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2009年2月の133件の記事

明日から3月

自分が言おうと思っていることを、相手が全く逆に受け取ってしまい、関係がこじれて修復が難しくなくなることはたまにある。言葉を重ねてもさらに状況を悪くするだけで真意が伝わることは全く期待できない。そういう時は、じっと黙って嵐が過ぎるのを待つしかない。ただ待っていても事態が改善する保証もない。このまま最悪の結末を迎える可能性もある。ここまで落ちてしまうと、不思議と腹が据わってくる。今まで積み上げてきたものがガラガラと崩れていく音を子守歌に熟睡すらできるかもしれない。なぜ人は0か100でしか物事を捉えられないんだろう。人間とは心底愚かなものだ。救いようがない。誰かを犯人として糾弾しても気は晴れないし、何の解決にもならない。成り行き任せで、自分に送られて来た球をひたすら打ち返してラリーを続けていくしかできることはない。流れが止まった時点で人生はストップするならば、ラリーを続けていきながら残りの人生をなんとか笑って過ごしていたい。最悪の結末が予想される時でも私は笑っていたい。他人同士が理解し合うのは奇跡に近い。理解し合えないのが当たり前。1%でも理解し合うことができたら満足しなけ
ればならない。世界にはそれで満足できる人とできない人の二種類しかいない。満足できる人は幸せな人だ。人間の価値は危機に備えられる能力ではなく、危機の渦中でいかに冷静沈着でいられるかで決まるのだろう。どうあがいても、どうにもならないなら、どうにでもなれと諦めてしまえばいい。諦めることは必ずしも悪いことではないはずだ。気持ちが高ぶっている時に、是非したいのは自分を上から見下ろす視点に立つこと。宇宙から見下ろしたつもりになれば、細かいことなどどうでもよくなる。でも、それは自分の価値をゼロ評価してしまう危険性がある。そんなニヒリズムに抵抗するには自分の価値を正当に評価してくれる人間をたった一人でもいいから見つけなければならない。今のところ私には子供しかいない。今夜はそれでも幸せであると思いたい。明日から3月。

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クローゼットに漆喰

昨夜、白髪をダークブラウンに染めた。今朝鏡を見たら、光の当たり方によっては、茶色が目立つ。白髪はほとんど目立たなくなったが、茶髪の中年男になってしまった。どうせなら、アンディ・ウォーホルのような銀髪のほうがよかったかな。でも、そういうアタマだと、次男と一緒にいると、おじいさんだと思われてしまうかもしれない。

次男が4月からめでたく幼稚園(2年保育)に入園するので、制服を着させて、写真とビデオを撮っていたら、ビデオカメラの調子が悪いことに気づいた。

去年の5月に買ったサンヨーのザクティHD1000だ。被写体がほとんど静止した状態なのに、焦点が定まらない。撮った映像を見ていると、めまいがしてくる。

価格コムで口コミをチェックし、同様の不具合が出ていることとファームウェアのアップデータもないことを確認したあと、サポートセンターに電話連絡を入れると、着払いで送ってくれとのこと。この症状はよくあるものだったらしい。さっそくコンビニから宅配便で送った。

その足で、ホームセンターに行って、漆喰を買ってきた。

我が家は気密性が高いので、冬になると、北側の寝室の窓は結露がひどく、外壁に面しているクローゼットの壁面の一部にはカビが生えてしまう。その部屋には家族4人で仲良く寝ているので、みんなの寝息で湿度が上がるのだろう。

以前、南側の子ども部屋のクローゼットに珪藻土を塗った。あれ以来一度もカビは生えていない。クローゼットの中は常にさらりと乾燥しており、湿気がたまることがない。珪藻土の除湿防カビ効果は大きいのだが、準備がけっこう面倒。バケツに珪藻土と水を入れてヘラでかき回して30分ほど待たないと使えないのだ。しかも、あまったものは使えない。

なので、今回はそのまま塗れるバケツに入った漆喰にした。一缶4000円もするので割高だが、わずか(?)1000円の差だ。バケツの気密性が高いので、残りはまた別の機会に使うことができる。

我が家のクローゼットの壁は化粧石膏ボードである。カビの生えやすい個所には、カビキラーをたっぷり染み込ませ、サビた釘にはサビ取り剤とサビ止め剤を塗り、その後マスキングテープで下処理をした。そのうえで、漆喰をセメントを塗るときに使う金属コテで塗っていった。本当は、金属のものだと、サビの原因になる可能性もあるので注意が必要らしい。でも、私のものはステンレスだから大丈夫だろう。

下の段は長男に手伝わせてすべて塗ったのだが、上の段はカビが生えやすい角の部分だけでよいという妻のリクエストに応じた。

でも、やっぱり格好悪い。漆喰も半分ほど余っているので、あとで北側の一面をまるごと塗ってしまおうと思う。

Sikkui Closet

この漆喰はクリーム色。心が安らぐ色である。本当は、寝室の壁一面に塗ってしまったほうが、結露を防ぐことができるかもしれない。それに、夜も夫婦で仲良くすごせるかも。

いずれ、お金と時間に余裕があるときを狙ってやってみようか。

6帖の部屋を全部塗るには、おそらく3万円分くらいの漆喰が必要になるだろう。

竹炭入りのペンキならその半分の出費で済む。でも、効果はほとんど期待できないだろうな。

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最適解

社員旅行でバリ滞在中の糸井重里さんは、「ほぼ日刊」のコラムの中で、最適解はないと考えたほうがいいのではないかと書いている。

 ものごとって、「動き」なんでね、
 瞬間瞬間を止めて吟味しても、しょうがないんですよね。
 「いちばんいい答え」が、
 次の瞬間からは、もう、腐りかけてることもある。
 「たいしたことのない答え」が、ふんばりとがんばりで、
 いい実を結ぶということもあるでしょう。

私も武術を習いはじめてから、そういうことが当たり前に感じられるようになった。

武術では、一瞬一瞬で動きを変えなければならない。拳の角度も、位置も、動きも、間も、何もかも状況によって変化する。基本の型のままに杓子定規な動きをしてみても、刻一刻と変化していく状況には対応できない。

人間には、自分が選んだ答えが最適解だったのかどうかを事後的に判断する能力はない。同様に、これから選ぶ答えが最適解であるということを事前に判断することもできない。人間の脳には限界がある。

糸井さんの言うように、最適解はないという考えを、対案ではなくメインのアイデアとして取り入れたほうが、世の中の窮屈さが少しは解消されると思う。

「あんたの考えより私の考えのほうが正しいんだ」と他人を糾弾しても、流れによどみを作るだけで、流れを滑らかにすることには一切貢献しない。自分のほうが相手より1%分正しかったと言い張っても大したことではない。

流れを止めないこと。成り行きまかせで動くこと。それで十分なのではないか。

バリのようなところへ行くと、アジア的な世界観を自然に受け入れられるようになるのだろうな。

日本の政治家たちも、国会議事堂で惰眠をむさぼるくらいなら、バリに行って昼寝をしていたほうがはるかに生産的かもしれない。

国防問題にも少子高齢化対策にも経済対策にも教育問題にも、最適解はないと考えておいたほうが、楽だね。実際、最適解なんて、ないんだもん。

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小沢発言の真意:在日米軍基地縮小

民主党の小沢一郎代表が「米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分」と発言したことに関して、与野党で議論が活発化している。

軍事の専門家によれば、小沢さんの考えはアメリカの今後の軍事戦略に沿った考えであり、どう見ても小沢さんに分(ぶ)があるとのこと。

第七艦隊のある横須賀は、軍艦の整備能力が極めて高く、ハワイやアメリカに引き上げなくとも、日本で整備するほうが便利であるからアメリカとしては残したい。

空中給油の技術が発達したので、アメリカから2日もあれば、何百機もの戦闘機を結集させることも可能であり、莫大な費用を掛けて日本に軍隊を在留させておく必要がなくなった。コスト削減の一環として、アメリカとしてはぜひとも日本におけるアメリカ軍のプレゼンスを縮小したいと考えている。

