高揚感も強くなる。

オバマさんの演説を聞いていて感じるのは、この種の高揚感なのだろう。

彼をヒットラーにたとえる馬鹿がいる。オバマとヒトラーはともに「言葉の力」を最大限に利用するからだという。けれども、この二人の考え方には千里の径庭がある。一方は、人類を分断しようとし、一方は連帯させようとする。

英語では宗教をreligionというが、この言葉の語源は絆を作ること(to bond)と結びつけること(to bind)である。宗教というのは、人々を連帯させる強力な力を持っている。

その意味では、オバマさんはテレビ伝道師(TV evangelist)に似ている。

いままさに人類にとって必要なのは、この種の連帯感を与えてくれるリーダーである。

残念ながら、世界ではいまだにテロ攻撃が続いている。

人類を分断(divide)し、拘束(bind)する方の宗教がいまだに力を持っているからである。

オバマさんのもたらしてくれるような宗教的恍惚感が、人類の絆(bond)を強めることにつながることを、個人的には大いに期待したい。

Yes we can!

Barack Obama's Victory Speech - Election Results 2008 - The New York Times

The full text of Barack Obama's victory speech - Americas, World - The Independent

"Hello, Chicago.

"If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

"It's the answer told by lines that stretched around schools and churches in numbers this nation has never seen, by people who waited three hours and four hours, many for the first time in their lives, because they believed that this time must be different, that their voices could be that difference.

"It's the answer spoken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled, Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states.

"We are, and always will be, the United States of America.

"This victory alone is not the change we seek. It is only the chance for us to make that change. And that cannot happen if we go back to the way things were.

"It can't happen without you, without a new spirit of service, a new spirit of sacrifice.

"So let us summon a new spirit of patriotism, of responsibility, where each of us resolves to pitch in and work harder and look after not only ourselves but each other.

"To those - to those who would tear the world down: We will defeat you. To those who seek peace and security: We support you. And to all those who have wondered if America's beacon still burns as bright: Tonight we proved once more that the true strength of our nation comes not from the might of our arms or the scale of our wealth, but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity and unyielding hope.

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街場の教育論

内田樹、『街場の教育論』(ミシマ社、ISBN-13: 978-4903908106、2008/11/15)

いろいろ印象に残った話はあるが、ひとつだけ。

内田先生は、ゼミ員の採用面接のとき、たった5秒で判断するという。

彼の判断基準は、その場の雰囲気を良くしてくれる人かどうか、ゼミのパフォーマンスを高めてくれる存在かどうか、というものだ。

要は、協調性の問題である。

それは受験で判断される学力とはまったく違う評価基準である。就職の面接でも同じ基準が採用されている。

そういえば、私もいまの妻と結婚を決めたとき、この人となら一緒に楽しく過ごせるだろうと感じて、会ってすぐ判断した。5秒以上はかかったと思うが、数分以内だったと記憶している。

確かに、自分の経験に照らし合わせてみても、一瞬で相手を見抜いてしまうことは、よくある。第一印象とその後の印象はズレないことのほうが多い。

人間にも、まだ、そういう鋭い直感を駆使する動物的な能力が残っているのかもしれない。

教育の現場は、集中力を高め、限界を打ち破り、直感を研ぎ澄まし、協調性を養う場であるべきというのが、内田先生の持論である。本来、俗世間の定見とは別の世界を垣間見させてくれる場であるべき学校に、ビジネスマインデッドな競争原理を持ち込んだことで、学校は疲弊してしまった。

残念ながら、子供たちをだめにしたのは、現場の教員というよりも、自分たちの手を汚さずに、外部であれやこれやと無駄に処方箋を出してくる企業家や役人やメディア人のほうであると内田先生は主張する。いまの子供たちは劣化していると嘆く大人たちが、子供たちを劣化させたことに気づき、現場を信用し、現場に任せるところから始めないと何も変わらない、というのだ。確かに、信用されなければ、モーティヴェーションは高まらない。

本来、学校という場は、世俗の価値観や親からの虐待や、企業家による搾取から子供たちを守るアジールであった。日本とアメリカ以外の国の多くはいまだにその傾向が圧倒的に強く、PTAすらない。一方、近頃では学校が聖域のままであることを許さない日本人の圧倒的多数になってきている。これは由々しき問題である。

学校は、世俗的な価値観に対する防波堤の役割になるべき場所である。しかし、世俗の人間たちは寄ってたかってその環境をぶち壊した。

彼らの主張はこうだ。

世の中は優勝劣敗、弱肉強食の過酷な競争社会なのであるから、他者を蹴落とすことだけに持てるリソースを注ぎ込まなければ、社会人としてサバイヴできない価値観を、子供のうちに持たなければならないというものだ。

そういう世俗の価値観とは対極の価値観に触れさせるべき環境である学校に、たったひとつの価値観にしか触れさせず、葛藤を霧消させてしまうことこそが、子供たちの成熟を促すことならないのである。

子供たちの劣化の根本的原因は、それを理解しないビジネス・マインデッドな人間たちの、自己を疑わない未成熟さにあるのである。それゆえ、彼らがどんな処方箋を出してこようとも、事態を悪化させるだけであり、改善には一切貢献することがない。

教育というのは、内田先生の言葉を借りれば、惰性の力が強い世界である。状況が変わるには相当な時間がかかってしまう。だから、現場の人間がこつこつとごみ拾いをしていくうちに、いつの間にか変わっていることを期待するしかないのである。

学校という場は、ビジネスの世界と異なり、レスポンスが極端に遅く、かつまた、予想とは大きく違った形で反応が返ってくるところである。子供たちは、自分が学ぼうと思っていることは学ばず、学ぶことになると思いもしなかったものを学んでしまう。

教育はカタログショッピングとはまったく違う。お金を出せば、それに相当する価値の情報が与えられ、思ったとおりの商品(つまり資格や学位)が受け取れるわけではない。学校というのは、ボタンを押しても、何が出てくるのかわからないような自動販売機に似ていると言っても良い。

それがあるからこそ、子供たちはわざわざ毎日足を運んでしまうのだ。

お金を出せば何が手に入るのか、手に取るようにわかってしまうものは、好奇心をそそられることはない。それは学ぶ意欲を喚起させることはない。

教育にビジネスを持ち込むのは、教育の劣化を促進させるだけである。

教育とは協調性のある人間を育てることであるという理念だけは、教育者としては放棄してはならないと思う。

この考え方は、私が習っている少林寺拳法の理念と、恐ろしいほどにぴたりと一致している。

 

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ジョギング6キロ

帰宅後、寒くならないうちに、走りに出かけた。

今日は息が上がらないように、キロ6分ペースでゆっくり走った。

走行時間は35分36秒。

レースが近いせいか、たくさんのジョガーとすれ違った。

夫に自転車で伴走させ、大きな胸を揺らしながら走る女性のランナーもいた。

ドキドキして、息が上がりそうになった(笑)

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マラソン大会

昨日、第27回川口マラソン大会の参加通知書が届いた。出場種目はハーフ男子一般の部。TシャツのサイズはM。それにナンバーカードの番号が書いてある。

そのはがきは、誓約書にもなっていて、「私は大会開催中に発生した事故については自己の責任とし、主催者に対して一切迷惑をかけないことを誓います」と記載されており、その下に署名し、捺印しないと、出場が認められない。

レースの出場は初めてなので、私はそんな事情を知らなかった。なんともいやな気分になった。

「自己責任」というのは常識の範囲である。石や段差で転んで怪我をしても、大会を主催した人の責任であると言って、裁判所に訴え出るるようなことをするわけがない。道路で事故を起こしても、道路の管理者のせいにする人がいないのと同じである。

そういうわかりきったことをいちいち誓わないとレースに参加できないというのは、きわめて遺憾なことである。法律家が自分たちの仕事を増やすために、庶民に無駄な裁判を起こさせるからいけないのだ。

受付時間は7時から8時15分。開会式は8時20分から。ハーフのスタート時間は9時35分。

待ち時間が長そうだ。寒かったらどうしよう。

「体調の悪い方は勇気ある辞退を望みます」などという、魅惑的な言葉も書いてある。

でも、足がだめになっても、がんばるつもり。自分のことを、走る機械だと思って、感情と感覚を殺して走り続ければ、いつしかゴールにたどり着けるはずだ。

今日も筋肉痛がある。ふくらはぎと、大腿四頭筋の上のほう、足の付け根の辺りにこわばりがある。

午前中、ずっと雨が降っているので、ジョギングにはいけない。明日仕事から帰ってきたら、走りに行くことにする。

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宝くじで3億円が当たったら

宝くじで3億円が当たったら、車を買い替え、ポルシェかフェラーリに乗りたい。高級スポーツカーで100円ショップに乗りつけ、アルカリ電池ではなく安価なマンガン電池を買うのだ。もったいないし。

それから、いまだに10年前(いまより10キロ体重が多かった!)に買ったダブダブのスーツを着ているので、それを捨てて、オーダーメードで何着か新調したい。ネクタイとベルトもセットで、しめて20万円以内で。

それでも、だいぶあまっているので、100万円くらいで、どこかの企業の株でも買うか。ディフェンシヴ・ストックの製薬会社がいいかな。そろそろ底値でしょうし。

家族みんなで海外旅行にも行きたい。ハワイあたりで十分だけど。新婚旅行で泊まったスイートルームにもう一度泊まりたいな。お土産は、200グラム2000円くらいのコナコーヒー。超贅沢。

松方弘樹さんのようにカジキのトローリングもやってみたい。300キロのカジキと戦うのだ。その大きさのカジキが195万円で売れるのなら、完全に元が取れるぜ。

真面目な話、近眼なので、レーシック手術だけは受けておきたい。これは30万円で済む。そうすればサングラスがかけられる。太陽の位置が低いときにクルマを運転する場合や、自転車に乗ったり、ジョギングをしているときにけっこうまぶしいので、ずっとサングラスがかけたかったのだ。

ここまででせいぜい2000万円の出費にしかならない。持ち家はすでにあるから、別にいらないし。

でも本当のことを言うと、クルマなんかにまったく興味はないし、スーツも、株も、海外旅行も、トローリングもどうでもいい。

万が一宝くじに当選したとしても、社会に復帰できなくなってしまったら侘しいから、仕事はぜったいにやめないだろうし、当選金の95%は、生活費と子供たちの教育費と家の修繕費にとっておいて大事に使うはず。

これが一番の希望だが、妻にお願いして、もう一人子供を生んでもらいたい。子供はたくさんいたほうが家が明るくなるからね。


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裁判員制度

明日、自分が裁判員の候補者になっているかどうかがわかる。

私は裁判員にはなりたくない。

人を裁くというのは、魚を捌くのとは次元が違うからである。

私に人を裁く権利があるのか、どうして国家によって人を裁く義務が一般庶民に課せられなければならないのか、という点をまだ飲み込めていない。

私は人にものを教える仕事に就いている。

いわば、分別を教える仕事である。

「分別」とはごみの分別ほど簡単なことではない。辞書には、「理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること」とある。

物事の善悪というのは、アルミ缶とスチール缶を分けるときのようには簡単には決められないのである。まさに「理性」が必要なのだ。

教員という職業は、理性で物事の道理をわきまえることを教える仕事であって、善悪を二元論で裁断する職業とは、大きくかけ離れている。法律家とは、対極にある世界観をもっているのが教師である。

私が警察官だったなら、万引きをした高校生を取り押さえ、少年院にぶち込むかもしれない。それで飯を食っているのだから、そんなふうに割り切れる。

しかし、教師の役目というのは、お前の犯罪行為に対する判断は警察と裁判所にお任せするが、こういうことをすると、自分の一生も台無しになるし、家族にも、もちろん被害者にも迷惑がかかる。そういう他人の気持ちをきちんと考えられなければ、人間とはいえないんだ、おまえももうすぐ大人の仲間入りをするんだから、そろそろ道理をわきまえろ、と説教することである。それが飯の種なのだ。

そういうものの考え方をする人間にとっては、ある犯罪行為に対して、刑務所に何年服役すべきであるなどと軽々しく決めることはできない。

裁判制度をありのままに受け入れ、マニュアルどおりに、法律に照らし合わせて、判決を下せというのなら、日本人お得意のロボットでも作って、そいつに任せておけばいいだろう。

私の立ち位置は、裁判という制度そのものに疑問を呈する側にある。

私がもし選ばれたとしたら、裁判官に向かって、なぜ法律の素養のない一般の人間が人を裁く権利をもつことを許されるのか、なぜ一介の教員である私なんかに許されてよいのか、どうして国家は臣民に人を裁く権利を付託してよいのか、ということを論理的、理性的に説明してほしいと訴えたい。

それらに対して、納得のいく説明が得られなければ、個人的な判決はつねに保留するつもりである。「イエス」か「ノー」ではなく、「私には何もわからない」と言い続けたい。

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気分害されたらお詫びする

麻生首相は「気分を害されたらお詫びする」というパターンの謝罪を繰り返している。

この条件法は、非常に気になる。

気分を害されたらお詫びするというのなら、気分を害されなかったらお詫びしないと言いたいのだろうか。

それを言うなら、気分を害された方にはお詫びしたいというべきだろう。

これは論理的にものを考える人が使う表現ではない。これでは、結局何も言っていないことに等しい。謝罪の言葉としての価値もないからである。

医療費に関しては、おいらは毎朝ウォーキングに精を出して健康を保つ努力をしているのに、自分の生活習慣の悪さのせいでヨボヨボになった老人に、なにゆえわざわざ俺たちの金をつぎ込まなければいけないんだ、なんてことを真顔でおっしゃられたそうである。

医療保険制度というのは、国民全体で自分たち自身を支えるという思想に基づく制度であり、税金もそれと同種の考えに基づいている。日本国民は、自分たちの稼ぎの中から少しずつ出し合って、みんなで助け合っていくということに同意している。民主主義の国家とは、そういうものである。その国家の最高指導者であるはずの麻生首相の発言は、その制度を完全に否定した。

軽口といえども、あまりにアナーキーな発言だ。

一国の首相としては、口が裂けても言ってはいけない発言である。彼は、国家を否定したのだ。それがお分かりではないらしい。お詫びで済む問題ではないと思う。

下々のものは自己責任でなんとかしろ、不健康な者は自腹を切ってなんとかしろ、国家の最高指導者たる俺はお前らの面倒を見たくないというのなら、なぜ阿呆太郎氏のような総理大臣のために、国民は血税を使わなければならないんだ、俺は税金を払わないぞ、という国民の側の発言が許されることになる。

それに麻生さんは、どう答えるのだろうか。

いずれにせよ、麻生さんの発言は、論理的整合性がまったくないのである。つまり馬鹿なのだ。

どこかで、何かに関して、麻生さんは「それとこれとは矛盾していない」という発言もされていた。なぜ矛盾していないと言えるのかと、首相ならなおさら、論理的に説明する必要がある。しかし、彼にはその能力がない。

先日、民放のニュース番組で、「アホータロウ」と一部の自民党議員に呼ばれているという報道があった。NHKでは、だいぶ前に、「なんとなく」というアホー節をノーカットで放送するようになった。

麻生さんは、マスコミに相当に馬鹿にされている。

あんなに笑いものにされているのに、よく耐えているなあと感心してしまう。テレビも見ないし、新聞も読まないから、気がついていないのかもしれない。おまけに空気も漢字も読めない。最近では、KYとは、「経済が読めない」、「解散もやれない」という意味でも使われるそうだ。

麻生さんには本当にいつまでもがんばってほしい(笑)

(笑)、ここが大事なところなんですよ、麻生さん!