だから、小沢発言というのは、アメリカの考え方にきわめて近いものであり、それを批判する与党のほうが滑稽なのである。与党が抱えているような御用学者の頭の中は、冷戦時代のまま一歩も進んでいない。

無論、小沢発言は、自衛隊とアメリカ軍との連携を解消し、自衛隊だけで日本を防衛すべきであるということを意味してはいない。アメリカ軍との軍事訓練を継続して行っていくやり方はまったく変わらないのである。だから、日本の軍事費が急に増えるというわけでもない。

とにかく、技術が高度に発達したこと、それから中国とロシアの脅威がなくなったこと。この二つの条件を考慮に入れると、コスト削減のために、アメリカ軍はぜひとも日本から撤退したいというわけだ。

ただ、唯一の問題は北朝鮮である。「北朝鮮が崩壊し、朝鮮半島が統一された暁(あかつき)には」というのが小沢発言の前提になっているのである。

自民党は、小沢発言を民主党の政権担当能力を疑問視するための格好の攻撃材料として使っているらしいが、これは逆に自民党の政権担当能力のなさを露呈してしまっている。

テレビではどう報道されているのか、私はテレビを見ていないので、さっぱりわからないが、マスコミ各社も頭が古い人が多いので、小沢批判ばかりしているのかもしれない。

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我思うゆえに我ありか?

je pense, donc ça se pense (内田樹の研究室)

内田センセイがまた面白いことを書いている。

武道というものは主体の存在を疑い、存在を消す作法を身につけることだという。

武道とは、「杖」や「剣」や「素手」を使って相手を倒したり、それで勝敗を決めて楽しむためにあるのではない。

武道の目的は、「自己は身体を操作する主体である」という立場から脱却することなのである。

(杖道の稽古における)当面の課題は「刃筋が通る」というのはどういうことかを実感することである。
それは要するに「剣には剣固有の動線があり、人間は賢しらをもってそれを妨げてはならない」ということに気づくということである。
自分を主体として立てて、剣や杖を対象的に操作しようとしてはならない。
剣や杖には、それぞれ「お立場」というものがある。
だから、それを尊重する。
私自身の筋肉や関節や腱や靱帯にだって、やはり「お立場」というものがある。
だから、それを尊重する(しないとあとで痛い思いをする)。
そんなふうだから、武道の稽古をしていると、あちこち気を遣う相手ばかりで気疲れしてしょうがない。
だが、そうやって剣やら杖やら体術の相手やら自分の身体各部やら、すべてのもののはたらきを妨げないように気を遣っていると、「そもそも、この『気を遣っている』主体というのはどこにいるのか?」という深甚な疑問に逢着することになる。
主体って何?
武道はこのデカルト的省察をデカルトとは逆方向に進む。
「我思う」ゆえに「『我』在り」ではなく、「我思う」ゆえに「『思う』あり」の方に分岐しちゃうのである。
術技的には、主体なんてなくてもぜんぜん困らないし、むしろない方がましだからである。
この逆説的状況に学生諸君を投じるために、お稽古しているのである。

「主体なんてなくてもぜんぜん困らないし、むしろない方がまし」。これはもしかしたら武道の稽古をしている人にしか共感できないことかもしれない。私にはよくわかる。

アタマで考えているとできなかったり、アタマで考えないとひとりでにカラダが動いてしまってうまくできたりするような経験が武道の稽古では実際によくある。

そういうときに、「自分って何? あれ、自分が自分をコントロールしているんじゃなかったの?」という疑問がわいてくる。

その体験を繰り返しているうちに、自分を自分でコントロールできていると思っていることがそもそも大間違いなのだと気づいてくる。

自己を捨て、我執を捨て、自己を超えた大いなるものに身をゆだねられるようになると、楽に生きられる。生かされているということに気づかされる。実にありがたいことだ。

内田先生はここでは書いていないが、さらにいうと、武道における究極的な目的は、「死」に身をゆだねること(を学ぶこと)なのかもしれない。

これができるようになれば、周囲から悪影響を受けることがないはずである。

周りの人間が不愉快な発言をしたり、いやみなことばかり言っていても、馬の耳に念仏で右から左へと抜けていく。だから、いつもニコニコと穏やかに笑っていられる。そういう境地に私も到達したい。

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味噌、ネギ、豆腐

Recipeある程度の数のパターンを覚えると、あとは自分で自由に組み合わせて楽しむことができる。料理というのはそういうものである。

でも、自分ではとうてい発想できないようなものが料理本を見るといくらでも出てくる。

押し豆腐をつくり、それでアーリオオーリオ・スパゲッティにするなんて、驚きである。

ウー・ウェンさんのレシピはいつも食べたいと思えるものがたくさん。しかも、使う材料が少ないのがいい。私の場合、材料の品数が多いと、それだけで作る意欲がそがれてしまう。

味噌のレシピでは、くるみ味噌バタートーストや味噌クッキーがうまそうだった。

午後、雪の中、授業参観に行って来た。会場は体育館。3年生たちがそれぞれブースを設置し、大きな紙に自分たちで調べたことを書いて、写真や絵をつけたりして、その場で父兄たちに説明していている。長男のグループが調べたのは昔の遊び。彼は百人一首について説明してくれた。その後、踊りの発表があった。川口音頭では父兄たちも飛び入り参加。でも、われわれは踊りを知らないので、壁の花となって、ただ見ていただけ。

子どもたちは小学校の行事を存分に楽しんでいた。学校全体が非常によい雰囲気で安心した。

帰宅後、耳鼻科へ行って処方箋を出してもらい、薬局で花粉症の薬を購入してきた。雪は霙に変わったが、気温は2度くらい。寒さのせいか、患者さんはほとんどおらず、花粉症シーズンとは思えないほど閑散としていた。

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助かりました大賞

主婦の声で決定する『助かりました大賞』が発表 ニュース-ネット証券・自動車保険のオリコンランキング

食品部門の金賞は、ミツカンの金のつぶ におわなっとう。

家庭用品部門の金賞はサンヨーのエネループ。

一般・サービス部門の金賞は、プライベートブランド商品。

まあ、それなりに理解できる。

しかし、よく見ると、一般・サービス部門の入賞商品に、悪名高きタスポカードが入っている。

コンビニエンスストアの売り上げ向上に一役かったことは確かだが、あのカードで迷惑を受けている人のほうが多いような気がする。カードを発行するのに、面倒くさい手続きをしなければいけなくなったので、お父さんが禁煙を決意し、家計が助かったのかもしれない。

実に皮肉だなあ。

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クリアルーフ

午前10時ごろから雨が雪に変わった。私の住んでいる地域では、今年初めての雪になった。

我が家の3階のベランダには屋根がない。この時期、外に洗濯物が干せないので不便な思いをしている。

近所におしゃれなバーが2年ほど前にできた。そのバーの入り口に、透明な板状の屋根がついている。ずっと気になっていたのだが、どこのメーカーのものか見当もつかなかった。

検索すること10分。トステムから出ていることをようやく発見した。

名前をクリアルーフという。

http://tostem-online.com/shop/g/gSPEHHY106D/

設置費用込みで10万円ほどかかる。

10万円も余分にあったら、ドラム式の洗濯機を買ったほうがお得。

それでも、どうしても簡単な屋根をつけたい。アクリル板で自作できないだろうか。

でも、雪がたくさんつもったら、重みに耐えられないかもしれないな。

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かごに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人

「かごに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という文句があるが、私は「草鞋を作る人」なのだろう。

一度はかごを担いでみたいとも思っているし、かごにも乗りたいと思っている。

しかし、わたしは草鞋を編んでいるだけの人生を送るのだろうと思う。人類の98%は私と同じで、残りの1.999%がかごを担ぐ人で、その残りの0.001%くらいがかごに乗る人で、そのかごの大きさもさまざま。

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大きな話と小さな話

話題には、大きく分けると、「大中小」がある。

大きな話題というのは、天下国家や世界を論じるもの。

小さな話題というのは、自分の半径1メートルくらいのところまでを対象とする世界。

たいていの人は中くらいの話題を好むものである。

話題と本人との距離が極端に遠かったり、近すぎると、嫌悪感を抱く聞き手が増えてくる。

たとえば、青年がナルシシズムに浸りながら時間を忘れて自分の悩みの告白や自慢話をたらたらされても、ただ引いてしまうだけだ。

どう考えてもお座敷犬以上の権力すらもっていないオヤジが、素面(しらふ)で国はこうすべきだなどと偉そうに歌い上げても周りのものは冷笑するしかない。

専業主婦たちが、夫の悪口で盛り上がる風景もものすごく気持ちが悪い。世界があまりに狭いからである。

話題だって、中くらいのものがちょうどいい。

個人的な思い出、個人的な経験、個人的な趣味に埋没してしまうと、聞き手の気持ちはどんどん離れていく。個人的な話をしながらも、そこから概論を演繹するぞという構えを常に見せておかないと飽きられてしまう。

中くらいの話題を選ぶようにするか、あるいは常に概論を引き出す型を身につけておくと、人と話すのがわりと楽になる。これは私のコミュニケーション術である。

このことは論文を書くときにも当てはまると思う。

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声に出して読みたい日本語

自慢ではないが、私はこの本が出た当初から高く評価していた。

しかし、知人男性は徹底的にこき下ろし、読書は黙読が基本だと言い張った。読んで意味を解釈することが、読書の第一義的な楽しみだというのだ。研究にかかわっている人なので、そういうことを言うのはわかるが、違和感を感じた。

中学生の頃、担任の先生(国語科が専門)は、草野心平やらダダイストの高橋新吉やら谷川俊太郎やらの詩をひたすら紹介し、子どもたちに読ませるという授業をした。

解釈なんてしなかった。ただ読んでおもしろがる。それで終わり。「リズムがいいね」とか、「言い回しが独特だね」とか、「発想が奇抜だね」とか、「字面が面白いね」とか、先生は実に控えめなコメントをそれぞれの詩につけていくだけだった。

従来型の、抹香くさい道徳の授業のようなことは一切しなかった。

「声に出して読みたい」というより、声に出して読まないと気がすまなくさせるようなものもあるのだということに、そのとき中学生の私は気づいたのである。

大学時代に、友人に連れられ、はるばる表参道まで詩の朗読会を何度か見に行った。能楽堂の舞台の上で、詩人や作家や狂言師などが、自作の詩や他人の詩をひたすら読み、その後、雑談をするのだ。写真でしか見たことがなかった、谷川俊太郎やねじめ正一や伊藤比呂美が目の前にいることに私はひたすら感動していた。

かれこれ20年も前のことであるから、日本におけるポエトリー・リーディングの走りであろう。

そのときも、読み手たちは解釈なんていう野暮なことは言わず、ひたすら彼らの声を聞かせてくれた。まるで詩が音楽のように聞こえた。まるでライブを聴きに行っているような感覚だった。

文学というのは、必ずしも黙読と解釈だけを要求するものではない。

声に出して読んで、リズムやテンポを味わったり、独特の言い回しを面白がったり、あるいはそれを自分なりにいじって会話に盛り込んだりするために、文学を利用しても一向に構わないのである。

文学研究者というのは独特な存在である。作品を解釈することばかりに気が行ってしまう気の毒な人種である。私もそのひとり。

だから、ときどき、齋藤さんの本を読んで、毒消しをしなければならないのである。

 朗誦することによって、その文章やセリフをつくった人の身体のリズムやテンポを、私たちは自分の身体で味わうことができる。それだけでなく、攻した言葉を口ずさんで伝えてきた人々の身体をも引き継ぐことになる。世代や時代を超えた身体と身体とのあいだの文化の伝承が、こうした暗誦・朗誦を通しておこなわれる(202)。

 世代を超えた共通のテキストを持つことは、世代間の信頼関係を強める効果がある。自分が大切に思い暗誦しているものを、子どもや孫の世代が暗誦し身体に内在化させているとすれば、そこに信頼感や安心感が生まれる。それが古典のよさである(203)。

 暗誦文化は、型の文化である。型の文化は、強力な教育力を持っている。一度身につけてしまえば、生涯を支える力となる。日本語の感性を養うという観点から見れば、暗誦に優るものはない。最高のものを自分の身の内に染み込ませることによって、日本語の善し悪しが感覚としてわかるようになる、モーツァルトを聴くことで、音楽の質を感じとる感性が養われるように、最高級の日本語にはじめから出会う必要がある。

 幼い頃に、意味のわからない文章を覚えさせるのは拷問とも言える強制だという考え方がある。私はこうした考えに与しない。できるだけ早い時期に最高級のものに出会う必要があるとむしろ考える。意味がわかるのはあとからでもよい。たとえ意味がわからなくとも、その深みや魅力は伝わるものだ。よしんばそのときに魅力を感じなかったとしても、後年それを覚えたことに感謝する時が来る。また、それだけの魅力を持ったものが暗誦・朗誦される価値を持つ(203-04)。

以下の二つは吉田兼好の『徒然草』から(164-65)。

あやまちは、安(やす)き所(ところ)に成(な)りて、必ず仕(つかまつ)る事に候(そうろう)。(=過ちは困難なところではなく、もう安心だとやさしくなったところで起きる。)

改めて益(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。(=変えても利益がないなら変えないことだ。)

どうですか。自民党の議員やら大企業の経営者に読ませてあげたいくらいでしょ。

道元禅師の『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』より。

身心脱落(しんじんだつらく)

只管打坐(しかんたざ)

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法(ばんぽう)に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心(しんじん)および他己の身心をして脱落せしむるなり。

孔子の『論語』より。

之(こ)れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず。(=物事への関わりは知、好、楽を経て深まり、自由になる)

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テニスのゲーム

初めてテレビゲームをしたのは、小学校の5年生のとき。

おじさんの家に遊びに行くと、テレビにつないで遊ぶゲームがありました。

インベーダーゲームは不良の遊びだと大人たちが顔をしかめていた頃のことです。

テレビ画面の左右の端には白い棒、真ん中には白い四角がありました。テニスのゲームでした。手渡された大きなつまみを回すと、上下にラケットが動きます。それを使って、ボールを打ち合うという仕掛けです。ラケットの大きさは小さくすることもでき、そうすると難しくなるのです。

温泉やゲームセンターに行くと、いまだに似たようなゲームが置いてあります。白い円盤を打ち合うボードゲームです。

ルールがあってないような、見事なまでに単純なゲームです。そういうものほど、人を興奮させるものはありません。サッカーもそうなのかもしれません。

とにかく、私にとって懐かしいと思える「テレビゲーム」はそれだけです。

その後、弟がファミコンを買って、スーパーマリオで遊んでいましたが、私にはなじめず、それ以来ゲームに対する興味を完全に失いました。おそらく6年生の頃だと思います。

ゲームというものは、ガキの遊びだという意識はいまだにあるので、子どもの親が、Wiiで遊んでいる様子を見ると、開いた口がふさがりません。

あの頃は、ゲームなんかをするより、将棋をするほうが楽しかったし、テレビだったら、新日本プロレスを見て、古館伊知郎の実況を聞きながら、大げさな言い回しをまねて遊んでいるほうがはるかに楽しかったです。

コネタマ参加中: 懐かしい「テレビゲーム」について語ろう!