気分を害されたらお詫びします。気分を害されなかったらお詫びなんて絶対にしませんけどね。

ところで、詫びるというのは、「侘びる」と同語源であるそうだ。「侘びる」とは「世俗を離れて静かに暮らす」「失意の生活を送る。貧しく暮らす」という意味もある。

そんなに侘びたければ、どうぞ、そうしてください。それが国民全員の願いです。

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白川静さんに学ぶ漢字は怖い

小山鉄郎、『白川静さんに学ぶ漢字は怖い』(共同通信社、  ISBN-13: 978-4764105850、2007/12/27)

荒川静香さんではなく、故白川静さんによれば、歎、謹、僅、勤、嘆、艱、饉に共通する旁(つくり)である「菫」は、焚殺される巫祝(ふしゅく)を表しているという。

巫祝とは神に仕える人のことである。飢饉のときに、巫祝、雨乞いのために、神への哀告の祝詞を入れた器である「サイ」(口)を頭上に載せ、前に手を交叉して縛られ、火あぶりにされる。「菫」は、その形を模す象形文字なのだそうだ。

「歎」の「欠」の部分は、口を開けて立つ人を横から見た形で、巫祝が雨が降るように嘆き訴える姿になっている。

謹賀新年の「謹」は、おめでたい意味のように思えかもしれないが、実は行き倒れの人を葬り、その呪霊を封じ込めるために祈ることを指している。それゆえ、「つつしむ」ことを表すようになった。

飢饉の「饉」は「食」と「菫」を合成したものであるから、もちろん凶作のことである。

「僅」は、穀類の実りが非常に少ないという意味。もしかしたら、この本には述べられていなかったが、この「人」はうなだれているのかもしれない。

勤労の「勤」は「菫」と「力」(耒 [すき]を表す)を合わせたものなので、農耕に勤労することを意味する。白川静氏は、飢饉を救うために、懸命に労働することだとろうと考えていたそうだ。

みな恐ろしい漢字である。ちなみに漢字の「漢」も同じ旁を持っているが、これとは関係がないそうだ。

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本日の稽古

今晩はパートナーのために2級の昇級試験科目の復習をした。次回は1級科目の復習になるはず。そうではないと、わたしのほうが昇級できなくなってしまう。

燕返と内受蹴は連反攻までじっくり練習した。

十字抜は、抜くときに、腰を回すことと、ひじを上げすぎないのがポイント。

十字小手は寄足をしながら踏み込むと効く。

半転身蹴は前足を軸に回転運動で確実に蹴りをかわしながら、順の手で打落払受をし、順蹴で返す。

十字受蹴はお互いが一字構えで、十字受をして蹴り返す。

切返抜は相手に外手首を握らせて、鈎手をつくるときに、相手の手首の内側に自分の手をもってきて、それからくるりと相手の手首の上に乗せるように返す。

切小手も寄足をしながら、前に出て、後足を引かないこと。

下受順蹴は、攻者は足を差し替えずにそのまま順突、守者は八相構えから打ち落とすように下受をして、前足で蹴り返す。順順と覚えればよい。

突天一は、上段の二連攻撃を想定して、右で上受し、右で内受をする。横に転身すると、相手に蹴りを入れやすくなる。最初の上段突は速すぎて受けられないので、受けずに、横にかわすこと。2回目の攻撃を、腰を返してしっかり受ける。

一級科目の組演武は、技の順番を覚えておかねばならないそうだ。

内受突(連反攻)、外受突(連反攻)、袖抜、袖捕、屈身突(連反攻)、外押受突(連反攻)、片胸落、襟十字、腕巻、千鳥返(連反攻)の順番だ。比較的覚えやすい。

しかし、外押受突と腕巻はまったく教わっていないし、連反攻のついているものも練習していない。

重要なのは、技がきちんと極まるかどうかではなく、技の名前と形を覚えているかどうかだと道院長先生がおっしゃっていた。わたしにもそのくらいはできる。だから、昇級試験に落とされることはまずないだろう。

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ジョギング10キロ

右ひざのあたりに若干のこわばりがあったので、最初は6分ペースを意識していたが、2キロほど走った時点で完全に消えた。

5キロの折り返し地点で29分弱。

最終的に54分20秒で帰ってきたので、後半の5キロは25分。キロ5分ペースだった。

だんだん調子が戻ってきた。すねの調子もいい。

インナーソールをもともとシューズについていたものに付け替えた。いままでは別に買ったクッション性の高いものに交換していたのだが、どうもくたびれてきたようで、いまひとつしっくりこなかった。予想以上に具合がいいので、本番はこのソールで走るつもり。

今朝は調子が良かったので、走っている最中にちょっと気が緩んで、「今朝は15キロくらい行けそうかな」なんて思ってしまった。でも、あまり無理しないようにして、体力を温存しておくべきだと思い直し、後半思いっきり走ってみたわけだ。

10キロが楽に走れるようになれば、フルマラソンも走れることを証明した筑波大学の研究者がいる。ハーフならその半分だから、楽勝だ。

今日のところはそんなふうに自己暗示をかけておこう。

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メディア

メディア(media)は、中間(medium)の複数形である。

つまり、メディアの機能は情報の発信者と受信者の間をつなぐことである。

ゆえに媒介項であるメディアの本来の役割は、私見を交えずに事実をありのままに報道することである。

メディアというのは、複数の媒介項という意味であるから、その中にはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などがある。

最近、特にひどいのがテレビである。

テレビは、いつからか視聴率を競い合い、面白おかしく、扇情的に報道するようになってしまった。

ニュースを報道することしか期待されていなかったテレビが、お笑い番組まで放送するようになった。報道自体がお笑い番組になってしまった。

こうして本筋から離れていくにつれて、メディアの信頼性が大きく低下していった。

いまメディアを信頼している人はほとんどいないかもしれない。

いまこの瞬間にも、あるひとつに事件に関して、あれこれワイドショーやニュース番組では面白おかしく報道している。しかし、その内容は事実なのか真実なのか、それとも憶測なのか偏見なのかさっぱりわからない。

メディアが重きを置いているのは、その報道が面白いかどうかだけである。番組の視聴後に印象に残るのは、面白かったかどうかでしかない。

昨日、大阪府の橋下知事の過激な教師批判を取り上げた番組の中で、テリー伊藤氏は、「橋下知事の発言はやっぱり面白くないですか?」といって彼を高く評価していた。残念ながらテレビ的に面白いかどうかしか、テリー氏の頭にはないのだろう。私には、彼の発言はメディアそのものを代表していると思える。

メディアの第一義的な役目はあくまでも事実を伝えることである。第二義的な役目はそれを知った視聴者の考え方や生活までをも変えることである。「面白さ」の追求は、第三義的な役目のひとつに含めてもよいのかもしれない。

その第三義的な役目にしか重きを置かないテレビの報道に、いちいち耳を傾けるだけの価値があるのかと問うたら、10人中1人もイエスと答える人はいないだろう。

いまやテレビを視聴する時間は、無駄な時間と同義である。時間とお金と電気の無駄遣い。テレビというのは人間の生活にとって無駄なものの代名詞になりつつある。まさにテレビを見る行為は、エコ・フレンドリーな生活から一番遠いといってもよい。

100メートルくらい後ろに下がって、遠くからテレビを見てみる。すると、低俗なテレビ番組をかぶりつくように見ている自分たちの哀れな姿が浮かび上がってこないだろうか。

自分たちが、きわめて非生産的で、家畜的で、従属的で、醜い生き物に見えてきた人は、まだ将来があるかもしれない。

そうではなかった人は、残念だが、死刑宣告を下すしかない。

いまメディアは、情報の発信者と受信者をつなぐのではなく、切り離そうとしているように思える。人々をひとつにまとめるのではなく、バラバラに分断する役目を担いつつあるのかもしれない。

われわれは、それが引き起こしうる危険性を自覚しておくべきではないだろうか。

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ジョギング6キロ

雨上がりで、光がまぶしい。冷たい風が強く吹き付けている。走るには、あまりよい状況ではなかったが、いつものコースを6キロ走ってきた。

前半キロ6分ペースで18分、後半キロ5分で、15分。トータルで32分50秒。

前半、右ひざに違和感があったので慎重に走ったが、体が温まるにつれて調子が出てきた。後半は丹田と肩胛骨と大殿筋を意識して大きく走ってみた。

息は上がったが、久しぶりに気持ちよく走ることができた。

「爽快」の一言。日ごろのストレスもぶっ飛んだ。

本番までの11日間、短い距離をコツコツとつみかさねていくだけにする。上限は10キロ。足に負担をかけすぎると、本番にひびくから。それが一番怖い。

それからダイエット。食事に気遣って、少々体脂肪を絞らないといけない。胴回りが豊かになりつつあり、若干身体が重たい気がする。

脚に負担をかけないためにも、体重を増やさないことが大事。

それから身体を冷やさないこと。また風邪を引いてしまったら、レースを棄権するしかなくなる。

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競争と教育

大阪の知事さんが、教育に競争を取り込めとうるさい。

まったく底の浅い教育論議である。

競争の是非を問うこと自体、「教育」の本筋から離れていることに彼らは気づいていないだろうか。

教育において、競争はあきらかに傍流である。教育者の一人として、競争を否定するのは間違っているとする知事さんの考えに私も与するのだが、ただ、競争と教育をセットで考えるという前提そのものが教育的ではないということだけは言っておきたい。

教育の本来の目的とは何か。

生徒に誰よりも早く、大量に覚えさせることはもちろん必要なのかもしれないが、それは彼らに知識を覚えさせるための方便にすぎない。

教育の目的というのは、既知の知識や、まだ自分の知らない知識を活用し、平和な社会を築いていくことではないのか。

競争を過剰に重視すると、他者を蹴落とすことはよいことであるという考えを押し勧めることになる可能性がある。そうなれば、他人をだまし、金品を奪うことに等しいビジネスで、私利私欲を満たすことを肯定する考えにつながってしまう。

法律家や経営者にとっては、相手をこき下ろし、叩きつぶすことが善であるのは、自明の理なのだろうが、その考えは教育にはなじまない。

教育で求められるのは、相手を蹴落とすのではなく、仲間とともに自分を高めていくことである。それは宗教(Religion)に近い。

Religionの語源は、bondやbindである。つまり、人々を結びつけること。しかし、時として人々を縛り付けることにもなってしまう。裏腹なのである。それは教育も同じこと。

教育と競争について考えるのなら、正と負の両面を見て、両者のバランスをとるという姿勢を貫かなければならない。

橋元知事がやっていることは、デベートである。これは正と負のバランスをとるのではなく、相手をただひたすら叩き潰すことだけに主眼が置かれている。

いま教育を論じるときにするべきなのは、「ディスカッション」のほうである。さまざまな意見を腑分け(dis)して、叩きつぶし(cuss)、ひとつの考えにまとめていく。

どっちが良いとか悪いとかという法律家の大好きなデベートは、世の中を良くするものではないし、本来の教育の目的からますますかけ離れていくだけである。

それがお分かりではないのは、同世代の人間として、至極残念である。

自分がはめられている枠の外側へ飛び出すこと、それを経験すること、これも教育の大きな目的のひとつである。

それがいままでできてこなかった人に、教育を語ってほしくない。

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夢だから、わけがわからない

今朝は5時半に目が覚めた。昔の恋人の夢を見たせいで、頭が冴えてしまったのだ。

もう13年も前に別れた女性だが、一度ならず結婚を考えた相手。そう簡単に忘れられないのかもしれない。もう数え切れないほど、夢に出てくる。

先方は、とっくの昔に忘れているのだろうが、男は馬鹿だし、か弱い存在だから、いつまでもそんなことを引きずってしまう。

具体的な夢の内容はこうだ。久しぶりにデートの約束をして、電車で出かけた我々は電車に乗り込んだ時点ですでに別の入り口を選んでしまう。私が入った入り口には、知り合いがいて、その女性が私に近づいて話しかけてくるのだ。実は、私はその女性のことを知らないが、私を「先生」と呼び、親しげに体を寄せてくる。私はそのふくよかでやわらかい体を心の中で求めてしまう。

あっという間に乗換駅に到着する。あわてて私は電車から降りるのだが、デートの相手とはぐれてしまう。一緒に降りてくれなかったらしい。

どういうわけか、あきらめた私はそのままひとりで目的地まで行き、海岸の小さな町を散策する。出店のおばさんに極上の干物を焼いたものがあと20分で焼きあがるから待っていてよと言われ、心を動かされる。私の周りには幼馴染たちが取り巻いていて、いつの間にか彼らと私は会話している。夢はそこで終わり。

夢だから、わけがわからない。

いまの妻と出会っていなければ、わが子たちとも出会うこともなかった。人生が大きく変わっていたはず。しかし、そんなことをいまさら求めてはいないし、いまの生活で個人的には満足している。金銭的余裕はまったくないが、いま死んでもいいとすら思えるほどだ。

でも、いつまでもそんな夢をみたり、こんなふうにそれを書き留めて心の中を整理しなければいけないのだから、本当は心から満足してはいないのかもしれない。

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声がつぶれそう

ひさしぶりに仕事に出て大きな声を出したので、声がつぶれそう。
まだ風邪が治っていないみたい。

そうそう、今日は勤労感謝の日の振替休日であるはずなんだけど、授業があったのだ。2週間前も、祝日だったはずなのに、授業があった。まあ、要するに、ハッピーマンデーというのは、大学には何の関係もないのである。

そろそろあんなくだらない制度はやめてほしい。学校には迷惑なだけ。特に大学のように曜日によって授業が決まっていて、簡単に動かせないようなところは、ものすごく迷惑。

それにハッピーマンデーの制度で、景気がよくなったという話は、どこからも聞こえてこない。そのこと自体が、この制度には何の経済効果もないということを証明している。

存続させる意味がない。休日というのは適当にバラけているから、体を休めることができるのであって、まとめて3日も連続で休むと余計にくたびれるものだ。

来年、政権が確実にかわるだろうから、そうなったらハッピーマンデーの制度を真っ先に廃止してほしいぞなもし。

勤労感謝の日という名称だって、きちんと新嘗祭という元の名称に戻したほうがよいかもしれないよ。

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両親が遊びに来た

パソコンの調子が悪くなってきたので、OSの再インストールをした。でも、体感スピードはまったく向上しない。時間は節約できず、ただ失われただけ。

私の両親が遊びに来た。会うのは半年振り。

家にいても暇なので、ショッピングモールに行った。ランチはラーメン。明日は仕事だというのに、餃子を食べてしまった。

息子たちは、まだ早いけれどもクリスマスプレゼントを買ってもらった。長男はたまごっち(液晶がカラーになっている!)、次男はゴーオンジャーのジグソーパズル(65ピースもある!)。

夜は、がってん寿司。私は6皿だったのに、長男は9皿も食べやがった!ブリがうまかった。

もらうばかりでは悪いので、10年前に購入して今は使っていないペンタックスの一眼レフカメラを父親にプレゼントした。渡そうとしてテーブルの上においておいたら、私がテーブルクロスをひっぱってしまって、落としてレンズのフィルターをバリバリに割ってしまった。もしかしたら、光軸がずれてしまったかもしれない。そのときは、棚の飾り物にでもしてもらうしかない。

母親によると、田舎はさびれてゴーストタウンと化してきているそうだ。今日、ショッピングモールや回転寿司の混雑振りをみて、不景気が嘘みたいに思えると言っていたのが印象的だった。たしかに母親の言うとおりで、都会の住人には、不景気の風はまだ吹いていないのかもしれない。

母に物価は上がっているのを実感しているかどうかとも聞かれた。実際は、物価が上がったのは一瞬で、実はどんどん物が安くなってきている気がする。輸入品を扱うお店に母を連れて行ったのだが、円高還元セールで、ひところよりいろんなものが安くなった。

近頃、母はオリーブオイルに凝っているらしく、小豆島から2000円もするものを取り寄せているそうだ。でも同じ量で、しかもはるかに質のよいイタリア製が200円で買えるのに、まったくアホらしいと言ったら、母はもうそんなバカげたことはやめると言っていた。高齢者は、NHKばかり見ているから、国産信仰に洗脳されて、おかしくなっているみたいだ。困ったものだなあ、ほんと。


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白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい

小山鉄郎、『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(白川静監修、文字文化研究所編、共同通信社、ISBN-13: 978-4764105782、2006/12/18)

「おもふ」は、顔(おも)にうれしいことや悲しいことがふっと出ることをあらわす動詞。そこに「思」「想」「念」などの漢字が入ってきて、意味に多様性が生まれ、現在の日本語に育っていった。

この本は、「おもふ」のような和語についての話ではなく、漢字の成り立ちを「甲骨文字」と「金文」を使って解明した白川静さんの業績について、小学生(高学年かな?)にもわかるように解説してくれた本である。

「相」というのは、「木」を「目」で見るということである。だから、樹木の盛んな生命力が、それを見るものの生命力を助けて盛んにするという字である。樹木と人間の生命力の相互関係から、「おたがいに、あい」という意味になるのだという。