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どっちも嫌い

私はボールの扱いが大の苦手。

小学校の頃はよく仲間と集まって、原っぱで野球もサッカーもやりました。ついでに言えば、バスケットボールもやりました。

ホームランも打ったし、ゴールも入れたし、シュートも決めました。

でも、中学校に入ったら、近視も進んで、動体視力も悪くなり、ボールを取りこぼすことが多くなりました。

周りの人たちの様子を観察していると、自分は人並み以下の運動能力しかないということに気づきました。

いくらがんばっても、彼らを超えることはできない。自分がプレイしてもチームになんら貢献する部分も見つけられないし、かえって邪魔になってしまう。

チームプレイというのは、ヘマをすると、ヘマをした者だけが、敗因の責任をすべて負わされるようなところがあります。

実は、ヘマを誘発したメンバーのほうが悪いということは、大人になってからわかりました。

当然、そんな高尚な理解は、子どもの私にはできませんでした。だからこそ、残酷なチームスポーツが嫌いになっていきました。

そんな経験があるから、いまだにチームスポーツをプレイするのはもちろん、観戦するのも、当時の忌まわしい記憶がよみがえってしまうので大嫌いです。

妻はママさんバレーを楽しんでいます。ですが、しょっちゅう仲間の悪口を言っています。下手なくせに偉そうに威張っている人がいて、イヤになっちゃうとか。

そんなにイヤなら、やめればいいじゃないか。オレと一緒にジョギングして、たまにはレースに出ようよ。わずらわしい人間関係にも巻き込まれないし、自分のペースでやれるから、楽しいよ、と話すのだけれど、妻は聞く耳を持ってくれません。

中学の部活動でのバレーボールがよほど楽しかったらしく、その記憶が忘れられないらしい。顧問の教師の指導がよく、チームがひとつにまとまっていたのだそうです。

私が行っているスポーツは、ジョギング、サイクリング、少林寺拳法ですが、いずれも勝敗とは無関係ですし、チームプレイですらありません。

無意識に、そういうものを選んでしまったのです。

子ども時代の経験って、本当に大事なんだなあと考えさせられました

コネタマ参加中: 野球とサッカー、どちらが好き?

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ジョグ10K お花見ラン

お花見と言っても、もちろん梅。昔は「花」と言えば梅だったというから、間違ってはいない。

天気は曇り。気温は5度くらい。昨日より体感温度は低い。

走行距離は10キロ。梅の香りに浸りながらのジョグは爽快だった。

久々にどこにも異常を感じずに走ることができてすこぶる満足。

もちろん左足甲の腱鞘炎以外は、という意味だが。

腱鞘炎は鎮痛剤を飲まなくても、なんとか耐えられるほどまで回復した。

右足の捻挫はほぼ完治したようだ。

前半の3キロまでは19分。

前半5キロで29分51秒。

後半は少しだけペースを上げて、26分50秒。

正しいフォームというのはどういうものをいうのかだんだん判ってきたような気がする。

私が意識するべきポイントをたったひとつ挙げろと言われたら、ハムストリングスと大殿筋で足を押して地面からの反発力を活かすように走るということだけかも。

蹴りあげると拇指丘に負担がかかってあとで痛むこともある。それを避けるためには、ふとももの裏あたりで押すように走ればいいわけだ。

そういうことを考えながら走っていれば自然に腕振りもできるし、上体もやや前傾姿勢を保つことができる。ストライドが伸びるのでスピードも向上する。膝への負担も減る気がする。脹脛(ふくらはぎ)や脛(すね)への負担もほとんどない。これなら膝下の筋肉痛はほとんど起こらない。

筋肉痛が起こるとすれば、ハムストリングス、内転筋、腸腰筋あたりだろう。

このごろよく散歩している若い妊婦さんとすれ違う。だいぶおなかも大きいので、お会いできなくなるのは4月ごろかな。

昨日の昼過ぎ、3歳の次男と近所を散歩にでかけた。もうすぐ4歳になるので、2キロくらいなら、おんぶをせがまなくなった。子どもの成長というものは目を見張るものがある。

散歩の第一の目的は、郵便局で切手を買いに行くこと。

第二の目的は、長男の友人の住む豪邸を探すこと。1月に、長男と一緒に散歩したときには見つからなかったので、再チャレンジだ。

そこは閑静な住宅街なので、道路が格子状に整備されている。どこもかしこも似たような風景が続いているので、郵便配達夫でさえ道に迷ってしまいそうだ。偶然選んだ道に、白亜の豪邸を発見。外階段が屋上にまで続いている。庭も広く、南側に面しているので、日当たりもよい。息子の言うとおり、まさに豪邸だ。

第三の目的は、ドラッグストアに立ち寄り、白髪染めを購入すること。これもあっさり達成した。当たり前か。

目的を三つ達成した後の充実感に酔いしれていると、小腹が空いてきた。運よく、ドラッグストアに向かいにたい焼き屋さんを発見。

窓に貼られたビラには、たい焼きがひとつ120円、たこ焼きが300円と書いてある。

我々はたいやきを2つ購入することにした。次男はクリーム、私は小豆を選んだ。

店の経営者は、とうに還暦を過ぎた老夫婦。笑顔が素敵だった。

おじさんは、たい焼きを2匹、熱い鉄板から救い上げ、ひとつずつ白い袋に入れてくれた。パリパリに焼けた皮の匂いが食欲を誘う。クリームのほうは皮にシロゴマがまぶされている。

最初、次男は半分しか食べられないから、残ったらお母さんにお土産にすると言っていたが、ちびりちびりと食べているうちに、いつのまにかぺろりと完食してしまった。昼ごはんを食べてからまだ3時間もたっていないのに、すさまじい食欲だ。

将来のエンゲル係数の上昇がいまから恐ろしい。

こういうのが「幸せ」というものなんだろうな、などと思いながら、私もたい焼きを平らげた。口角についたあのあんこの味は忘れられない味になった。

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ナンバ

ナンバ(右足と右手、左足と左手を同調させる動き)は、武術の基本中の基本の動きである。

この動きだと、腰の回転力が生み出す力を有効に活かせる。

西洋的な動きだと、右手と左足、左手と右足を同時に前に出すが、これだと腰がねじれるので、腕や脚の力だけに頼りがちになる。

ところが、ナンバの場合、腰を入れることによって全身の力が突きや蹴りにこめられ、よりいっそう威力と安定性を高めることができる。しかも、マッチョなカラダや怪人のような腕力も必要としない。

ただ、鍛えておかないと難しいのは連打である。腰の回転を伴うので、腹直筋だけではなく、外腹斜筋を鍛えておく必要がある。

これを意識して稽古をすれば、いずれ、また腰のくびれが戻ってくるかもしれない。

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本日の稽古

本日のメニューは片胸落、送巻天秤、逆転身蹴の三つ。

「片胸落」は、逆下段構え。押されたら、下の手で相手の手のひっかけて、相手の逆突を受けないように一旦いなしておいて、すぐさま不意を突くように首に手刀切を入れ、相手をのけぞらせる。戻した手で、ちょんと引っ掛けるようにして相手の手を上から押さえ、圧着する。腕を戻すときに、自分のひじを高く上げて自分の顔をガードする。

両手で相手の手を圧着する際に押さえる場所は、相手の親指の付け根のあたり。そこを握られると握力がなくなる。それより下だと、逃げられる。

送小手のときのように腰から入りながら、一歩足を差し込んで、両腕は一本の棒のようにしたまま、自分の胸の正中線のところを中心に回転させる。うまく極まらなければ、一歩後ろ足(踏み込んだ足と反対のほう)を踏み出し、角度を調整する。