「取」という字のつくりである「又」は「手」であり、戦場で敵を殺して、耳を切り取ることをあらわしていた。

「取」を含む「最」という字は、切り取った耳をたくさん袋に入れる様子を示しており、その数がもっとも多かった者、つまり一番功績のあった者を「最」と呼んだ。

「止」という字は、足を示している。「正」は「一」に「止」をつけた字である。「一」は、古代文字では「□」の形で、四方を壁で囲った城をあらわしていた。「正」という字は、城に向かって「止」(あし)を進める、つまり進軍して相手を征服するという意味である。相手を力で征服し、こちらの思うように「ただす」ことが、本来の意味であった。その「正」がもっぱら「ただしい」という意味で使われるようになったため、区別のために「征」の字ができたわけである。

「征」には「税金を取り立てる」という意味がある。これは征服した土地から徴税することからきた。その徴税を管理することが「政」(まつりごと)である。

「政」の旁(つくり)の部分は、手に鞭を持って相手を叩くという形になっている。つまり、敵を力で倒し、鞭を使って徴税するのが「政」であるということである。

「正義」というのも、もともとの意味は、征服した敵を思うように「ただすための支配者の道理」ということであった。

「武」というのは、少林寺拳法の開祖宗道臣は「戈(ほこ)」を「止」めるものであると解しているが、それはでたらめな話であって、本来は「戈」を持って「止」(あし)で前進することを表した文字である。

「臣」は目に関連した文字である。古代中国では神に仕える人は、瞳にわざと傷をつけて視力を失ったものがいた。そうやって神に仕えるのが「おみ、けらい」だった。

「民」は、瞳を突き刺して視力を失わせるということをいう字である。そうやって、視力を失った人を「民」といい、神への奉仕者とされた。「臣」とあわせて、「臣民」という。後に「民」は「たみ、ひと」の意味になった。

「眠」は、「民」(視力を失った人)のは、眠っているような状態に見えるので、「ねむる、ねむい」という意味になったという。

こうしてみてくると、漢字は、戦争、神、呪術などに関わる文字が多いことがわかる。白川文字学は、漢字を媒介して、アジア全体に広がる思想、哲学を映し出すinspiringでexcitingな研究である。

もちろん、英語にもこのような語源があり、わたくしはいつも学生に語源を説明している。語源を知ると単語を忘れることがなくなる。

「詰め込み教育」で育ってきた人は、思い出す手がかりを失うと、知識がゼロになってしまうような勉強法しかできない。勉強というのは、忘れた場合に思い出す手がかりをたくさん仕込んでおくことである。

そういうことを知っておくためには、できるだけ早期にこういう知識を子どもたちに注入しておくのは大切なことだと思う。

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勉強でもスポーツでも同じだが、「覚える」という作業がたくさんある。

ただ覚えるだけではなく、覚えておいて忘れない、必要なときにすぐに取り出せるということが必要になる。

それがなかなかできない。

テストでも、その最中には思い出せず、テスト終了後に、急に思い出すということもある。私も子どもの頃はそういうことがよくあった。

スポーツの場合、言葉だけではなく、体に記憶させなければならない。左脳で考える前に、右脳が瞬間的に判断しているようになるまで反復訓練をする必要がある。

試験勉強もスポーツもいずれの場合でも、覚えて、忘れて、覚えなおして、また忘れて、覚えなおすという「繰り返し」が必要なのだ。

記憶が定着するまでには、相当な時間がかかる。

忘れて、覚えなおす過程まで行かない短期集中、一夜漬けでは、覚えたものはほとんど使い物にはならない。

実際に使えるようにするためには、時間が必要なのである。

フランスでは公立学校の授業日数を今年から週4日に削減したそうだ。すばらしい。

日本では、一度は捨て去った「詰め込み教育」を復古させているが、このスタイルの教育では、単純に事実を覚えるだけの作業に陥ってしまう可能性が高い。これは秀才を育てるのには向いているかもしれないが、残念ながら天才を育てる教育には向かない。

天才は、教科書に書かれている事実のみを暗記するのではなく、それを独自のスタイルで使いこなす能力を自ら育てる涵養する才能を持っている。

日本が復活するためには、昔から言われているように、秀才ではなく、天才を育てなければいけない。

その能力をどう育てるのかということを、「ゆとり教育」を反省する過程で、もう一度考え直す必要があるのではないかと思う。

天才は、時間と環境によって作られるのだ。

もともと、schoolの語源とは、「暇」という意味だ。

人間に与えられた暇を有効に使う能力を持った天才を育てる場所として、学校を再生させるべきではないかと思う。

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オバマ演説集

Obama

『生声CD付き [対訳] オバマ演説集』(朝日出版社、ISBN-13: 978-4255004518、2008/11/20)

本日やっと届いた。

いま"Victory Speech: Change Has Come to America"を聴いているところ。

オバマさんの言葉は平易でわかりやすく、だが高尚で、魅惑的で、知性的で、愛情にあふれ、説得力がある。聴いているうちに思わず知らず感動で涙がこみ上げてくる。

「わが国の経済は全治三年です」と就任早々軽口を叩いた首相がどこかの国にはいた。いや正確には、いまだに首相の座にしがみついている、というべきか。

あの言葉を聞いたとき、あの軽薄で浅薄でペラペラな印象はどこからくるのかという疑問をもった。

オバマさんの演説を聴いて、その原因がわかった。

The road ahead will be long, Our climb will be steep. We may not get in one year or even in one term. But, America, I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you, we as a people will get there. (78)

「道のりは遠く、山は険しい」というオバマさんの言葉には重みがある。「余命3年3ヶ月」みたいな嘘っぽい診断には眉につばをつけたくなるが、長い間耐えなければならないかもしれないが、国民が力を合わせてがんばろうと、という気概が強く感じられるオバマ氏の言葉は人を動かす力がある。

彼を信じていけば、自分たちの未来はもしかしたら明るいかもしれない。失望と絶望の8年の間に求め続けていた、希望と自信と信頼感と安心感をアメリカ国民はオバマ氏の勝利によってようやく取り戻せたからこそ、アメリカはお祭り騒ぎになったのである。

残念ながら、「医者さんごっこ」を楽しんでいるわが国の余命30日の首相には、そういうことがわかっていない。

この演説を聴いて、リーダーというのはレトリックを駆使する能力の高さが問われることをあらためて思い知らされた。

レトリックとは、人をやる気にさせる力ということだ。

いいかげん、「なんとなく」なんて連発している場合ではないということに気づいたほうがいいよ、アホー・タローさんよ。

言い間違いというのは、フロイトを引用するまでもなく、無意識を露呈するものである。

これまでのやり方は「踏襲」はしたくない、俺のやりたいようにやるぜ。

「未曾有」の危機など俺の知ったことではない。

庶民のいろんな会合に「頻繁」に顔を出すのはマジ「煩雑」だぜ。

おそらくこういうことを麻生さんは言いたかったのだろう。

だからといって、民主党なら日本は明るいかといったら、心許ない。

一郎さんにはヴィジョンはあるのかもしれないが、レトリックがない。若さも優しさもない。人をとりこにする魅力もない。

いつになったら、"we have never been just a collection of individuals... We are, and always will be, the United States of America."みたいなことを言える格好いい首相が出てくるんだろうな。

オレがなるしかないかねえ。それじゃ、世も末だよ。

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浄水器 C1 交換用カートリッジ

日本ガイシ浄水器 C1 交換用カートリッジ CWA-01 【C1スタンダード、ハイグレード共通】 (使用期間の目安:約1年間)

我が家のC1のLEDが赤く点灯し始めました。びっくりして説明書を読んだら、1年経ったことを知らせるための仕様だそうです。

明細書を確認したら、使い始めてからちょうど1年でした。

でも、液晶表示メモリは5段階の2なので、まだあと2、3ヶ月は使えるはずです。

そろそろカートリッジを購入しておこうかなと思っていたころなので、アマゾンで検索したら、約15000円!

今月はクレジット払いがかさんでいるので、潔くあきらめました。

それはそうと、この浄水器はちょっとお高いですけど、自信を持っておすすめできますよ。

アルカリイオン整水器よりも、個人的には、こっちのほうがいいんじゃないかなあと思います。

整水器だと酸性水を使い切れずに捨てる人もいますが、C1なら捨てる水が出ないので、水道代の節約にもなります。

追記(11月23日):

今日アマゾンのサイトをチェックしてみたら、15%分のポイントが還元されるという。さっそく発注した。遊びに来ていた母親も、C1が欲しいという。私はいい浄水器だととおすすめしておいたが、それを聞いていた父にもったいないと言われ、浪費癖をまたまたたしなめられた。

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ジョギング10キロ

病み上がりなのでLSDで10キロ。1時間4分23秒。

右のシンスプリントがまだ癒えていないようで、帰ってきたら、左のすねの筋肉は柔らかいのに、右はカチカチで膨れ上がっている。

やはり無理に練習しないほうがいいのかも。するなら、5キロ以内でやろう。

今日も仕事を休んだ。明日も休む予定。仕事に復帰するのは来週の月曜日から。

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知性のデフレ

デフレの時代がやってくることは確実である。

モノが売れないというのであれば、製造業はバタバタつぶれる。高品質のものを作っても、高ければ誰も買わないのがデフレの時代だ。

そうすると、安くて出来損ないのモノばかりが世の中に出回ることになる。

生産者の技術力も低下し、文化が後退する。

デフレ・スパイラルは、何も経済だけにとどまらない。

教育や文化をも、デフレは侵食する。

全世界は、知性のデフレに果てしなく覆われるのかもしれない。

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また出ましたね:内田樹の本

内田樹、『街場の教育論』(ミシマ社、ISBN-13: 978-4903908106、2008/11/15)

内田樹、『昭和のエートス』(バジリコ、ISBN-13: 978-4862381187、2008/11/21)

追記:11月22日発注済

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ジョギング

わたしの道楽はジョギングと自転車と少林寺拳法です。だから、スポーツは「する」派です。

子どものころは体育が苦手でした。そもそも体育というのは、「体を育てること」であるのに、小中高ではたいていボールをつかった球技ばかりやらされます。それが不思議でたまりませんでした。体を育てるのなら、おいしいご飯でもいっぱい食べさせてくれればいいのにと思っていました。

私は近眼だし、動体視力もよくないので、ボールの扱いが得意ではありません。その結果、ますます体を動かすことが嫌いになって行きました。

ちょっとでもヘマをすると、仲間にぼろくそに責められる集団競技も大嫌いです。体育は、体を育てるどころか、他人を軽蔑したり、馬鹿にしたりする心や、いやなことでもひたすら我慢する心を育てる場のような気がしていました。

それだけではなく、ベタベタしていて暑苦しい体育系のホモセクシュアルな雰囲気も気持ちが悪いです。

体を動かす習慣がない人は、40歳近くなると、いろんなところが悪くなっていきます。腰痛とか肩こりとか、みな運動不足のせいです。ストレスもなかなか発散できません。階段を上るときにけつまづいたり、ふくらはぎがつるようなことも起きます。

私の体にもご多分にもれずいろいろと異常が出てきたので、1年半ほど前からようやく重い腰を上げて体を動かすようになりました。すると、苦手だと思っていたスポーツがどんどん好きになっていきました。意外に、体が動くことにも気がつきました。

ジョギングなどの個人技は、他人と張り合うようなものではなく、昨日の自分と競争するようなスポーツです。他人を蹴落とすような、醜い心を育てることもありません。

それに、達成感が一目でわかるのが励みになります。

世の中には、自分で実際にやってみないとわからないことがたくさんあります。見るだけで満足している人は、積極的に外に出て、体を動かしてみたらいかがですか。

コネタマ参加中: スポーツは「見る」派? それとも「する」派?

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何にもない

「何にもない、何にもない、まったく何にもない。」

まるで『はじめ人間ギャートルズ』みたい。

私は、ボーナスのない生活をしている。だから、世間の人は、なぜボーナスをもらえるのか逆に不思議に思っている。

そもそもボーナスというのは、「ナスに棒を突き刺したもの」ではない。それじゃ、『天才バカボン』である。

LDOCEで「ボーナス」の定義を確認してみたので、参照してもらいたい。

bonus = money added to someone's wages, especially as a reward for good work

つまり、「手柄に報いる報奨金」のことである。

こういう定義を見ると、ビジネスマンと称する方々に向かって、「あんたらはボーナスをもらえるほどの手柄を立てたのかい」と言いたくなる。

ボーナスで何を買うかなどと考えるのではなく、ボーナスを返上したほうがいいんじゃないの? それから、世界の非常識である日本的なボーナス制度をいい加減やめたらどうなの?

万が一、私がボーナスがもらえる身分になったら、何を買うかといったら、そうだねえ。今のところ何もないね。パソコンも4年目だけど、まだまだ使えるし。

買うなら、ドライヤーかな。そろそろ壊れそうなので、マイナスイオンヘアードライヤーでも買おうかな。それなら3000円程度の出費で済む。

ところで、ガジェットって、そもそも何なの?

gadget = a small, useful, and cleverly-designed machine or tool

定義を見ると、必ずしもデジタルデバイスではなくてもよさそうだね。toolだし。

ほんなら、爪きりでもよさそうだ。でも、別に無理に買う必要もないけど。

結局、結論としては、何も買わない、ということですよ。

そもそもボーナス出ないしね。

コネタマ参加中: ボーナスが出たら買いたいガジェットは?

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瀰漫する不穏な空気

麻生首相は、医者の多くが社会的常識に欠けていると述べたそうだ。きっと彼は、教師が標的のときは、教師は非常識だというのだろう。

そもそも麻生さんこそがきわめて非常識的な人間だから、世の中の人がみな非常識に見えてしまうのだ。

彼の中にあるのは、ただひたすら一日でも長く首相をやっていたいという気持ちだけである。もう十分でしょう。

庶民の怒りは、彼が言っていることとやっていることに大きな乖離が見られることに向けられつつある。

景気対策と称するものは選挙対策でしかなく(景気を考えるなら補正予算も年内に通し、給付金も年内に配布するべきだ)、テロと断固戦っていくと言いながら、厚労省の元事務次官が暗殺されるテロが起こると、毎朝の日課である散歩を取りやめてしまうほどの弱腰。

もちろん麻生さんひとりが悪いわけではない。日本の雰囲気が悪くなったのは、ひとえに自民党政権のせいである。小泉純一郎が最後のダメ押しをしたのだ。彼はマスコミと国民を欺いた。彼に対する期待とその失望の落差の大きさは計り知れない。

その後、安倍氏、福田氏は政権を途中で放り出す始末。その混乱に乗じて登場してきたのは、漫画好きの麻生太郎氏。

太郎君は、総選挙を先延ばしにし、庶民の声を圧殺し、「お前らは非常識だ」とほざき続ける。カップラーメンの値段も知らないやつにそんなことは言われたくはないと庶民の多くは思っている。

この鬱屈した怨念が、役人へのテロリズムとして、いままさに爆発しつつあるのかもしれない。

今回のテロリズムに関してマスコミ各社は、殺された役人が温和でよい方だったという報道ばかりしている。あるいは、犯人が若いから、年金テロではないかもしれないと分析し、年金問題から国民の目をそらそうとしている。

マスコミ(テレビと新聞)は、自分たちも、庶民の声を圧殺していることに気づいていない。

インターネット上では、厚労省の役人に対する今回のテロリズムを肯定する動きも見られる。マスコミは、そのことについて一切報道しない。

おそらく、あのテロリズムは、素人の手によるものではなさそうだ。背中からずぶりと何度も刺すのは、現場で相当な訓練をしている殺人のプロの仕業だ。素人なら、一発刺せるかどうかも怪しいではないか。

テロリズムは、厚労省だけでは終わらないと思う。次の標的は、閣僚経験者かもしれない。

自民党とマスコミが、圧殺された庶民の声に耳を傾けるまでテロリズムは続くかもしれない。恐ろしい時代が来たものだ。

さすがに、12月末までに解散しないと、政治がもたないと思う。KYな(空気と漢字の読めない)麻生さんに対する小沢さんの怒りも相当高まってきているそうだ。

さて、次の一手は何だろう。

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ぐったり

昨日の昼間の2時ごろ、鼻水を止めるために鼻炎薬を飲んだら、効きすぎてぐったり。夕方5時まで、ベッドから起き上がれなかった。

夕食をなんとか食べて、風呂に入ったが、そこでもぐったり。体が動かない。

9時前にはもう寝てしまっていた。

朝は7時にようやく起きられた。

合計すると13時間は寝ていたようだ。

今朝は副鼻腔炎っぽい症状が出てきた。耳の中も若干痛い。

もうなんだか体がボロボロだ。40年分の疲れがどっと出てきたんじゃないかと思えるような状態。

体調が万全ではないので、今日も仕事を休ませてもらった。

明日からは元気になると思うんだけど、今週いっぱいは休む予定。

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ジョギング4キロ

風邪が治ったような気がしたので、午前中走りに行ってみた。6キロくらいなら走れるだろうと思ったが、最初の1キロでバテバテ。

やはり病み上がりだから、体力がないのかも。

それにまたシンスプリントっぽい。右脛の筋肉がこわばってしまうのだ。

花粉症も併発しているようだ。

さらに、このところ運動不足だったためか、昨夜はよく眠れず、睡眠不足でもある。

レースまであと2週間だというのに、もうだめかも。

21キロなんて走れないよ。

最初から棄権するのももったいないから、途中で棄権する可能性もある。

格好悪いな。

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1級技の試験勉強

風邪の症状は少し改善してきたような気がするが、鼻がむずがゆく、鼻水とくしゃみが出る。咳も止まらない。ハードな運動はまだ無理だ。

軽く体を動かす程度なら咳もひどくならないので、1級の昇級試験の勉強を、本やインターネットを見ながらしている。

なかなか名前と技とが一致せず苦労している。

細かい部分に関して忘れてしまったところがけっこうあるので、すべての技を先生に再度教えていただかないと、試験の日にまともに思い出せないかもしれない。試験まで稽古できるのは、たった3日。

年少部と違って、大人の場合は覚えることが多いので、ほんと厳しいよ。

昇級試験は2級を受験する方と一緒になるので、2級技もしっかり覚える必要がある。今度は、攻者側も正確に覚えておかないといけない。

息子の6級昇級試験用の課題の作文も書き終えた。あとは原稿用紙に清書させるだけ。

当たり前だが、小学3年生が書いたとは思えないほどの完璧な作文だ。矛盾も冗漫さも一切なく、美しいくらいに論理的に整理されている。読む人が読めば、すべて大人の手によるものであると見抜かれてしまうほどの見事な出来栄えである。難しい漢字をひらがなに書き換える程度では、すぐにバレてしまうのはわかっている。しかし、人に読ませるような提出物に関しては、一切妥協したくないんだよね。

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自己と他者

鷲田さんが至極真っ当なことを書いている。

鷲田 清一 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

 「他者」を内在させていない社会では、「自己」の輪郭も不明になる。上で見たように、一方では立てこもるべき「自己」が蒸発し、他方では「自己」が他人 によってとことん侵蝕される。他者に裏切られることを避けるのではなく、裏切られることを含めたうえでその他者たちと共存する、そうしたしくみのなかでし か、人は「自己」を確立できない。

ジョルダーノ・ブルーノの言うとおり、対立物の葛藤と調和によって、均衡が図られているのは宇宙の実相に適った姿なのである。

対立がなければ調和もない。すべてが動的に拮抗しているからこそ、新しいものが生まれる。すべてが静的に自足していれば、世界はまったく更新されない。

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鼻水

咳と鼻水が止まらない。風邪がどんどんひどくなっていく。抗生物質を飲んでも、効果があるような気がしない。

マラソンの練習もぜんぜんできない。不安が募るばかりである。10月は何事も順調にいっていたが、11月に入ったとたん一転して不調になった。

今日の仕事も電話を入れてキャンセルした。

朝、目を覚ました直後、ベッドの中で横になっていたら、咳が止まったような気がした。しかし、体を起こしたとたん、肺の辺りが苦しくなって、咳が出始めた。やはり、寝ていたほうがいいのかな。

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風邪で自宅療養中。

風邪で自宅療養している。

この時間を無駄にしてはいけないと思って、まだ時期的に早いけれども、期末テストを2つ作った。教科書を使い回しているので、実質的には4クラス分になる。

今週中に、あと3クラス分作ってしまおう。

それから、少林寺拳法の1級昇級試験用の宿題の作文を午前中に完成させた。もうこれ以上書き直すつもりはない。

最初書いたときには原稿用紙13枚分になってしまった。4つのテーマに、それだけの文字を費やすのはあまりに書きすぎなので、削りに削って7枚分にまで圧縮した。

課題の作文を書くための内容は教本に書いてあるから、ふつうはひたすらそれを写すだけで済む。だが、教本の文章はわかりにくいので、そのまま書き写す気にはなれない。

そのわかりにくさは、繰り返しの多い冗漫な文章だけではなく、帰納法的な書き方にも起因している。無駄を削り、帰納法を演繹法に書き換えると、明快な文章になって、圧倒的に読みやすくなる。

帰納法の場合、具体的なことから書き起こし、抽象的なまとめで締めくくられる。教本の文章では、手段や方法などを述べてから、その理由や目的や目標などが来ている。それがわかりにくさの原因である。

だから、その順番をすべて反対にした。その結果、はるかにわかりやすくなったし、覚えやすくなった。教本には、「~すべき」という押し付けがましい表現が若干あったので、そういうところも別の表現に書き換えた。

昼間、妻の両親が遊びに来た。昼飯は蕎麦屋へ。最初、近所の蕎麦屋に行ってみたら、休店日だった。義母によれば、蕎麦屋は月曜日休みが多いのだそうだ。40年近く生きてきたのに、そんなことも知らなかった自分が恥ずかしい。

仕方がないので、駅の反対側の店に行ってみると、駐車場に車がたくさん停まっている。他の店が休みだから、混雑していたようだ。

中に入ると、店内も混雑している。入り口には、サッカー選手の小野伸二のサインが飾ってある。もう一人有名人のサインがあったが、名前が判読できなかった。誰のだかわからないサインって、いったい何なのよ。

5人で行ったので、奥の座敷に通された。3つあるテーブル席のうち、一番奥の窓際のテーブルを選んだ。

義父の注文したものの値段を確認してから、それを超えないように、ざる蕎麦の大盛りを注文した。ようやく新蕎麦を食べられた。妻は、力うどんを頼んだ。彼女は蕎麦屋でわざわざうどんを頼む人なのだ。

咳がどんどんひどくなっていくような気がする。もうだめ。明日も休むことにする。

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風邪

昨日、今週ズル休みすると書いたが、風邪が悪化したので、ズル休みどころではなく、本当に休まなければいけなくなった。

咳がひどいので、声を出すのがつらいし、肺が苦しい。

大きな声で話さなければ仕事にならない職業であるから、風邪は致命的だ。

6月に医者に処方してもらった抗生物質が残っていたので、それを1錠飲んだ。炎症を抑えてくれるらしい。

もちろん今日もジョギングに行かずに家でゆっくり過ごすつもり。

明日もおそらく休むと思う。

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デフレが来る

またデフレが来る。

デジカメやパソコンの価格なんて、2年前の半額。

液晶テレビも半額近い。

ガソリン価格もピーク時に比べたら4割近く安くなった。

値段の高いものは売れないから、メーカーは赤字覚悟で叩き売りする。

それでもモノが売れない。

そもそも家庭にはモノがあふれているので、新規で買う必要なんてまったくないからだ。

やはり、だいぶ前から言われていることだが、消費主義や商業主義は終焉を迎えつつあるのかもしれない。

話は飛ぶが、大学の授業も今年から半期13~14コマに増え、来年からは15コマになるらしい。嘘だろ! 

しかし、給料はまったく上がらない。

つまり、一コマあたりの単価が安くなるということだ。

有給休暇を取らないとぜったいに損、損、損!!!

文科省が授業時間を増やすことで子どもたちの学力を高めるという方針に切り替えていることについて、内田樹氏は、実に鋭い批判をしている。

日本中に蔓延しているコストパフォーマンス重視の価値観が、教育をもダメにしているのに、その発想を変えずに、時間だけ延長するという発想が、イケテイナイというわけである。

レバレッジなんとかという本が以前売れたけれども、「梃子の原理」を使って、最小の力で最大の効果を発揮すること、そしてその結果得られる果実(つまり、お金)を最大にすることを、人生の優先順位の最上位に置くような安っぽい考えに毒された教育を根本的に治療するためには、やはり一度消費主義が崩壊し、どん底に落ちる必要があるのかもしれない。

まじめな話は、ここまで。

ここのところまじめに働いてきたので、来週1週間はズル休みする。

風邪を引いているので、公式にはズル休みとは言えないけど。

金曜と土曜はぜったいに休むことにした。

できれば月火も休みたい。

 

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春よ恋

春よ恋」という「はるゆたか」の後継種といわれる国産強力粉(1キロ約400円)を使ってホームベーカリーで天然酵母パンを焼いた。(HBは以前、次男に棚から落とされて壊れされたが、自分で修理して使っている。)

どうせ普通の強力粉(1キロ約300円)と変わりないんだろうと思って試してみたら、大違い。

ホームベーカリーのケースにペタリと張り付いてパンが取り出せない。粘着力が強いため、炊き上がったばかりのご飯を空気にさらしておくとできるあのパリパリの皮がたくさんできている。食べてみたら、もちもち感としっとり感が、外国産のものよりもはるかに強くて、実にうまい。

私は、国産至上主義者ではないが、やはりうまいものはうまい。

「春よ恋」は断然お勧めである。

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住宅ローン

asahi.com(朝日新聞社):日本版サブプライムローンで、破綻が急増する? - 荻原博子の”がんばれ!家計” - ビジネス

日本では10年前に、年収300~400万円の低額所得者でも、頭金なしで住宅ローンが組めるという制度が誕生した。これはアメリカのサブプライムローンに似ていると荻原さんは言う。

国の経済政策として住宅建設を促進するのはよくあることであるが、庶民にローンを組ませて、それで金融業者が庶民からお金を奪い取るという仕掛けは、実のところ、庶民のためにも、経済のためにもなっていない。重たいローンに苦しむ庶民は、活発にお金を使えないのだから、経済も活性化することはないのだ。

イギリスは公共住宅をたくさん建設し、それによって低所得者層が安い家賃で暮らせるようにしている。そのほうが、アメリカ型の持ち家促進型の経済よりも、メリットがあるように思える。特に、日本のように地震等の災害が多い国ではそのメリットは大きい。

以前、阪神大震災について書かれた『倒壊』という本を読んだ。大震災で、ローンを抱えていた家が倒壊したため、さらに新たに建設した住宅のローンも抱えるという状況に陥り、庶民が貧乏のどん底から這い上がれなくなってしまったというのだ。その家が公共住宅であればそういうことにもならなかったのだと著者は書いていた。

きわめて左翼的な思想であると思う。しかし、彼女の主張には一理ある。歴史的に見れば、持ち家志向というのは、ごくごく最近の傾向であるのだから。


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自動車保険継続契約

自動車保険を三井ダイレクトで再契約した。

4年目だ。それ以前は、チューリッヒやアクサに入っていた。

最近の傾向としては、必ずしも海外企業のほうが安全とは限らないので、保険会社は日本の会社にしている。

対人賠償、対物賠償は無制限。
搭乗者障害は1000万円(部位・症状別払)。
人身障害は5000万円。
無保険車傷害特約が2億円。

去年からの契約だが、他者運転特約と、対歩行者傷害保証特約、対物超過修理費用特約、搭乗者傷害Wケア(搭傷医療倍額支払い特約、搭傷育英費用担保特約)もつけている。

車両保険は、基本的に無駄だと思うので、入っていない。使うと翌年から保険料が高くなってしまうようだし、簡易板金なら修理代はさほど高くないからだ。

MyNewsJapan 三井ダイレクト損害保険の支払いの悪さ

三井は対応が相当に悪いそうだ。ここに書かれている事件は2005年なので、未払い問題がマスコミでさかんに報道されてからはだいぶ変わったのではないかと思う。

当時は、どこの自動車保険会社も、大手だって、同じような状況だったはず。生命保険会社なんて、不正の額はもっと大きかったのだから、それに比べたらまだましだ。

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できそこないの男たち

『生声CD付き [対訳] オバマ演説集』(朝日出版社、ISBN-13: 978-4255004518、2008/11/20)

 

 

福岡伸一、『できそこないの男たち』(光文社、ISBN-13: 978-4334034740、2008/10/17)

注文しました。

11/14(金)コラムの花道×福岡伸一をダウンロード

アリマキ(いわゆるアブラムシ)の一生から考えると、生物はメスが基本仕様で、オスは遺伝子をシャッフルして、変化する環境に適応するために一時的に生み出された存在だという。
オスはカスタマイズされた存在であるため、個体によって大きな偏差が生じ、変態やきわめて優秀なものが生まれることもある。

しかし、たいがいの男は女にかなわない。その理由が、福岡さんの説明でよくわかった。

また、男のほうが力があるのは、女にこき使われるためである。男は女の使い走りなのだ。しかし、辛いことばかりではない。そのかわり、セックスの快楽があるではないか。生物学的には、これが唯一の男の楽しみ、生きがいなのかもしれない。男は威張るな、自分の存在の哀しみを知れ、というわけだ。

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10キロ走

とうとう風邪を引いた。空せきが出て、肺が少し苦しい。

風邪は引いたけれども、走れそうだったので、仕事から帰ってきてから日が暮れないうちに、走りに出かけた。

LSDといえるのかどうかわからないが、息が上がらないように比較的ゆっくりと走って、1時間3分52秒。

最初の3キロ地点で20分、5キロ地点で32分だった。

後半左足の足底筋膜炎が気になりだした。悪化しないといいけど。

数ヶ月ぶりに大腿四頭筋が筋肉痛になった。走り方が、1週間休んだせいで、変わったのだろうか。

明日は走らないことにした。天気も悪いそうだし。

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大人のいない国

鷲田清一、内田樹、『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』(ピンポイント選書、プレジデント社、ISBN-13: 978-483341888、2008/10)

あと5回くらいは読み返したい本だ。

近頃、「自立(支援)」とか「自己責任」などという声がうるさい。しかし、そういうことを言いすぎるのは、逆に、自分とは考えの違う他者を受け入れないという狭隘な価値観を表明していることになっているのではないか。

また、世の中には、自分の権利ばかり主張(claim)し、相手を一方的に糾弾するような語法が流行している。中学や高校におけるディベート(debate: battleやbatと同語源)の授業の影響かもしれない。ディベートの眼目は、他者の意見にいかに影響を受けずに、相手を叩き潰すかということである。

いずれの現象にせよ、他者を受け入れないという点では共通している。

この排他性は未熟さと同義である。

大人とは、自分の中に、複数の自分を抱え込んでいるものである。その多様性は成熟さと密接な関係をもっている。自分の中に多様性を抱えているからこそ、他者に共感ができ、受け入れられるのである。

自分とは考えの違うものをいちいち排除していては、連帯することは不可能である。異物を排除していくと、究極的には、孤絶するしかなくなる。現代の日本人には、そういう手合いが多い。

彼らは、自らが置かれている状況の外部に立って、偉そうに不平不満をもらす。そして当事者意識、当事者責任がないので、Discussion(disは分離、cussは叩く)をして周囲の意見の調整をしていこうとはしない。

このような対話能力のない人間を「子供」という。

逆に、他者や自らの置かれた状況と折り合いをつける能力をもつ人のことを「大人」と呼ぶ。

残念ながら、現代の日本人は、60歳になっても、シワくちゃな子供のままであることが多い。それでは、ちょっとまずいんじゃないのか。

下の世代は、上の世代と同じヘマを繰り返さないように、ちゃんと頭を鍛えておこう。

いつもながら内田氏はしびれる文句を吐く。ちいとばかし引用しておく。

 教育の目的は信じられているように、子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存するのである。少なくとも、私たちの遠い祖先はそう考えた(107ページ)。

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急所を狙え

先日、小学生の息子が近所(隣のマンション)の悪ガキ2人につばを顔に吐かれたと言って、半べそをかいて帰ってきた。「それなら、今からでも一発殴って来い」といって、なだめてやった。

話を聞いたら、本人にはなぜそうされたのかよくわからないらしい。

自分にも経験があるが、その相手に何も悪いことをしていないのに、そういうことをしてくる連中が世の中にはいるということである。

だから、そういうときには誰がなんと言っても、丁重にお返しをしてあげるべきなのだと息子に話した。

すると、息子も、そんなことは先刻承知で、すかさず一発殴り返したそうだ。

「じゃ、ちゃんと急所を狙ったのか」、と聞いたら、鳩尾(水月)に当てたと言う。

私は「偉い」と褒めてしまった。

もちろん、相手に怪我をさせてしまってはいけない。だからといって、軽く叩く程度では効き目がない。

だから、的確な角度で急所を攻撃し、相手にこの上ない苦痛を与え、それ以上反撃ができないようにしなければいけないのだ。

しかしながら、相手に壊滅的な打撃を与えるのは、正当防衛とはいえ、犯罪行為に等しい。

ゆえに、外傷という証拠が残らないようなやり方で悪者を懲らしめるには、急所を狙うのが一番効率的で、効果的である。

これは、国家間の戦争にも当てはまる。

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that節

池上嘉彦、『「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、ISBN-13: 978-4480082305、1995/09)

ある人とthat節の扱い方について議論になった。その人は私の主張を否定するために、この本について言及したので、図書館で借りて一部を読んでみた。確かに、私の理解と正反対の考えが書かれていたので驚いた。

私はthat節に関して次のように理解していた。たとえば次の文をみてほしい。

Some predictions claim that by 2050, all coral reefs in the world will be damaged.