「送巻天秤」は、脇をしめて鈎手を維持したまま、相手のひじの少し上のツボを下から切り上げるように押す。すると、きれいに相手は前のめりに倒れてくれる。

「逆転身蹴」は、前回習った内受蹴に似ている。守者の構えは八相構え。左前で脇を締め、やや両手の間隔を広めにし、腹に隙を作る。攻者は、左前中段構えから、差し替えて、右の順突。守者は、後足を軸に回転して、前足を後ろにもって行く。足を意識せず、腰を意識すればいい。内受は、結果的に当たるだけ。相手にお尻を向けた不安定な状態になるので、そのまま足刀蹴が入る。

攻者の差し替えてからの順突きの攻撃は、送小手のときのように腰を入れてまわしながら差し替えて、そのとき後足になったほうを蹴ってから、さらに腰を入れて順突。前足は相手の方向に向いていないと、不安定になって、横から押されたら倒されてしまう。それが重要。

いずれにせよ、移動するときに、足を使おうとするのではなく、腰を回転させることだけを考えると、スムーズに動けるようになる。

本日も、目から鱗が何枚も落ちた。

月曜日に見学に来られていた方が、本日入門届けを提出しに来られたそうだ。ひさびさに新しい仲間が増えて我輩はうれしいぞよ。

このごろ先生たちに、「うまくなった、うまくなった」と褒められるようになった。うれしいことはうれしいのだが、外国語と同じで、「うまいですね」なんていわれているうちが華。うまくてあたりまえと思われるようになってからが大変になるのだろうと思うと、そう喜んでばかりもいられないのかもしれない。

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業務スーパー

A-プライスという業務スーパーに行ってみた。

子どもが成長するにつれて食費が増えて、家計を圧迫することは避けられないので、今後、日常的によく使うものは業務用食品を活用することにした。

今回は最初だから、強力粉と子どもの好きな海苔だけを購入し、会員の手続きを済ませた。

次回は、コーヒー、ポン酢、ドレッシング、醤油、油、鍋つゆあたりを買ってみようと思う。

冷凍食品も充実していた。ソーセージやハンバーグも活用できそうだ。

もう一軒、比較的近い場所にもある。

神戸物産が経営する、その名もずばり「業務スーパー」である。近いうちに、そちらにも行ってみることにした。

電気代、水道代などは、いくら節約してもさほど変わるものではない。

我が家の場合、服飾費も贅沢はしていないのでこれ以上は減らせない。

以前私は一月3万円ほど書籍につぎ込んでいた時期があったが、今では桁が1つ下がってしまい、年間3万円くらいになった。ほとんど図書館で借りるか、立ち読みで済ましている。だから、書籍代もこれ以上は減らせない。

趣味のランニングや自転車用のものは、これまでいろいろ買い揃えてきたが、だいぶ揃ったので、あとはランニング用のタイツと消耗品のシューズくらいだろう。レースの参加費を入れても、年間5万円以内で済むはず。

ということで、家計を見直すと、外食費を含めた食費を大幅に減らす必要があるのである。我が家は4人家族。食費は、おそらく一月平均6~7万円になっているだろう。

もし、それを1万円でも減らすことができれば、年間12万円の貯蓄ができる。

がんばろう。

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サブ4向けトレーニング

RUN TRAINING for Honolulu Sub4向けトレーニング

1.トレーニングは週3回にとどめて、きちんと休息する。ストレッチ、補強筋トレも必須。

2.正しいフォームを意識する。かかと着地で、脚は蹴り上げるのではなく、腹とお尻の筋肉を使って後ろに押し出すなど。

3.トレーニングにメリハリをつける。15キロ走、20キロ走、LSDで時間走、ウィンドスプリントなど。

私の場合、長い距離を走ると必ず左のお尻が痛くなる。整形外科医によると、私の腸脛靭帯はそういう構造になっているので仕方がないらしい。

今日も痛む。ちょうど雨だから、走れなくてよかった。

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恐竜

もちろん犬猫もかわいいし、「ミラバケッソ」のアルパカもかわいいかもしれないけれど、日本人よ、癒されている場合ではないんだぜ。

ということで、私は獰猛な恐竜がいい。

以前、ティラノサウルスが人間やクルマを追いかけるCMがあったような気がする。おそらく軽自動車のCMだったと思う。

最後に彼らは恐竜から逃げおおせたと記憶している。

しかし、恐竜が彼らを空き缶のようにグチャっと踏み潰してくれたら歴史に残るCMになったと思うんだけどなあ。

人間と、人間の開発した文明の利器が、とうの昔に絶滅した恐竜に見事に踏み潰されるという映像はすぐれて象徴性に富んでいると思う。

そういう結末であったとしたら、視聴者に与える衝撃はすさまじかったであろうし、人類に自省を求めるよいCMに仕上がったはずだったのに、すこぶる残念である。

コネタマ参加中: CMに出てくる動物で好きなのは?

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壁と卵

【英語全文】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演 - 47トピックス

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg.

要するに、村上さんは弱い側のにつく人間だということと。

弱い者が必ずしも正しいわけでもない。間違っていることもよくある。にもかかわらず、村上さんには弱い側につく習性があるのだという。

「壁と卵」のたとえはトリッキーである。

これを政治に置き換えて、イスラエルは「壁」で、アラブは「卵」、イスラエルは悪で、アラブは善という図式を思い浮かべる人がいる。

しかし実は、イスラエルの中にも弱者や善人もいるし、アラブの側にも強者や悪人もいる。

イスラエルは徴兵が義務になっているので、国家の命令で仕方なくアラブ人を殺さざるをえない人もいる。彼らを悪党と決めつけてよいわけではない。おそらく彼らだって相当に苦しんでいるはずだ。

物事は単純明快な二分法で捉えることはできない。

そういうことを物語に変換していくのが文学なんだという話である。特に、村上さんは人間の弱さを描きたいということなのである。

村上さんが、イスラエルに行って、イスラエルを皮肉っぽく批判したわけではないし、情熱的にアラブの味方をしたわけではない。

そんなことを考える人は、そもそも文学がわかっていない人である。

村上春樹「エルサレム賞」 “勇気ある批判”

それにしても、村上さんは60歳。おそらく相当走るのは大変になってきていると思う。私もいつまで走れるかな。

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高村元外相

少林寺拳法の公式ホームページを見ていたら、2009年2月4日、高村正彦元外相が五段位を取得されたというレポートが掲載されていた。

わが師匠は七段、助手の先生は四段であるから、そのすごさは実感を持って理解できる。

少林寺拳法の世界ではよく使われる言い回しだが、高村さんは技を世の中のためにどのように活かされているのかお話を伺ってみたいと思う。

少林寺拳法的には、外交問題をどう処理するのが最善なのかなんていう話は、個人的には非常に興味深い話題である。

マスコミ関係者で、少林寺の拳士はいないのであろうか。

私の場合、高村さんのような境地にはとうてい到達できないかもしれないけれども、来年、初段を取得することを目標にして稽古している。(一般部は最低2年半、少年部は3、4年続けていないと、初段は受験させてもらえないらしい。)

このごろは技の名前と動きを正確に覚えられないというような悩みだけではなく、技を思い通りに掛けることができないことや、所作が美しくないことや、構えが隙だらけであることなど、自分の下手さ加減を思い知らされている。

目が肥えてしまったのだろう。

そういうことを師匠に話すと、「私なんかこれで30年以上もやっているんですよ。それでこの程度なんですから、安心してください」なんてことを言われる。

私はいまスランプの時期に入っているんだと思う。わけもわからずがむしゃらにがんばる段階を通過し、次の段階に入ったのだろう。

そういうスランプを乗り越えるためには、まずすべてを忘れてしまうというのが一番よいと私は経験的に知っている。

一度何もかも忘れ、すべてを新鮮な目で見直すのである。まるで初めて教えてもらったかのように。すると、いつのまにか、スランプを乗り越えている。

わたしはつねにそうやってスランプを克服してきた。

今回もそれで乗り越えてみせる。

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花粉症を乗り切るために

Yahoo!ヘルスケア - これで乗り切る! 花粉対策

ヒスタミンを多く含む食材を摂取すると、花粉症の症状が悪化しかねないと考えられているということを初めて知った。本当かどうかわからないが、「君子危うきに近寄らず」だ。

控えめにしたいものは、カツオ、マグロ、イカ、タコ、アサリ、ナス、タケノコ、ヤマイモ、ソラマメ、サトイモ、落花生、クリ、ソバ、香辛料、アルコールなど。

多く取りたいのは、EPA、DHAを多く含むイワシやサバなどの青魚、食物繊維とオリゴ糖の含まれる根菜類、βカロテンとビタミンCが含まれる緑黄色野菜、ビタミンEが含まれるウナギ、大豆、ごま油など。

たとえば、花粉症対策の食事はこんな感じになるだろう。

イワシかサバの塩焼き、時々ウナギの蒲焼

ごま油を少し掛けた豆腐(もしくは、おから)

人参か大根かキャベツの漬物

ねぎと油揚げの味噌汁。

これで免疫力が高まって花粉症の症状が緩和される保証はないが、こういう食事が毎日続けば痩せられそうだ。

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名文の定義

「名文」とは『広辞苑』によると、「名高い文章。すぐれた文章」とある。

だが、ことさら有名である必要はあるのだろうか。むしろ、「優れた文」と捉えたほうがすっきりする。

ではどういう文章が優れているのか。定義しようと思ったら、予想外に難しい。

思いつくままに並べてみると、こんなふうになる。

1.リズムが心地よく、声に出して読みたくなる。

2.比喩が巧みである。

3.映像が浮かびやすい。

4.嗅覚などの五感に訴える。

5.余韻が残る。想像力をかき立てる。

6.人の心を動かす。

すべて主観的なものであり、コンピュータにも判断できるような基準ではない。こんな定義では、ガチガチの理系の人を苛立たせてしまうかもしれないが、逆に言うと、冷徹な論理では解明できない部分のほうが想像力をかき立ててくれて、かえって私には面白い。

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8.5K

天気は曇り。気温は5度。真冬の寒さだ。

左足甲の腱鞘炎は依然として痛むが、甲にX状にテーピングをして、走りに出かけた。

「爽快」の一言。走るとさっぱりする。

走行距離は8.5K。

走行時間は52分11秒。

消費カロリーは約500kcal。

均すと、キロ6分10秒くらいになる。

フォームを意識した、ゆっくりペースだったので、上出来だろう。

意識したポイントは以下の通り。

1.あごを引く。

2.骨盤を前傾する。

3.若干、上体の前傾姿勢を維持する。

4.腕を後ろに大きく振り、背中の筋肉を活用する。

5.腰の回転させる。

6.大殿筋、大腿四頭筋とハムストリングスを利用して、できるだけモモを上げるようにする。

7.着地ポイントは、土踏まずの後ろ部分あたりにし、拇指丘で強く蹴らないようにする(甲を酷使するので)。

8.内転筋を意識して、ガニ股にならないようにする。

9.息切れしないようなペースを維持する。

やはり走った後、右足の捻挫も痛み始めたので、整形外科でもらった鎮痛剤を飲み、痛みを抑えなければならなかった。

腕振りを意識したせいか、右腕の上腕二頭筋と、大胸筋のあたりに疲労がたまった。昨日の稽古の影響もあって、外腹斜筋(わき腹の筋肉)もやや筋肉痛。

脚だけに疲労がたまるような走りではなく、全身に疲労がたまった。この走り方でよいのだろうか。

よくわからないが、この調子で練習していれば、腕と胸と腹が引き締まりそうな気がする。

帰宅後、妻がパンの移動販売車から買ってきたピーナッツクリームパンを食べたら、クリームが入っておらず、驚いた。ピーナッツクリームなしのピーナッツクリームパンというのを、生まれて初めて食べることができた。

昨日アマゾンに注文したばかりのシェーバーも届いていた。まさにクイック・デリバリー。

早速使ってみた。もちろん新品だから、あごが血だらけになるようなこともない。振動が心地よい。電池はリチウムイオンなので、長持ちしそうだ。いままで使っていたニッケル水素とは違って、使い切らないうちに充電してしまうと、充電がうまくいかなくなってしまうといようなトラブルもない。価格もずいぶん下がった。ボディも細いので握りやすい。悪いところはまったく見当たらない。

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昨日買った小川珈琲と一昨日買ったイオンのフェアトレードコーヒー。

今日は、小川珈琲のプレミアムブレンドをあけてみた。淹れてから数分たったら、若干の酸味が出てマイルドになったが、淹れたてはやや苦みが強いので私の嗜好には合わない。

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嫌われる行動パターン

livedoor ニュース - 女の子が嫌う「男らしくない行動」16パターン

【1】自分の意見がなく、いつも流される。
【2】何でも人のせいにする。
【3】大事なところで、意思決定できない。
【4】いつも諦めてばかり。(努力しない。)
【5】何かと両親に頼る。
【6】電車で変な人に絡まれてもダンマリ。
【7】他の人には弱気なのに、彼女にただけ強気。
【8】食べ物の好き嫌いが異様に多い。
【9】キッチリと割り勘する。(10円単位で。)
【10】「オゴって。」と言ってくる男。
【11】自分の仕事の文句ばかり。
【12】メールの文字数が多い。
【13】基本、愚痴ばかり。
【14】鏡で自分の姿を何度も確認する。
【15】美容について気を使い過ぎる。
【16】貧弱な体である。

これはジェンダーとは関係ない。これらはすべて女の人に対しても当てはまる。要するに、こういう態度を取る人間はすべて嫌われるということ。

「愚痴」は聞き手を憂鬱にして、気持ちを萎えさせてしまうから特にいけない。

人間が無意識に欲しているものは、不安を解消してもらうことと、やる気を出させてくれることとの二つ。

誰かが自分と話をしたいと思って近づいてきたときは、たいていこの二つのいずれかを求めている。不安にして欲しいとか、気持ちを萎えさせて欲しいというような人はふつうはいない。怒らせて欲しいというような人もいないし、悲しませて欲しいという人もいない。

たとえば、道に迷って不安になっている人が近づいてきたとする。その人に対して伝えるべきもっとも重要なメッセージは、さほど遠くないところまで来ているから安心してよいということとである。さらに、そこは面白い場所であるということまで伝えられたらより理想的だろう。

それと同じことである。

人と話をするときに自分の素を出して、弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりしてはいけない。人の不安を解消してやり、やる気を出させることを重要な責務とする、無償の役者だと思って生きることである。これが「リアリスト」である。そういう人が増えてくれればいいなと思う。ついでに言うと、こういうことは少林寺拳法を通じて学んだことである。

「他者依存」と「他責的傾向」と「優柔不断」と「諦念」というマイナス思考は、ここ数十年にわたって日本人全体に沈着してしまった性向である。ここから脱却するには、まず自分自身を見つめなおさなければならない。「脚下照顧」である。