この例文を見る限り、thatがある場合は、私にはまだ文脈上明らかになっていない話題を伝えているように思える。

もしthatがなかったら、ご存知のようにというニュアンスが入るような気がする。

その理由は、thatというのは、近いものを指すthisと違って、遠いものを指すからである。その遠近感から類推すれば、thatというのは、文脈上、まだ明らかになっていないことを報告するようなスタイルになるはずである。一方、そのthatがないのであれば、もう遠くない話でしょう、だからまた繰り返しますよとか、もうすでにご存知でしょうけどね、というニュアンスが出てくるはずである。

しかし、池上氏は、アメリカの言語学者であるボリンジャーの説を採って、thatというのは、文脈上特定されるものを指すtheの感覚に近いのだから、thatがある場合は、既出の情報であり、ない場合は特定されないのだから新出の情報であると主張する。

しかし、この前提は間違っている。なぜなら、thatはtheから派生したのではなく、theはthatの音が崩れて、それとともに意味が拡大したからである。だから、順番が逆なのだ。

thatは遠いものを指す。この前提があるから、so thatの構文では、それで(so)、あれ(that)なのさ、という意味になるのである。

ボリンジャーは、形が違えば意味も違ってくるという立場から、むりやりそのような考えを主張しているのかもしれない。

口語では、that節のthatを省略することが多いというのはよく知られた事実である。教科書で採用されるような、ある程度硬い文章では、thatはほとんど省略されることはないが、英字新聞を見ていると、その多くが省略されている。

社会言語学的には、thatを入れないと構文が取りにくい場合には入れ、そうではない場合には省略することが多いと捉えているそうである。おそらく、ネイティヴスピーカーの多くも、同じように捉えているはずで、意味の違いなどほとんど意識していないのだろう。

どんな言語でも、同じ意味をもつ複数の単語があるはずである。同様に、thatがあってもなくても意味が変わるということはないのかもしれない。これが一番健全な考え方だと思う。

私の専門は英語学ではないので、最近の研究についてはまったくわからないが、池上さんの説は説得力に欠けている。この本を真に受けるような人が増えないことを期待したい。

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3キロ走

シンスプリント(Shin splint)で走れなくなったのは11月7日だから、あれから一週間になる。

ここ数日の冷酷な気温とはうって変わって、今朝は穏やかな日差しが体をあたためてくれるような陽気になったので、重い腰を上げて走ってみた。

まだまだすねの筋肉が心配なので、近所の土手沿いコースを一周するだけにした。トータルで3キロ。かかった時間は16分56秒。

ゆっくりあせらずに、脚のさまざまな筋肉や、足底の筋膜に気を使いながら走った。姿勢にも足音にも、足が地面に着地したときの角度にも気を配った。

一週間ぶりだったせいで、半分ほど走っただけで、いままで眠っていた心臓と筋肉が悲鳴を上げるのが聞こえてきた。

君たちにはもう少しがんばってもらわないといけないけれど、いままで気をかけなかったことは素直に謝るよと、心臓と筋肉に言いきかせながら、走った。

レースまでまだ3週間ある。それまでに15キロ走は1回くらいできると思う。しかし、その前に、まず10キロを走れるようになっておかなければならない。

明日は、仕事から帰ったら、5キロ程度走って、日曜日は10キロに挑戦しよう。

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定額給付金

Ruling bloc OKs ¥2 trillion boost | The Japan Times Online

定額給付金制度にはさまざまな問題(problems)があり、それに使われる額がGDPの0.4%分ではあまりに少なすぎるため、国内経済をブーストアップする効果もほとんど期待できない。

ジャパンタイムズ的には、外国人ももらえるのかどうかが問題だそうだ。確かに、外国人であっても、日本に居住し、給料を得て、所得税や消費税を支払っているのであれば、日本人となんら変わるところがないのであるから、給付金をもらう資格があるはずだ。

一部には、お金を使わざるをえない子育て世代に30万円ほどいっぺんに配ってしまうというほうが効果が高いと主張するものもいる。これなら、所得を把握する「煩雑」(頻繁ではない)な手続きもないし、簡単にどこの家庭に受給資格があるのかを簡単に判断できる。それ以外の世代は、ただ懐にしまってしまう可能性が高いので、経済効果はよりいっそう薄くなる。

しかし、30代から40代子育て世代は、民主党支持派が多い。その世代にお金を配っても、与党への票にはつながらない。ということで、その案も政治的にありえないということらしい。

この給付金制度が成立したとしても、お金がもらえるのは、来年の4月以降になるはず。金融恐慌に対する経済対策としては半年遅れになってしまう。それは致命的だ。

結局、「捕らぬ狸の皮算用」ということで、この話は反故になる確率がきわめて高そうだ。

やはり麻生さんがクリスマスあたりに早期解散をするのが一番よい景気対策になるのではないか。

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四字熟語メーカー

四字熟語メーカーで自分の名前を入れてみたら、「眼鏡泥棒」と出た(笑)。

この前、眼鏡を買ったばかりだけど、盗んではいないよ。

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田舎暮らしに殺されない法

丸山健二、『田舎暮らしに殺されない法』(朝日新聞出版、 ISBN-13: 978-4022504401、2008/5/7)

田舎暮らしにあこがれる人は自立していない、と著者は言い切る。

オレは都会の荒波の中で勇猛果敢に戦ってきたと言い張る人もいるけれども、そういう人が潜り抜けてきたのは逃げて逃げて逃げまくってきた数十年間に過ぎない。そういう輩は、田舎暮らしを始めたとたんに絶望的な孤独感にさいなまれる。ひどいときにはうつ病にまでなってしまう。それは自立していないからである。

この状況から自分を救い出せるのは、妻でも家族でも他人でもなく、自分自身でしかない。だから自立していない人間はぜったいに田舎暮らしに手を出すなというのが、著者からの警告である。著者自身、長年田舎暮らしを続けてきているから、その言葉には説得力がある。

「田舎は天国だよ」というメッセージを垂れ流し、「団塊の世代」を田舎へと誘導する無責任な番組があるが、あの番組のスポンサーは天下のトヨタである。なけなしの退職金をはたいて田舎に家を買わされたあげく、田舎では一人一台必ず必要となるクルマを買わせようとする大企業の思惑にひっかかってしまう愚かなオヤジどもを見ているのは、実に悲しい。

田舎暮らしを始めたオヤジたちは、孤独感を払拭し、自分は何かの役になっているのだという気持ちになるためにボランティア活動に精を出し始める。そのうちに、田舎の汚いジジババの言いなりになって、使いっ走りか、奴隷のようになっていくのだそうだ。そういえば、『天国の楽園』でも、そういう人がたくさん出てくる。笑止。

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私なら今年の漢字に迷わず「愚」を選ぶ。

福田さんが政権を無責任にも突然放り出すという愚行に出た後、庶民は自民党総裁選のできの悪い茶番劇をたっぷり見せられた。その後、麻生さんが首相に選出され、小学生でも読めるような漢字を読み間違えながら、定額給付金という国民を愚弄するようなバラマキという拙策というより愚策を発表した。いま愚に返った政治家たちに庶民が振り回されている。

この愚にもつかない政策は、ただ単にGDPの数字を押し上げ、経済活動があったということにするためのものであり、国民生活の質を高めたり、安心感を保証するというものでは一切ない。その程度の考えしか思いつかない愚鈍な宰相を戴く国民は不幸である。

政府の保有する埋蔵金を庶民に分け与えた後、すぐさま消費税を上げることで、政府はそのお金を回収する。これは経済活動があったとする帳簿上のマジックなのだ。

たとえばこういうことである。AさんがBさんの店で買い物をして10000円支払う。一方、BさんはAさんの店で10000円の買い物をする。この場合、実質的に、お金はまったく移動していない。しかしながら、それで20000円の経済活動があったとするのが資本主義である。これを、バラマキによって、国と国民の間で行おうというのが、麻生さんの意図だ。笑止千万である。

ただ消費税を5%上げるとすると、年間300万円消費する家庭であれば、15万円分増税されることになる。ゆえに、庶民がバラマキで受け取る額の2~3倍多く、国は庶民から分捕ることになるのだ。

麻生さんは慈悲深いカトリック教徒である。庶民がお金がなくて困っているそうだから、喜捨をしてやろうという魂胆なのかもしれない。ありがたく、そのお気持ちを受け入れたいと思う。しかし、庶民が本当に求めているのはそんなことではない。庶民がほしいのは将来への安心感である。

カトリシズムでは、現世で罪を償い、善行を積めば、死んだ後は天国へ行けると考えるそうだ。麻生さんは、貧しくともつつましい生活を送っている庶民は、死ねば天国に行けるのだから、心配ないという安心感だけしか与えてくれない。まったくのブラック・ジョークである。

愚昧な政治家に愚貧な庶民が振り回されているのが今の日本だ。今年は、そのことがよりいっそう明確になった。不遇をかこつ愚輩は、そんな状況を愚直に愚弄するしかない。私が今年の漢字に「愚」を選んだのは、そういうわけである。

海外に目を転ずれば、愚かなアメリカ大統領が今年で去ることになった。そのアメリカでは、優秀な頭脳を持つと思われていた人たちが、金融恐慌を引き起こした。中国ではこの夏、愚かな民がナショナリズムに駆られ、大騒ぎをした。さらにたんぱく質の割合を増やすために、粉ミルクにメラミンを入れるようなことをして、大勢の赤ん坊を死に追いやった。愚かだとしか言いようがない。

人類は、自らの救いようもない愚かさをしっかり見つめる時期が来ているのだと思う。

コネタマ参加中: 2008年「今年の漢字」、あなたは何にする? イベントも開催!

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トヨタがマスコミに報復?

asahi.com(朝日新聞社):トヨタ奥田氏「厚労省たたきは異常。マスコミに報復も」 - 社会

トヨタ自動車の奥田碩相談役が標的にしているのは、明らかに、みのもんた氏である。

奥田氏は、マスコミが厚労省をたたきすぎているから、スポンサーを降りて、報復するぞと脅しをかけている。でも、スポンサーを降りればますますクルマが売れなくなるし、トヨタという企業は庶民の味方ではないという悪いイメージも広まって、かえって逆効果だろう。

どうして庶民は厚労省を批判するのかという根本的な理由を無視しておいて、マスコミは異常だとして逆切れするのは大人の態度ではない。

奥田氏は大金持ちだし、労働者を搾取する側だから、将来わずかな年金がもらえるかどうかさえわからないという不安をかかえている庶民の気持ちがまったくわからないのだろう。

逆に、マスコミはトヨタ叩きをして、全面戦争をしたらいい。売られたケンカは買ったらいい。スポンサーを降りるなら、降りればいいし、そうなったらスポンサーの顔を立てる必要がないのだから、トヨタの影の部分をさらしてやればいい。TBSの視聴率だって、急激に伸びるはずだ。

これが本当のジャーナリズムである。

庶民が強く期待しているのは、ぬるま湯に浸かった政府とメディアと大企業の関係をぶち壊すことである。

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本日の稽古

本日のメニュー:
基本突、蹴り上げ、上受、内受。
天地拳第5系。
諸手切抜、巻抜、押切抜、片手寄抜、両手十字抜、小手抜など。

天地拳第5系の特徴は、鈎足と、相手の正中線をかわしながら三種類の蹴り(蹴り上げ、廻蹴、足刀蹴)と、握拳の仁王受にある。

小手抜は、攻者に引っ張られている状態で行うというハードな練習をした。鈎手を体に密着させながら、腰を回転させるのがポイント。

押切抜は、左手で相手の肘を支えて抜けないようにし、右肩を出しながら(顔を引っ込めたまま)右手で抱えるようにしないと、抜いたとたんに殴られる。

切抜は、外手首を握られた場合は、手の甲を相手に向けて親指を切るようにして抜くのがポイント。

十字抜は、右前中段構えから、徐々に右腕を高くする。相手に腕を握られたらすぐに左前になりながら鈎手守法になって、当身をし、さらに寄足をするような感じで、右足を踏み込んで、右ひじを相手の腕の上に乗せてから、鈎手をつくってグリップをはずし、相手の手を跳ね除けたあと、手の甲をいったん上に向けながら戻した後、手のひらを上に向けるように回転させながら、相手の腹部(水月)を肘打ちする。相手の腕を払って、一字構えで残心。

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狭くて小さいたのしい家

永江朗、アトリエ・ワン、『狭くて小さいたのしい家』(原書房、ISBN-13: 978-4562037919、2004/8/25)

永江さんは、ガエハウスに引っ越してからテレビを見なくなったという話を書いている(256-58ページ)。そうしたら、いらいらしなくなったし、石原慎太郎や小泉純一郎がいかに薄っぺらい政治家かがわかり、物事を冷静に見られるようになったそうだ。わたしもそれがよくわかる。自分たちのライフスタイルにぴったり合うように設計された空間には、テレビという既製品は似合わないのかもしれない。

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バカコメント

J-CASTニュース : 梅田望夫、はてブ「バカ多い」 賛否両論殺到してブログ炎上

水村美苗さんの本についてのコメントを梅田さんが自身のブログに書いたところ、その本を読まずに、とんちんかんな批判のコメントを書いた人が多数いたので、その人たちをバカと呼んだことからブログがflame upしたという。

「批判」というものには、いくつかの種類があって、以下の3つは最低なものである。

1.ある人の述べた意見の言葉尻を捕らえて、発言者自身の能力を揶揄するタイプ

2.最初からそんなことは興味がないと言って相手を突き放し、そんなことにこだわっているのはアホであるとして議論から逃げてしまうタイプ

3.もっと視野を広くしろとか、視点を変えろという説教を言うだけで、何も具体的な議論を展開しようとしないタイプ

これらに共通しているのは、批判する者に、議論を深めたり、相手の主張を精査する能力がないということである。そういう連中は、単なる印象でものを語ろうとする。要するに、この種の批判は俗に言う「批判のための批判」であり、その人の頭がsharpでもwiseでもないことを証明しているだけだ。

英語では、自分の主張を論理的に展開することをargueという。

世界的には、アーギュメント(argument)のできない人は、「バカ」と認定してよいという共通認識があることを日本人は知っておいたほうがいい。

だから、バカは自らの愚かさを人に知られないために、沈黙したほうがいいのだ。

しかし、また、沈黙しかできない者はバカであるという世界的な共通認識があることも知っておいたほうがいい。

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田舎暮らしができる人できない人

玉村 豊男、『田舎暮らしができる人できない人』(集英社新書、集英社、ISBN-13: 978-4087203882、2007/04)

100ページ以降に書かれている産業革命のたとえ話が面白い。

産業革命以前、夫婦は力を合わせて共に働くことで10万円を稼いでいた。産業革命が起こり、近所に工場ができると、夫が借り出される。夫は月給10万円をもらい、それで妻は専業主婦となり、家を切り盛りするようになる。実質的に妻は無収入ということになる。それとともに夫は、自分一人の力でお金を稼いで、家族を養っているようなつもりになる。本当は夫が外に働きにいけるのは、妻や家族などの支えがあるからである。夫はそのことを忘れてしまったのだ。「団塊の世代」のオヤジたちは、まさにその亭主と同じである。

そういうオヤジであっても、田舎暮らしをすることで、産業革命以前の価値観を取り戻すことができると玉村さんは言う。

あるところに、大工と水道屋が住んでいた。大工は水道屋の奥さんに、「棚が壊れたため、直してほしい」と言われ、修繕を施す。一方、大工の家は、水道管が壊れていたので、水道屋に直してもらった。ともに修理代は2万円。お互いにお金を交換しても、意味がないので、ふたりはお金のやりとりをすることをやめてしまう。現代社会では、そこで4万円が動き、GDPに4万円が計上されることになる。ところが、このふたつの家の間には、実質上、経済活動が行われなかったので、GDPをまったく押し上げない。

産業革命以前の生活というのは、このような、お金に縛られない生活があった。玉村さんはそれを「手触りの感じられる生活」と呼ぶ。お金でサービスを買うのではなく、自分の時間を割いて、自分のできる範囲でワークする。自分(たち)の力で、自分たちの面倒を見る。だから、身の回りのもののほとんどすべてが自分たちの手で造られたものになり、手触りが感じられるのである。マルクスの言う「疎外」(alienation)のない生活である。そういう生活を取り戻すには「田舎暮らし」が最適なのかもしれない。

玉村さんは田舎暮らしをして「農業的価値観」を身につけるのもいいのではと言う。「農業的価値観」というのは、自然の中で暮らし、自然と対峙することで得られる「達観というよりはあきらめに近い」実感のことで、「やることはやらなければいけない。だが、できることには限りがある。自分の意志でコントロールしようとしても、コントロールできないことがある。だから、人事を尽くして、天命を待つしかない」(167ページ)というような考え方のことである。

時代は、あきらかに、一巡りして、このような昔の価値観、傲慢さとは無縁な、人間の有限性を真摯に受け止める生き方を再評価する方向に流れてきている。

都会の人たちは、お金で時間を買うというような、忙しい(busyな)生活、つまり、businessに束縛されている。玉村さんは、「忙」という漢字は心を失うと書くと解す。人がbusyだと感じるのは、したくもない仕事を誰かにさせられて、自分の時間を奪われるからである。だから、自分がしたい仕事をしているときは、忙しさを忘れることができる。つまり、心を失うことがないのだ。

都会のbusiness的な価値観を相対化するような生活が残っているのは、もはや「田舎」だけであるというのが、玉村さんの考えだ。

しかし、私は、わざわざ田舎に行かなくても、都会においても、この価値観を体現することはできると思う。少なくとも、私は、田舎暮らしに向かないタイプの人付き合いの悪い人間なので、田舎に行ったら、忙しさにかまけて心を失いそうだ。むしろ、今の生活を維持していたほうが、農業的価値観を実践しやすいと思っている。

玉村さんのような考え方や生活はブルジョワ的であると批判する人もいる。彼のような生活ができる人は相当なお金持ちだけであるという。そのとおりだろう。それに、こんな枯れた生活をしろと若い人に言うのはかわいそうだという人もいる。一方、彼の考えに親近感を持つ人も多数いる。私の場合は、批判と賛同が半分ずつというところである。

いずれにせよ、多様な価値観を許容する社会が成熟社会なのだろう。

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2008年のまとめ 第1弾

今日も走りません。

スネの筋肉を押しても痛みを感じなくなってきているので、シンスプリントは癒えてきたのかも。疲れも筋肉痛も抜けてきた。今週末には少し走ってみようと思う。

年末が近づいてきたので、今年の流行語が話題になっている。

私はノミネートされている60語の半分も見たことも聞いたこともない。

目を通すと、受賞者が喜びそうもないものや、誰を受賞者にすべきかわからないものばかりが目立っている。そういうものが受賞することはありえない。

その意味では、「燃料サーチャージ」「毒入りギョーザ」「汚染米/事故米」「後期高齢者」は最初から対象外だ。

では、一世を風靡した「あなたとは違うんです」はどうだろうか。

受賞したとしても、前福田首相はどの面(ツラ)を下げて授賞式に出るのだろう。だから、これも確実に圏外だ。

結局、北京オリンピックを記念して、2008年は「何も言えねー 」「屁の突っ張りでもないですから」あたりに落としどころをもってくるんだろうな、という予想が成り立つ。盛り上がりに欠けているけれど、仕方があるまい。

本当に「何も言えねぇ」な。

私が審査員なら新鮮さを買って、「屁の突っ張り」にするかもしれないが、社会現象としてはインパクトがあまりに薄い。

そういえば、「半農半X」という言葉がノミネートされていないのはどうしてなんだろう。お金とモノさえあればいいのだという安直な人生観は終焉した。これこそ時代の潮流を的確に表していると思うけれど、どうだろうか。

今年の流行語大賞 ノミネート60語 「何も言えねぇ」「あなたとは違うんです」 (2/2ページ) - MSN産経ニュース

個人的には今年は、細木数子の占いと0学占いによれば、「達成」の年。振り返ってみると、けっこう達成できている気がする。

以前から欲しかったモノはすべて手に入れているし、病気も軽くなった。走れる距離も伸びた。フルマラソンに出られるかもしれないような体力も身についてきた。12月には私が習っている武道で1級がもらえそうだ。なにより結婚10年目にして夫婦仲が非常によくなったことが心から嬉しいと思える。これまで数回離婚の危機にさらされたが、しばらくはなさそうだ。

思い返してみても、さほど悪いことは起きていない。本当によい年だった。

いや、いま思い出したが、今年は6月に溶連菌に感染し、8月には帯状疱疹になったんだった。あのときは食べ物がのどに通らず、あやうく体重が40キロ台に落ちそうになった(女かよ!)。いずれのときも本当に死ぬかと思った。

私も時間の大切さ、命の大切さを実感できる年齢になってきた。人生における優先順位も定まってきた。

その優先順位に従って、来年以降も、無理をせず、楽しく有意義に暮らしていきたい。

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本日の稽古

年少部と一緒に、基本突、蹴り上げ、内受、下受からはじめて、天地拳第一系から第四系(左右)、義和拳第一系、前流水蹴と後流水蹴の練習をした。

天地拳などは反対にやるのに馴れていないので混乱した。

前流水蹴は、相手に殴られる危険性が高いので、ふつうはすることがない技だという。

攻者は左前中段構から上段逆突。守者は左前一字構で、後ろの手(右手)で下受けしながら、右足で中段逆蹴を決める。下受の際に、足を前に踏み込んではいけない。

その後、胴をつけて基本の突天一の練習。今回の稽古のポイントの一つは、攻者の上段突を上受けする際に、少し斜め前に出て、きちんとかわすこと。まともに相手の攻撃を受け止めると、命がいくつあっても足りなくなる。

ポイント2は、腰の使い方。左手で下受けするときに軽く腰を返すのだが、それを返しすぎてはいけない。次の十字受のときに蹴りの跳ね返しの反応が遅れてしまうからだ。

ポイント3は十字受けは、蹴りが威力が最大化する前に、下から押し返すように跳ね返すこと。

攻者の上段順突は、奥が深い。ポイント4は、後ろの足の拇指丘で蹴りながら差し込んで、顔を殴られないように後ろに体を反らせながら、肩から入るようにすること。相手の正中線をはずしながら斜め前に出て、下から突き上げるように相手の左の頬の急所をねらって拳を当てる。

ポイント5は廻蹴の仕方。これは、足の甲を当てるような棒蹴りではなく、拇指丘を脇腹に当てるようにするのが正式。

ポイント6は、それを受ける方法。守者は攻者の懐に入り込んで、相手の股の間に腕を入れて足を蹴りを封じてしまうこともできる。

年少部が解散した後、柔法の技として、送小手のおさらいをした。

腹のあたりに引きつけておいて、力を入れずに腹から前に出ると、相手が背中を見せる。すかさず、左足を引いて相手を倒し押さえ込む。

相手の手を押さえる位置は、できるだけ下の方が効き目が高い。年少部には、顔に近いあたりまで上げると指導されているが、それは具体的にどのように手を使っているかを教えるためで、それは途中の過程にすぎないそうだ。

まな、必ず、左手で相手の手をひっかける際には、いったん引っ張るフェイントをかけるようにする。もうひとつ重要なことは、脇をしっかり締めて、両手を鉤手にしておこと。

相手の正中線に押し込むときは、腕だけではなく、腰で支えるようにして押し込むと力がいらないし、下から上に持ち上げるように押し込める。

来月12月3日に私の1級の試験が、12月1日に息子の6級の試験があることを、道院長に告げられた。3級から1級までの技をきちんと覚えていないので、あと1ヶ月でしっかり復習しなくてはいけない。

ついでに、初段の受験についても説明を受けた。まだ、黒帯をもらえるレベルとはかけ離れていると思うし、ほとんど技の名前と技が一致していないのに、大丈夫なんだろうか。初段受験は来年の初夏あたりになるのだろう。たぶん6月ごろだ。

そうそう、昇級試験の時の宿題の内容が今回から変わったので、夏休みに用意しておいた作文がひとつも使えなくなってしまった。最悪だ。

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収入

「紳士は別れた女とお金の話はしない」という格言を村上春樹氏はつくったが、私は紳士ではないので、昼休みに同僚と給料の話をした。しかも、大声で。

私の年収を告げると、先方に「それは税金を引いた額ですか」と聞かれた。

ちょっとショックだった。

同僚は、仕事が終わったあと、塾で教鞭をとり、さらに、ペーパーカンパニーを経営しているそうだ。基本的に赤字なので、節税対策になっているという。本当にエナジェティックな人だ。敬服する。

私はというと、祖父が怠け者だったので、遺伝的にがむしゃらに働くのできない質(たち)である。同僚の言葉に奮起して、アルバイトをして年収を増やそうという気持ちになったかと言うと、そういう気はさらさら起きなかった。

ほんとうにこれ以上働きたくないし、労働時間を増やすくらいなら、今の年収で我慢するほうがましだと思っている。

きっと、私(もうすぐ40だ!)は、今どきの若者と似ているのかもしれない。他人にどれだけ迷惑をかけても、自分がやりたいことだけをやって楽しんで生きていきたいのだ。

「苦労は買ってでもしろ」という教訓を先人は残してくれたが、私なら、「苦労は金を払ってでもするな」という教訓を残したい。

話は一気に飛ぶが、来年ほぼ確実に民主党が政権につくだろう。もちろん、日本の話である。ニュージーランドも政権交代が起きたそうだが、政権交代が地球規模で起こりつつあるのだろう。

今度の総選挙の与党と野党の対立の争点は、増税して予算を増やすのか、それとも増税はせずに予算を組み替えるのかということである。

霞ヶ関の役人は、今民主党にすり寄ってきているらしい。それくらい自民党は見放されているわけだ。

自民党は民主党を攻撃する際に、政権担当能力のなさを指摘するが、自民党の議員には政策立案能力はなく、これまで官僚におんぶにだっこだったのだから、それを言うならむしろ自民党の政権担当能力のなさのほうが問題になる。

民主党が高速道路の料金の無料化をマニフェストに書いたとき、自民党はありえないと言ったが、いまになって半額だの、一律1000円だのと言っている。つまり、増税をしなくても予算の組み替えができるということを自ら証明してしまったわけだ。

それに、定額給付のバラマキは、政策とは呼べないほどお粗末である。この無能さは、救いがたい。

そういうわけで、民主党政権が誕生することはほぼ確実なのである。

全世界的に、景気が回復し、予算が増えるということはなさそうだ。ならば、予算を組み替えていくしかない。世界経済がそういう方向で行くなら、国家も家庭もそれに同調していくしかないと思う。

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日本の安全保障

アメリカがオバマさんを大統領に選んだということは、経済だけではなく、政治が内側を向くということを表していると捉え、安全保障面で日本は危険にさらされると警戒する向きもある。

オバマさんを好意的に迎えない人は、ブッシュ政権の時は、アメリカは「世界の警察」を担おうとしていたことを評価する。

しかし、実態は、ブッシュ政権下のアメリカは「世界の警察」ではなかった。彼らはそれをわざと見落としておいて、オバマでは日本が危ない。自分たちの身は自分たちで守ろう。だから軍事費を増やせと主張する。

オバマさんは、そういう軍産業界のコングロマリットをどうしようと考えているのかわからないが、石油業界にどっぷり浸かっているブッシュのようにはならないだろうと思う。オバマさんは世界の権力バランスを上手にとろうとするのではないかと思う。

少なくとも、日本にとって北朝鮮は脅威ではない。

日本にとって脅威なのは、中国だけである。しかし、中国も日本がいなければやっていけない国になっている。軍事力で日本を臣下にするようなまねもできない。だから、軍事力では、21世紀の政治はまったく動かない。それはイラク戦争が証明したとおりである。

アメリカという警察が引っ込めば、悪者が跋扈する時代になるということはない。むしろアメリカが「悪の枢軸」を作った悪の張本人だったのだから。悪役の元締めが引っ込んだことを困ったことだと考えるような趣味は私にはない。

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騙され続けて

私はこれまで何度も何度も騙されてきた。だから、騙されるのに馴れてしまった。けれども、やはり人一倍騙されたくないという気持ちが強い(もちろん、世の中には騙されたことがない人のほうが少ないのかもしれない)。

私の騙された初期の経験は、親が関わるものが多い。

たとえば、文学全集。昔はセールスマンがやってきて、むりやり百科事典のたぐいを押し売りしていくことが多かった。業者は、家にたくさんの本があれば、本を読む子供になりますよと親を説得し、親はまんまと騙されたわけだ。私はその後その全集を1冊も読んではいない。親は、その全集を飾るために部屋を改装し、作りつけの本棚までつくった。誰にも読まれることなく、背表紙の日焼けだけが進んでいる。

次は、真向法の本だ。これは親とは関係がない。真向法とは体を柔らかくするための秘技である。体の硬い私は漫画雑誌でその本を通販で注文した。ところが、届いたのは、値段の割にはあまりに薄っぺらな小冊子。ページを開いてみると、両脚を思いっきり広げた醜いオヤジが上半身裸で写っている。オヤジによると、「毎日1ミリずつ広げていけば、最終的には、私のように180度開脚することができる。これが秘訣だ」そうだ。騙されたことを悟った私は、その場でただひたすら呻るしかなかった。

次に騙されたのは、大学受験の時である。呼び鈴が鳴るのを聞いて、玄関に出た父は昔の知り合いに再会した。知人を家に上げて話を聞くと、いまは受験教材のセールスマンをしているという。私はその教材を見せられた。その男は私に、マラソンランナーの増田明美さんが、これを勉強して早稲田大学に入学したという話をして、教材に目を通している増田さんの写真を見せた。その当時私は、スポーツ推薦という制度があることを知らなかった。スポーツ選手でもみな受験をして実力で大学に入っているのだと信じていた。ナイーブだった。

教材価格は5教科すべてそろって50万円。50万円で大学に合格できるのなら安いものだ。紙の質もよいし、カセットテープまでついている。私は別に必要なかったけれども、父の知人はなかなか帰ろうとしないし、父親も面倒くさくなって、買わされてしまったのだ。結局、それも私は一度も勉強せず、別の安い問題集で勉強し、大学に合格した。この教材は、しばらく実家の倉庫に置かれていたが、さすがにもう捨ててしまったはずだ。

結婚する前にクルマを買った。お金がないので、中古にしたのだが、それが見事に事故車だったのだ。たった1年半で走行距離は2万キロ。ちょっと乗りすぎだし、1年半で手放すのは少々おかしいとは思っていた。ある日、掃除をしていたときに、シートの下にフロントガラスの破片があるのを発見した。別の日には、命を危険にさらす恐ろしい目にあった。交差点で右折するときに、アクセルを踏んでもギヤをニュートラルにしたときのように、エンジンの回転だけが上がるが、タイヤが回らないのだ。すぐに修理に出したが、それでも業者が、事故車ではないといっていたのを信じていた。そのクルマは5年乗って、やっと手放すことになった。中古車買い取り業者に出張見積もりを頼むと、フレーム自体を修理した痕跡があることをすぐに発見され、事故車であると正式に認定された。1万円程度なら買い取れると言われ、愕然とした。5年間騙され続けていたのもショックだったが、事故車ということがわかっていたのなら、もっと安く買えたということを知って、本当にがっかりした。