それから、なんでも「好き」か「嫌い」で価値を判断するようなタイプも私は好かない。食べ物の好き嫌いの多いのは、ほんとウザイ。

他人から信頼され、必要とされる人というのは、「誰とでも仲良く」でき、「なんでも食べられ」、「どこでも寝られる」ような人である。

「適応性」と「柔軟性」の高い人間こそが生き残れる。

肉食でも草食でもダメ。やはり、雑食じゃなきゃ。

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骨盤教室

この本のタイトルは映画『暴力教室』のパロディだろうか。

それはさておき、16-17ページで紹介されている「開き座り寝」と「トンビ座り寝」の骨盤の状態を診断するテストが興味深い。

「開き座り寝」は、仰向けになって、膝をO脚の状態にして、足の裏をぴたりと合わせるという形。膝は床から浮いてはいけないのだそうだ。この姿勢を1分間キープできるかどうかを診断する。

「トンビ座り寝」は、仰向けになって、脚をMの字にする。両膝をくっつけたまま、床から浮かせてはいけない。さらに、できる人はかかとを腰につけてみる。

両方できない人は、股関節が硬くなっているために、膝下だけで歩いているという。

「開き座り寝」のほうはできても、「トンビ座り寝」のほうはまったくできないタイプは、脚が蟹股になって、太くなり、腹が出てくる傾向があるという。

「トンビ座り寝」のほうが得意な人は、モモが細いが、色っぽさに欠け、イライラ、ギスギスの傾向があるという。

本当に、両方ともできるような股関節のやわらかい人なんているのかいな。次男にやらせてみたら、どっちもうまくできなかったから、そんなにたくさんはいないような気がする。

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本日の稽古

本日のメニューは天地拳第一系から四系まで、義和拳第一と二系、押受突、襟十字、片胸落、内受蹴。

押受突は、相手の拳が怖いあまりに、上体を後ろに傾けて、自分の体勢を不安定にしないことが重要。きちんと相手の振突を跳ね返せるだけの安定性が欲しい。しっかり腰を回転させ、相手の手首を狙いすまして押しのける。

片胸落は、相手の握りをいなしてから、フェイントとして、軽く持ち上げるように、引っ張り、自分の正中線のところで、技を極める。

下の手は相手の手を握るというより、相手の小指丘にひっかける感じ(手のひらと手首の折れ曲がる部分ではない)。上の手は、拳頭でごりごり攻めるようにして強く締め付ける。両腕が平行になるようにするのが重要。これも腰を入れるとすごく効く。

内受蹴は、半転身にならないように、腰を落としながら回して、後ろ足に重心をかけながら、前足を後ろ足に引きつける。上体はそらして相手の拳をかわし、内受は相手の手首を狙って跳ねのけてから、そのまま落とす。手を落とすと、上体が安定した位置に戻り、そのまま足刀蹴が出る。連反攻は、そこから裏拳、中段突、上段突、回蹴となる。

いずれにしても、腰をうまく使うことが重要だということを今晩も改めて確認した。

それにしても、師匠の構えは美しい。写真に収めることができないのが残念だ。とにかく、現場では何度も繰り返して、自分の頭の中でイメージを構築することを求められる。本の写真を見て、まねることは邪道らしい。

今日はもしかしたら入門されるかもしれない方が見学に来られた。久しぶりだ。こういう日は、みんな気合が入ってしまう。肩の力を抜くのが大変だった。

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小学校英語

asahi.com(朝日新聞社):「やればやるほど英語嫌い」 小学校英語活動に異論続々 - 社会

長男の小学校でも英語教育が実施されている。小学3年生だから、英語の時間は何ヶ月かに一回しかない。好きにも、嫌いにもなりえないほど少ない。

私が小学生だったときは、ある学科が好きとか嫌いとか、そんなことを考える暇もなかった。

私は大学で英語を教えているのだが、よく同僚の先生は、特に若い先生は、学生たちに英語が嫌いにならないようにしたいというようなことを言う。しかし、勉強というものは、本来好き嫌いでするものではない。得手不得手という二分法なら許容できるが、自分の肥やしになるものだという意識があれば、教師が子どもたちの好き嫌いのような嗜好を考えてやる必要はまったくないと思う。

英語が嫌いになったからどうだっていうのだ。必要だと思えば、勉強するはず。

我が家では、いまもうすぐ4歳になる次男が英語にものすごく興味を持っている。何かといえば、「これは英語でなんといの?」と私を質問攻めにする。家の中なら恥ずかしくはないが、外に出ているときも気後れもせず聞いてくる。図書館の英語図書のコーナーで、英語を読むように求められるときは冷や汗が出る。

別に、私は彼に英語を無理やり教えてやったわけではなく、テレビを見たり、本を読んだり、英語学習のゲームソフト(勝手に送られてきたもの)をやっていて、いつのまにか興味を持ったようだ。

たしかに、子どもに無理やり教えないというほうが、嫌いにさせないことは確かである。興味を持ってもらえるかどうかはまた別の話だが。

発音が下手でも、私の発音を真似ようとする子どもを褒めちぎるようにしている。thの音はさすがに難しいらしい。LもRも区別できない。でも、そんなことは気にしない。複数形も教えない。ただひたすら、ものの名前を教えてあげるだけ。

でも、困ったことに、日常生活では言葉として表現しようなんて考える機会もないような、辞書にも載っていないようなモノのパーツの英語を聞いてくることがある。もう英語の教師もタジタジである。

会話も教えていない。

そんなものを教えるのは、もう少し抽象的な思考力がついてきてからでも遅くはない。

英語の面白さなんてことも教えられない。そんなことは教えようと思ったってなかなかできるもんじゃないし。

唯一私が子どもに気づいてもらいたいと思っているのは、言葉の面白さ、音の面白さ、そして表現することの面白さである。

英語で外国人と会話できるようになることなんて、どうでもいいのである。いまのところ、彼が生きていく上で、英語なんてまったく必要ないんだから。

でも、言語を客観的にモノとして見ることができるようになることが、もっとも重要なことであると私は思っている。

話を戻すが、小学校英語なんていうものは、ただ英語の単語をたくさん教えてやればそれで十分だ。会話なら、「あいさつ」とか「自己紹介」とか「好き嫌い」の話程度ができれば、表現が間違っていても、発音が下手でも別にどうってことはない。彼らはアタマがやわらかいのだから、中学校の英語の授業で修正できるだろう。それすらできなくても気にする必要はない。

おそらく、教えれば教えるほど英語が嫌いになる子どもたちが増えると主張するのは、ただ単に教師側の問題なのではないかと思う。給料が上がるわけでもないのに、ただ仕事が増えるだけだし。

しかし、小学校の教諭の立場に立てば、英語を教える資格すらないのに、国の方針で突然教えなければならなくなったのであるから、彼らの困惑もよく理解できる。

要するに、「制度」が悪いのだ。そういう制度を作る役人のアタマが悪いのだ。

しかし、制度が悪いと文句ばかり言っていても埒が明かない。

そういう制度を施行することを許可した国会議員を選んでしまったわれわれ国民のアタマも悪いのだから。

教師も、英語の授業を使って遊べばいいんじゃないかと思う。間違ったことを教えてもいい。どうせ何にも期待されていないんだから。下手な発音で恥をかいても気にする必要はない。教師だって人間だ。思う存分、他の学科とは違って、いい加減に、無責任に、ふまじめに教えてやればいいだろう。

泥縄式に、自分が学んだことを、子どもたちに教える。

即興でもいい。

私も教師であるからよくわかるが、結論がわかっているようなことを人に教えることは本当につまらない。でも、いまから自分は何を言うかさっぱり検討もつかないが、話していくうちに、自分が言いたいことがわかってきて、そうか自分はこういうことを言いたかったんだと話しながら気づいてアドレナリンだかエンドルフィンだかが出たときの快感はなかなか味わえないものである。

英語の授業では、おそらくそういうことができるはず。それに、子どもたちも、そういう教え方を新鮮なものだと思って受け入れてくれるだろうし、逆に、そんな教え方のほうがスリルがあって、子どもたちにとっては学ぶことが多いはず。