それからは、英語学習の教材や専門分野の本。さんざんろくでもないものを買わされた。どれかひとつを例に挙げる気にもならないくらいだ。

それ以外にも、ここには書けないようなことも多数ある。

結局、人は何度も騙されて、賢くなっていくのだろう。最初から賢い人はそうはいない。

賢い人というのは、過去に何度も人に騙され、失敗してきた人のことを指すのかもしれない。

その意味では、私は相当に賢い人間なのだと言える。

いやはや、それにしても、いつまで私は騙され続けるのだろうか。

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リッター122円

図書館に子供たちを連れて行くついでに、ガソリンを入れてきた。リッターあたり122円。ずいぶん下がったもんだ。(ガソリン価格が上がったからといって燃費のよいクルマに乗り換えずに、そのまま乗っていた人が結局は得をしたというわけか。時代の潮流におぼれないようにしないとやっぱり駄目だよな。)

以前、120円くらいまでは下がるだろうという予想を書いたことがあったが、この勢いだと年末までにさらに20円近く下がって100円になってもおかしくない。

最近、アメリカの大統領選挙関連報道に押されて日本の解散総選挙の話題が吹っ飛んでしまった。解散は来年になるらしい。そのせいで、多くの人たちが関心を失い、与党への期待はますます薄れるばかりだ。

そういえば、うちは定額給付で6.4万円もらえることになっている。もちろん年金や税金の支払いのためにプールしておくつもり。その分、我が家の食卓が豊かになるわけでも、外食や旅行が増えるわけでも、新たに家電を買うわけでもない。

残念ながら、麻生さんが期待しているようにはいかないのですよ。会社を経営していた人とは思えない、アホさ加減ですねえ。

前にも書いたと思うけど、どうせバラマくなら、一世帯に1000万円くらい配ってくれなければ、お金を使う気になんかなりませんって。あまりに非現実的だけども。

大風呂敷を広げるとしたら、太陽光発電と電気自動車の普及に力を入れるとか言ってくれれば、少しは状況は変わると思うけど、大人一人に1.2万円程度配るだけとか、高速道路料金を一律1000円にするだなんて、その場しのぎの一過性の対策では、ほとんど何の効果もないだろう。

一番現実的な公共事業としては、電柱の地中化がある。それを全国で進めれば、作業現場で働く人たちも仕事が増えて喜ぶ。風景も見苦しくなくなり、歩道や自転車も整備できるし、電柱にぶつかって死ぬ人も減る。そういうことすら提案できず、秋葉原へいって演説をして、空気の読めないところをオタクたちに笑われているんだから、情けない「ローゼン閣下(笑)」だよなあ。セメント屋、がんばれ。

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ママさんバレー

今日は、妻のバレーボールの試合があるので、午後まで妻がいない。

子守で忙しくなりそうだ。

昼飯も私がつくることになっている。

脚の調子もよくないので(シンスプリント)、走りにも行くこともできない。

試合を見に行っていいかと妻に聞いたら、すげなく断られた。

弱いチームだから、恥ずかしいのだそうだ。

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アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

町山智浩、『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks) 』(文藝春秋、ISBN-13: 978-4163707501、2008/10/9)

この本と併せて、以下の町山さんの出ている回のヴィデオ・ニュースを見ると、アメリカという国がどんな国かよくわかってくる。アメリカ人は、日本に特殊な国というレッテルを貼るのが大好きだが、アメリカも相当に特殊な国である。もちろん、どんな国も特殊なのであって、「ふつうの国」というのはどこにも存在しない。だいたい外国を特殊だと思い、自分の国がふつうだと思っている人は、田舎者である。そういう人間がアメリカには半分住んでいる。彼らが読む(読める)のは、せいぜいローカルなタブロイド新聞程度。地元のことしか関心がないのだ。インターネットにアクセスできても、時事ネタのチェックすらしようとしない。想像以上に情報音痴な人ばかりなのだそうだ。彼らは、どうしてイラク戦争が起こったのか、自分たちはどんなひどいことをしているのかすら知らないイノセントでナイーブな人たちなのだ。

しかし、アメリカでは、あと30年ほどで、白人がマイノリティーになる。白人は、高卒で低所得層の割合が高くなり、知識階級はアジア系が占めるようになっていく。確実に、アメリカというのは、WASPの支配する国ではなくなる。だからこそ、雑種のオバマさんが次期大統領に選出されたのだろう。

「雑種」というのが、今後のキーワードになるのかもしれない。

アジア人というのは、キリスト教とは関係のない世界に住んでいる。キリスト教のベースはユダヤ教であり、イスラム教とは兄弟関係にある。いずれ、それらの一神教的世界観が支配力を失い、仏教的な世界、雑種を容認する文化が、アメリカを覆い尽くす時代がくるのかもしれない。

町山さんは、アメリカはもう二度とベトナム戦争の二の舞であるイラク戦争のような戦争をしないと預言する。それはお金の問題だけではなく、文化が変わるせいだ。日本的な「和」の考え方がアメリカの何割かの人間に受け入れられて、アメリカ人の考えの一翼を担う時代がもしかしたら近いのかもしれない。

アメリカは自らが広めたグローバリズムで、自らを沈めてしまった。その状況をオバマさんはどう打開するのだろうか。単に内向きの政策に180度方向を変えるということにもならないだろう。

今後、世界にとって明るい未来が待っているのかどうかわからない。ただ、時代は大きく変わることだけは確かである。

オバマさんは、娘との約束通り、ホワイトハウスに犬を迎えると述べた。犬は、「雑種で、アレルギーを起こさない」ようなものにしたいそうだ。これはオバマ政権以降のアメリカの姿の象徴になるのだろう。

5金スペシャル映画とイラク戦争と大統領選挙 - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局

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尻をぺろん

女性警察官の尻をぺろん 知らずに触った会社員逮捕 - MSN産経ニュース

「ぺろん」という擬態語は『広辞苑』にも載っていない。「ぺろり」とか「べろんべろん」なら載っている。

「ぺろり」から類推して、舌を使ってお尻をなめたのかと思ったら、ただ手で撫でただけという。いったいこの見出しを付けた産経の記者はどういう言語感覚の持ち主なのだろうか。

追記:一日考えてやっとわかった。この「ぺろん」というのは、スカートかパンティーを脱がす動きを形容したものなのかもしれない。

でも、やらせのアダルトビデオじゃあるまいし、そんな芸当を通勤の満員電車のなかでできるものなのだろうか。せいぜいスカートの上から触ってお尻の形を確認するのがやっとであって、パンツを脱がせたり、その中に手を入れるなんて困難なのではないか。実証することができないのは至極残念だ。

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マケインさん

Jpreuterscom

 

無意味な戦争と金融メルトダウンを引き起こし、数え切れない数の無実の人を犠牲にした、史上最悪の大統領ジョージ・W・ブッシュのせいで大統領になれなかった男がマケインさんだ。本当に同情する。

それにしても、いい写真だなあ。合成写真かと思ったけど、そうではない。オバマさんのお尻を触ろうとしているわけでもない。

オバマさんとのディベートを終えた後で、帰る方向を間違えそうになったときの反応だそうだ。

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アンケート

マーケティングというのは奥が深いらしい。

自社が開発した新製品が売れるかどうかや、企業に対する満足度を調べるアンケートを行うところが増えているが、顧客の言いなりになっていたり、その結果を素直に受け入れていると、たいていの場合失敗するそうだ。そういう企業は顧客に甘えているということに気づいていないのだ。

これは大学の授業評価にも当てはまる。

私は授業のアンケート結果を一切考慮しない。完全に無視している。

大学指定のアンケートに頼らなくても、自分で調査はできるし、たいていの場合学生の質問(の内容や仕方)や、顔の表情や口調で、授業の満足度が手に取るようにわかる。

そういうことは言葉で表現することはむずかしい。数字ベースのアンケートのような粗雑な調査では、重要なことはすべて見落とす結果になる。

教員が学生との一回一回のインタラクションの中で反応を分析していれば、そこそこうまく授業ができるものである。

自分の頭でものを考えず、役人や学生の言いなりになると、駄目な授業の見本のようなものになってしまう。

アンケートというのは、学生や顧客のためのような顔をしているが、実は、かえって彼らのためになっていない。

それに気づかない企業や学校はどんどんだめになっていく。

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シンスプリントかも

雨が上がったので思い切って走りに出かけた。しかし、500メートルも行かないうちに、前回と同じ痛みをスネの外側に感じ、それ以降ほとんど走れなくなった。結局1.5キロ程度を走っただけで、後は歩いて帰ってきた。

調べてみたら、この症状は「シンスプリント」と呼ばれるものであるらしい。急性の場合は、少なくとも1、2週間は運動を休むか、別の種類のスポーツをする必要があるという。

急激に走行距離を増やしたことが最大の原因だろう。ふくらはぎの力が強すぎて、スネの筋力とバランスが悪いのかもしれない。

ということで、1週間ジョギングを休むことにした。

メルクマニュアル家庭版, シンスプリント 75 章 スポーツ障害

ジョギング・マラソンを始める前に - [ジョギング・マラソン]All About

スポーツの鉄人に聞け! - Q&A集|運動量の急増によるシンスプリント

ベテランランナーの友人に相談したら、冷却と保温を繰り返して、筋肉をストレッチをしていれば、早ければ1週間、遅くとも2週間で治るという。

レースに間に合うだろうか。ちょっと心配だ。

この痛みは、普段の生活ではまったく感じない。階段を上るときも下りるときも、歩くときも。ただ、走るときだけに感じる種類の痛みなのだ。

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今朝は雨。ジョギングに行けないのが残念だ。

明日(土曜日)の午後、仕事から帰ってきてから走りに行けばいいか。

11月の走行距離の目標である200キロ達成はやはり非現実的。

レースまであと4週間。残りのトレーニング期間は3週間ということになるから、週4日、毎回10キロずつ走っても、120キロ。

11月1日から現在までの走行距離はたった31キロだから、月末まで、せいぜい150キロ走れればいい程度。

まあ、それはそれでいいだろう。休むことも練習のうち。

スピード練習は意識してやらないことにする。

5キロ27分程度で走れれば今の私のレベルでは十分だ。21キロなら2時間で走れる。

無理をせず、ひたすら距離を積み重ねていけばいい。

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自転車通勤

久しぶりの自転車通勤。疲労がたまっているのに、自転車で職場へ。交通費を浮かせるためだ。仕方がない。

この前、自転車の修理をしてもらったときに、サドルの高さを低くされていたことに気がつかず、大腿四頭筋を酷使してしまった。途中で気がついて、設定し直したから、筋肉痛にはならなかった。あぶないところだった。

昼間の気温が20度くらいまで上がったので、帰りは快適だったが、これからは朝方ぐっと冷えるようになるので、そろそろ今シーズンの自転車通勤はやめようかと思う。軟弱だけど。

ここ数日で急に体重が増えた。筋肉がついただけではなさそうだ。

人間は冬に備えて脂肪を蓄える性質があるのかもしれない。

ランナーにとって、体重の増加は致命的だ。ダイエットしなくちゃ。

実は、私はインシュリンの効きが悪い不治の病に罹患している。インシュリンは、血糖を脂肪に変える働きをするホルモンだ。だから、太るというのは、その病が改善に向かっているということなのかもしれない。

のどの調子が悪い。無理して大きな声を出すとまた潰れてしまうかもしれない。

それにしても、調子が悪い。ぼうっとしている。今日も帰宅後、退屈な夕方のニュースを見ながら昼寝をしてしまった。

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風邪気味

風邪気味のような気がする。気がするだけで、風邪かどうかはよくわからない。少なくとも疲れていることは確かだ。

昼間だるかったので、夕方、昼寝をしてしまった。稽古に行く体力も残っていない。

いま20時だが、すでにベッドの上にいる。21時くらいには寝てしまうかもしれない。

大方の予想通り、本日オバマ大統領が誕生した。小泉政権が日本を壊滅状態にしたように、ブッシュ政権がアメリカをずたずたにしてしまったことが、民主党政権誕生の大きな要因のひとつであることを疑う人はいないだろう。

ひるがえって日本だが、麻生政権はバラマキという景気対策で庶民の目くらましをしようとしている。

庶民はその政策があまりに安直であることや、与党にバカにされていることも十分に認識している。

バラマキがあっても、それに反比例して増税で生活が苦しくなることはわかりきっていることなので、これに欣喜雀躍するようなナイーブない人はきわめて少ない。

いつ総選挙があろうとも、日本でも民主党政権の誕生は99%確実である。

アメリカはオバマ政権誕生で、内向きになってくる。グローバリズムの方針を転換してくるはずである。日本も、外需依存では今後サバイヴできない。経済は国内で安定的に回せるように、構造を変えなければいけないのに、そういうヴィジョンはどこからも出てこない。

NHKで、日系ブラジル人や障害者が、どんどん解雇されている状況のレポートを放送していた。いつ自分が同じ目になるか、わかったもんじゃない。

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ジョギング9キロ

両足のすねの外側がつっぱってきて、走れなくなった。

触るとカチカチになっていて、指で押してもへこまない。何度か立ち止まって伸ばしてみたのだが、よくなる気配がない。

最後の2キロ地点で500メートルほど歩いてしまった。

しばらく歩いているうちに、走れそうな感じなってきたので、そのあとはがんばって最後まで走った。

今日は9キロで終了。

走行時間52分07秒。

調子が悪い理由がさっぱりわからない。

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那須塩原

昨日、那須塩原に日帰り旅行に行った。運良く、息子の通う小学校の振替休日と、私の休日が重なったからだ。

早朝の4時半に起き、5時半出発。そんなに早く出発したのはETCの早朝夜間割引を受けるためだ。浦和から、西那須野塩原までの正規の料金は、3550円。ところが、いったん栃木で下りると、1050円になり、そこから入り直して西那須野塩原までいくと950円。合計2000円ですむ。

ETC割引の裏技で得する方法

帰りは、20時までに西那須野塩原に入ったので通勤割引を受けるために、羽生でいったん下りて、2600円(浦和を22時以降に出れば2500円になった)。

上河内SAで軽食(牛すきまん)をとって時間調節をしたので、西那須野塩原に着いたのは8時少し前。千本松牧場には8時5分くらいに到着。風が強い上に、寒い。気温は5度前後。当然だが、平日の朝、そんなに早い時刻に牧場で遊んでいるような客はいない。土産物屋を見るだけで、引き上げた。

Senbonmatsu

その後は、塩原アグリパルへ行き、蒸かしたてのまんじゅうを食べ、とれたての新鮮野菜(やつがしらなど)を購入。

そこで時間をつぶしている間に、9時半になったので、今回の主要な目的地の一つである那須ガーデンアウトレットへ。5分前に到着。まるでデートの待ち合わせをしているかのような正確さだ。

アウトレットというのは、要するに売れ残りの吐け口。性能の面で正規品のならなかったB級品やら、季節はずれのモノやら、廃番品ばかり。

もちろん質のよいモノは探せばあるのだろうが、どうもいろいろみた感じでは、近所のショッピングモールで買い物した方がよいような気がする。値段もお手頃という印象ではない。

買い物客を見ていると、大きな袋を下げている人はほとんどいない。

屋外には遊具のある公園、屋内には三輪車を乗り回せる場所があったので、そのふたつで子供たちをたっぷり遊ばせた。その間に、妻と二人でクッキーシュークリームをひとつずつ食べた。卵がたっぷりはいっているらしく、色も味も濃厚でうまい。

昼飯はフードコロシアム内の「加秀」というラーメン屋にて。予想外にうまかった。たまご麺と、甘みのあるスープの組み合わせは絶品。

おみやげには、ロコ・マーケットで地元産の野菜(白菜150円、大根100円)と、バームフーヘンのSサイズ(1050円)などを買った。

その後は、那須湯本方面に向かって、途中の「フィンランドの森」のパン屋でクロワッサンと私の好物のプレッツェルを購入し、みんなで食べながら、ボルケーノ・ハイウェイを登った。風が強かったために、ロープウェイは動いていなかった。観光客もほとんどいなかった。頂上の駐車場で記念撮影。気温は3度。震えた。

Nasudake

ふたたび塩原に戻り、TEPCO電力館に寄ってから、千本松牧場でおみやげ(ソーセージなど)を購入し、温泉へ。

温泉は、みかえりの湯へ。3年ほど前に一度訪れているのだが、塩原にあるほかの日帰り入浴施設を知らないので、仕方なくそこを選んだ。泉質はふつう。塩原はアルカリ性が強いはずなので、たいていの温泉では肌がつるつるするはずなのだが、そこはそういう感覚は感じられない。料理はきわめてひどい。3年前に豚丼を食べたが、まさに豚のえさ並。

入り口近くに喫煙コーナーがあって、非常に煙たい。同じ敷地内に併設されていたレストランもつぶれていた。客のニーズをわかっていないせいだろう。

ただ、大人が700円、子供が400円と料金は割安。しかも割引券を使えば、大人が100円、子供が50円引きとなる。今回は、店の人が料金を間違え、500円も得した。

湯を出た後、そこでまずい食事を食べるのはいやだったので、アイスクリームを食べただけで、近くのガストへ。安い料金でたらふく食べられて、満足した。

帰りの運転は妻に任せ、私はナビゲーター役に徹した。

アレルギー症状が悪化していた息子が途中で嘔吐してしまい、どこかのPAで休憩。

それで妻のイライラが募り、制限速度を超えたスピードを出し続け、予定時刻より15分早く21:30に帰宅した。

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ジョギング13キロ

今朝、13キロを1時間13分03秒で走ってきた。キロ5分35秒くらいのペースか。前半とばしすぎて、中盤がきつかった。

帰宅後、図書館へ寄ってから、メガネを作りに。視力を測ったら、両目で0.5しか見えていなかった。

フレームは携帯電話のアンテナの素材を使用したもので、折り曲げても折れない。レンズは上から2番目の高級品。中心部も薄いし、撥水コーティングが堅いらしい。値段は書かないが、予想外に高かった。眼鏡市場なら、20000円でおつりが来たはずだが、まあいいか。高いほうが、長持ちするだろう。

眼鏡を作り替えるたびに思うが、レーシックの手術を受けた方が、いいのかな。サングラスだってかけられるし。

昼飯は自宅に帰ってから食べた。これからタンパク質を中心に摂るダイエットを始めようと思う。体重が減ると、酸素を取り込む力が増えてスタミナがつくと、図書館で座り読みした雑誌に書いてあったからだ。

久々に洗車。自分でポリマー加工しているので、シャンプーだけすればいい。でも、夏と違って、水滴がなかなか乾かないので、大変だった。

気分転換に、3時頃、息子と一緒にポタリングへ。ところが、急な坂を上ろうとした瞬間、チェーンがぶち切れた。自宅から3キロほど離れた場所だったので、そこから歩いて帰るはめになった。とほほ。

帰りに、身の程知らずの不良の下品な兄ちゃんに、チェーンが切れていることをあざ笑われた。私もぶち切れそうになったが、息子がいたので、ぐっと堪えた。もし息子がいなかったら、一発で再起不能にしていただろう。武器を使わなくても、そういうことができる人が世の中にはいるのだから、他人をあざ笑うようなことは、自分の命を縮めることになるだけだと言うことをよく自覚しておいた方がいい。

我が家の近くには、大通りがあって、その南側の地域には、生活レベルと知的レベルの低い人たちが多数住んでいる(私はまっとうな差別意識をもつ人間である)。

そちら側の公園に行くと、小学生の女の子が、おやつにもってきたお菓子の袋を、ポイポイと捨てていく様子を見ることができる。言葉遣いも急に乱暴になる。駅から遠いところというのは、全国どこでも、そういう傾向があるのかもしれない。

自転車(ダホーンでございます)のチェーンはさすがに自分では修理できないので、帰宅後、折りたたんで、クルマに積んで、近くの自転車屋へ持っていった。最初、店の人はそのままチェーンをつないでくれたのだが、上の段のギアが使えなくなってしまうので、シマノのチェーンに取り替えてもらった。ややブラウンがかった色で格好いい。ブレーキも調整してもらった。しめて3165円。予想外の出費になった。

愛車を買った自転車屋は技術がなく、何を言っても直してくれないので、今はもう行っていないことを店の人に話したら、いろいろと丁寧に調整してくれた。その人によると、全体的な調整がめちゃくちゃだったそうだ。ブレーキのワイヤーやシフトワイヤーも短すぎ。リアディレイラーの調整もできていなかったので、チェーンが切れたって当然なくらいだ。

高い出費だったが、これで安心して自転車に乗れる。もし、自転車通勤の途中にチェーンが切れたりしたら、最悪だ。そうならなくて、本当によかった。

チェーンを切る?:サイクルベースあさひ

Vブレーキの片効きを直す方法:サイクルベースあさひ

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つかみ合い

先週の午前中、妻が大変な場面に遭遇した。

その日は、週に一度の次男の就園前クラスの日で、妻は次男を自転車に乗せて連れて行った。

大変な場面に遭遇したのはその帰り道だ。

道ばたで女子高生がお婆さんの胸ぐらをつかんでなにやら叫いている。

お婆さんはすっかり怯えきっていた。

妻は恐がりだから、声をかけることもできない。きっとその二人は祖母と孫の関係で、女子高生は学校をさぼったので、祖母に叱られ、逆上していたのではないかと勝手に推測し、そういうことには関わり合いになるべきではないと判断して、そそくさとその場を離れたのだ。

お婆さんはその後どうなったのか心配だ。少なくとも、「どうしたんですか」くらいは声をかけてあげるべきだったかもしれない。

しかし、まずは他人を守るより、自分自身と子供の命を守ることが先だから(これは決してエゴイズムではないし、自己を犠牲にすることは安易に賞賛されるべきことではない)、そういう行動をとったことで妻を責めるわけにもいかない。

その話を聞いた晩、胸ぐらを捕まれた場合にどう対処するかということを、妻に教えてあげた。技をかけられた妻は、当然のことだがものすごく痛がった。そういう痛みを与えられると、とたんに相手は戦意を失ってしまうから不思議だ。

少しでも武術の心得のあるものなら、不用意に信頼できない相手の体に触れたりすることはない。ましてや、胸ぐらをつかむなどということをしたら、一発で倒されてしまうから、武術家ならそんな迂闊な行動は絶対にとらない。

武術を習うと、喧嘩ができなくなる。そういうことは習う前には夢にも思わなかった。

本物の軍人は、戦闘を最後の最後まで回避し、自分が反感を持つ相手さえ批判しない。昔の会津藩のサムライがそうだったそうだ。それは彼らが戦うということはどういうことかをよく知っていたからであろう。

外国に少しでも不当な扱いをされると、急に愛国者面して、キャンキャンと吠えるヤツがいる。それは偽物の愛国主義者である。しかし、彼らは武術を習ったことすらないナイーブな連中なのだろう。武術を習っているうちに、そういうことの軽薄さが実感を持って認識できるようになった。

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ランナーの食事

2ヵ月半の準備期間でフルマラソン挑戦!1 - [ジョギング・マラソン]All About

食事に関して、ランナーが気をつけなければならないのは、タンパク質、ビタミン・ミネラル補給、水分補給の3つ。

タンパク質は動物性も植物性もまんべんなくとらなければ、「アミノ酸バランス」が悪くなる。肉も豆腐も卵も大事というわけ。

摂取のタイミングも大切で、運動が終わった5~10分後と寝る直前がベストだそうだ。

この1ヶ月で脚がどんどん太く引き締まってきた。10キロ程度走っても、脚が痛くなることもない。人間の体というのはすごい潜在力をもっているものだと改めて驚く。

20キロを走りたければ、実際に20キロを走ってみる。キロ4分台で走りたければ、キロ4分台で走ってみないといけない。自分で限界を定めてしまってはいけないのだそうだ。

ランニングというのは、目標を一つ一つクリアするたびに、目盛りがカチカチと上がっていくのを実感できる。運動が苦手だと思っていた人には最適のスポーツだと思う。たいてい運動が苦手という人は、私もそうだが、ボールの扱いが苦手なだけなんだよね。

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メガネ屋

夕方、ひとりで、もう一軒、メガネ屋さん(ベストメガネ)に行ってきた。

ナイキのFLEXONが基本セットで21000円。

私の場合はもっとも薄い高級なレンズを使用するので、30000円くらいになってしまう。

それなら、やはり、先日見せてもらった携帯電話のアンテナ素材を使用したもの(24000円@ビジョンメガネ)にしたほうがよさそうだ。

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ジョギング9キロ

走行距離:9キロ。
走行時間:48'30"54。

今朝の気温は10度。長袖長ズボンのジャージを着用し、自転車で伴走する息子と一緒に川沿いの砂利道を走ってみた。

砂利道はアルファルトよりも反発力がないので、スピードが出ない。でこぼこに足を取られ、体が左右に揺さぶられる。去年ジョギングを始めたばかりの頃は友人の薦めで土手をよく走ったが、シューズが汚れるので、このごろはめっきり走らなくなった。

本日は、体幹を意識して走ってみた。着地の時に、自分のつま先が見えなかったので、私は「体幹ランニング」(by 金哲彦氏)が実践できるようだ。

後半はいつものサイクリングロード。最後の3キロはキロ5分ペースで疾走。全力疾走できる限界は、数週間前は500メートルくらいだったが、今日は3キロに伸びた。本番前に、最低でもその距離を5キロに伸ばしたい。

「体幹ランニング」で反発力を生かした走りを心がけたので、ふくらはぎは痛くならなかった。

帰宅後、ショッピングモールへ。ペ・ヨンジュンさんがイメージキャラクターをつとめる眼鏡市場に行ってみた。チタン素材のものが18900円(税込)で買えるのは驚きだ。ただ、形状記憶のものは完全に金属製。この前見た携帯電話のアンテナの素材とは違うので、今回は購入を見送った。

自転車屋ものぞいてみたが、Vブレーキ用の部品が1000円もするので、これも見送り。角度を調整して、もうしばらく乗り続けよう。

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バラマキ

麻生さんのバラマキ政策は経済効果がまったくない。点数を付けるなら10点である。10点の根拠は、笑わせてくれたからである。

まず、住宅ローン減税だが、これは高所得者層だけが恩恵を受けるものであり、年収400~500万円程度の庶民にはまったく意味がない。むしろ、今後も不動産価格が下落し続けるので、それを待ったほうが遥かに節約になると経済評論家の荻原博子さんは言う。つまり、いま住宅を購入する人はバカと金持ちということである(笑)

高速道路も休日どこまで行っても1000円というのも、漫画みたいで笑える。期間限定で30%オフとか、50%オフにするというのならわかるが、1000円の定額料金では携帯電話の料金設定みたいだ。

そんな料金では、鉄道各社が困ってしまうだろう。鉄道関連ビジネスにとっては大打撃である。さらには、高速料金が激安のうちにと思って、無駄にクルマを走らせる連中が集中し、各地で渋滞を引き起こし、そんな渋滞にはまるのなら、旅行は取りやめだということになりそうだ。二酸化炭素の排出量も増え、その分カーボンオフセットということで、ロシアあたりを儲けさせることになるだけである。愚の骨頂ではないか。

麻生さんの頭の中は、漫画のように単純である。誰も言わないが、ジョージ・W・ブッシュみたいに馬鹿なんじゃないかと思う。カトリック教徒のくせに、靖国神社に参拝したらもっと笑える。

「日本経済は全治三年である」というフレーズも、まったく根拠がない。知能指数が低すぎる。

麻生さんの提案する景気浮揚策を実施しても、景気は回復しないことは確実である。庶民にとっては、1992年のバブル崩壊からずっと不景気なのだ。もう16年も続く不景気が3年後に急によくなるという見込みはまったくない。

金持ちも貧乏人も一律で1.5万円ずつ与えるという案はあまりに安易で、ひどすぎる。こういう愚策はいつも公明党の提案だが、過去において、この手のバラマキで景気がよくなったということがひとつもないという歴史的事実をいまだに認めない連中はどこに目がついているのだろうか。

麻生政権は、今日本にとって何が必要かというビジョンを持たず、いま必要なのは「政局」ではなく、「政策」であると言いながら、心の中では「政局」ばかり考え、公明党に振り回されている。だから、自民党に対する支持率が上がらないのである。

急激な少子高齢化を迎えている日本に必要なのは、産業構造の改革、内需拡大、非正規雇用者の正規雇用化、グローバリズムの悪影響のミニマム化である。

麻生セメント総理の頭の中には、膨大な税金を投入して、意味のない空港や道路や建築物を建てまくれば、自分の企業の景気が回復するという思惑があるのだろうが、首相たるものは、国民の生活を本当にラクにするためにはどうすればいいのかを考え、地域に根ざした政策を施行するべきである。

たとえば、田中康夫氏はつねづね「電柱の地中化」を訴えている。それによって、廃墟に張り巡らされた蜘蛛の巣のような電線を、フォトショップで消す作業がいらなくなる。あるいは大地震で倒れて家がつぶされるという不安もなくなる。電柱に額をぶつける人もいなくなる。さらには立ちションする犬もいなくなる。

ベビーカーを押す人やお年寄りにとってはとても怖い道路の段差をなくす工事もいい。自転車用の道を作るのもいいだろう。

本当に、庶民のためになる公共事業であれば、誰も反対しない。単なる一時しのぎのバラマキではなく、そういう庶民のための政策をどんどん打ち出してくれれば、それだけで日本は明るくなるのに、愚にもつかない政策ばかりで、3年後には増税だぞと言うのであれば、日本はますます暗くなる。

できるだけ早い時期に、知恵のない麻生さんは解散総選挙を行ってほしい。それが国民のため、民主主義のため、世界のためである。

大胆に申し上げるなら、日本企業は、グローバリズムをサバイヴすることばかり考えるのではなく、自国の人々のためになるような方針転換をすべきである。

国を愛すということはどういうことか、ということを経営者はきちんと考えてほしい。小学校や中学校で空疎な言葉を並べて、日本を愛せと言っても、そんなことは欺瞞であるとすぐに子供たちは見抜いてしまう。

企業の経営者が、日本人のためになるようなことをしないで、日本の労働者を放置しておいて、自分たちの利益を最大にすることばかり考えているのであるから、情けない。彼らこそ愛国主義教育が必要なのではないか。

無能な役人の集まりである文部科学省は、どう考えているのだろうか。

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体幹ランニング

金哲彦、『「体幹」ランニング』(講談社、ISBN-13: 978-4062144216、2007/11/28)

再読中。

昨日のランニングで、腕をうしろに大きく振って走ったらスピードが乗ることに気づいた。これがいわゆる「体幹ランニング」なのかもしれない。

しかし、まだ私は体幹を有効に活用できていない気がする。走り終わったあと、ふくらはぎばかりが痛くなるのはそのせいだろう。

この本のキモは、「体幹を使えば、もっとラクに走れる」ということだ。

武術を習っているから、丹田と骨盤は意識できる。しかし、第3のポイントである肩胛骨は今まで今ひとつ活用できていなかった(現在完了形)。

この本でも、フラットに着地し、地面からの反発力を有効に利用するという走りが勧められている。私にもそれはできる(と思う)が、しばらく続けていると疲れてくる。しかも、靴がへたってきているせいか、すぐに反発力が感じられなくなってくるのだ。

「体幹ランニング」なら疲れないというのであれば、私の走りは、やはり少し違うのだろう。

自分の走りを第三者の目でチェックしてもらうために、ランニングスクールのようなところに一度参加してみたほうがいいのかな。

着地に関してこう書いてある。

 ポイントは、着地した足の真上に、骨盤から上の上半身をまっすぐにのせること。これさえできれば、ふくらはぎで強く蹴り出さなくても、体は、自然に前へ前へと運ばれます。

 自分の足下を見ながら走ってみてください。足の上に体がまっすぐにのっていれば、着地したときに自分のつま先が見えることはありません(88頁)。

よし、今度これを試してみる。

来年の夢を語ろう。

ハーフマラソンで2時間を切れるようになったら(理想は1時間50分くらい)、フルマラソンにも挑戦してみたい。

11月のトレーニング目標は、キロ5分で10キロ走ること。今は10キロを55分で走ろうと思えば走れる。さらに5分縮めるんだから大変だ。

距離走は、15キロを2~3回のみに留めておく。

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