私は小学校で英語を教えることに反対でも賛成でもない。やる余裕があるなら、なんでもやるべきだと思う。財政的な問題があるからできないというのは、大人の屁理屈だ。

カネなんて全くいらない。自分の身の回りにあるものをいちいち英語でなんというのか図書館やパソコンで調べていくだけでもいい。

教師が教えるのではなく、子どもたちが自分で勝手に英語を学ぶように仕向けてもいい。

できなくても、できるようになっても、成績をつけないんだから、好き勝手にやらせればいい。

英語なんて、別にどうでもいいんだと、肩の力を思いっきり抜いてしまったほうがいいと思う。どうせ遊びの時間なのだ。

英会話教室のスタイルを取り入れて、むりやり歌って踊らせるから、そういうことを好まないこともたちが嫌がるのかもしれない。私だって、そんなことはイヤである。

先生はまじめすぎる人が多すぎる。もっといい加減になってもいいと思う。

デタラメを教えて、文部官僚の鼻を明かしてやるのも楽しいかもしれない。

こういう状況が続くのであれば、小学校で英語を教えてはいけないという気持ちにさせてやるためにも、デタラメを教えたほうがいいかもしれない。

でも、そういうことをしているうちに、教えている側の教師が、「英語もけっこういいな、オレもやり直してみようかな」などと思うようになったら勝ちなのである。

子どもたちのことなんか、忘れてもいいじゃないか。

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生きる技術

ふっとやる気がうせる時がある。

たいていは人間関係のもつれが原因。

何もかもどうでもよくなる。

一晩たったエビフライの衣のように萎えてしまう。

自らのパフォーマンスを最大限に高めるために設定した目標の輪郭がおぼろげになっていく。

人間関係でしめっぽい感覚に落とし込まれないようにすることは、日常生活を幸せにすごすために欠かせない技術である。

年をとっても、なかなかそういう技術を身につけられない。

文科省は「生きる力」という抽象的な言葉が大好きであるが、「生きる技術」と言い換えたほうがわかりやすいし、誤解も少ないだろうと思うが、どうだろうか。

麻生さんは、支持率低迷に悩まされながら、よくがんばっていると思う。

「お前はすでに死んでいる」と周りに言われながらも、自分が死んでいることをいまだに自覚できていない総理は、「民主党になんか任せられるか」と息張る。

麻生さんは「生きる技術」に長けているように思える。死んでも、死んでいないと言い張るところが「生きる技術」の根幹だ。安倍さんや福田さんにはそういう「がめつさ」がなかった。

支持はしないが、その空気が読めないところに私は心を打たれる。

それでこそ、総理だよ。

「辞めろ」といわれてもぜったいに辞めないのがいい。

「まだまだオレは満足してないぞ。どこまでもイかせてくれぇ!!!」という声が聞こえてくるかのようだ。

おいらも萎えてなんかいられない。がんばろう。

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確定申告&シェーバー

朝から確定申告の書類作り。ようやくポストに投函できた。

いまはパソコンで作成して、プリンタで印刷して、封筒に入れて出せばいいので、電卓の出番はまったくない。楽になったものだ。

専用の機械を導入すれば、印刷&郵送すらせずに確定申告ができるようにもなった。

シェーバーを買い換えることにした。イオンで会員価格が8800円のところ、アマゾンなら7579円(税込&送料無料)で買うことができるのだ。

わたしは最初に買ったシェーバーはブラウンの安物。あれで懲りたので、それ以降はずっとナショナル派。

いま使っているのはES8154。もう3年は使ったので、そろそろ電池がだめになってきている。ウルトラマンのように、3分しかもたない。しかも、充電は10分で終了。電源コードをつければずっと使えるのだが、刃のほうもそろそろ寿命だ。前回、内刃を取り替えてから1年以上たっているので、不用意に力を入れると、あごの辺りが血だらけになってしまう。

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ジョグ6K

久しぶりに5~6キロ走った。

走行時間32分18秒。

右足の捻挫はなんともない。

左足甲の腱鞘炎は、走っているうちはさほどなんともなかったが、あとで痛くなった。鎮痛剤を飲んでテーピングで固定すれば、走れなくなるほどの痛みは一定時間抑えられるようだ。

帰宅後、みんなで公園に行ってランチ。お湯をポットに入れて持っていって、向こうで入れた紅茶を飲みながらお弁当を食べた。

萩原朔太郎流に言うと、閑雅な昼食。

シングルバーナーがあれば、アウトドアでお湯を沸かして、コーヒーでも飲めるのになあ。

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アシックスのタイツ

先週、アシックスのランニングシューズ「ゲル・カヤノ」を買ったので、今度はロングタイツCFと高機能ソックス「PRO-PAD」(プロパッド)を買おうかな。

ワコールのCWーXスタビライクスは高いので、こっちに惹かれる。これなら靴下もつけてお釣りがくるし。迷うなあ。優柔不断。

アシックスのカケルの方程式で、快適 銀座ランニング♪:B型女の赤い手帳 モブログ

kouta☆blog TI Men’sロングタイツCFかCW-Xか

livedoor ニュース - アシックス、脚の負担を軽減するランニング用タイツ「TI Men'sロングタイツCF」など発売

アシックス:ラブランニングサイト ASICS X ASICS詳細

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阿部絢子の本

著者は、現代生活の不快の原因は「多すぎるモノ」であると断言する。

この本は、捨てる技術、整理整頓する技術を紹介している。

私はバックパックひとつで40日海外を旅したことがあるので実感を持って理解できるが、人間一人が生活するのに必要なものは旅行かばんひとつに収まってしまうものである。

それ以上の数のモノというのは、究極的には不要である。

本もパソコンも電話も、誰かと共有して公共のものを利用すればいい。生活必需品の多くも、クルマも、さらには住む場所も、共有しようと思えばできることである。

高度資本主義は、「共有」という概念を根底から覆し、家族のメンバーも、粒状の「個」として確立させ、それぞれが自分専用のモノを所有することを促し、それによって経済活動を賦活させてきた。携帯電話も一人一台、テレビも一部屋に一台という具合に。

それによって、現代人の生活はモノに溢れ、それに比例して不快感も高まっている。

江戸の庶民は、狭い長屋にはモノが置けないので、お金をかけるのはモノではなく、食だったという。食べてしまえば、消えてしまうようなものにカネを使った。

そういうシンプルな生活のほうが、実は快適で豊かだったということに気づく人が近頃(高齢化とともに?)増えてきたような気がする。

死んだら、あの世にモノはもっていけないんだからね。金持ちも貧乏人も、生まれるときも死ぬときは身一つだ。

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辰巳渚の本

朝食は、コーヒー(無糖)とホシノ天然酵母を使ってHBでつくったクルミパンを朝食に食べた。おなかが空いていたので、3分の1を食べてしまった。食パンは、30gで80kcalの計算。

天然酵母を使っているのでバターとスキムミルクは使っていない。かわりに、クルミを使ったので、同じ計算でいいだろう。なので、だいたい300kcalくらい摂取したことになる。

著者は『捨てる技術』で有名な方。

読んでいて共感を覚えた箇所がある。

ひとつは、自分の理想の家を作ることに全力を傾注するのではなく、70%の満足度の家を、暮らしながら100%に近づけていけばいいのだという教えである。テレビ番組で有能な建築家が建てたデザイン性とギミックのあふれて、隅々にまで配慮が届いた家を紹介しているが、あんなものは暮らしているうちに使いにくくなってしまうものだと辰巳さんは言う。配慮のかけらもないような無駄なゆとりがあるからこそ、住む人が工夫を加え、それによって住む人の生活が豊かになるのだという。

もうひとつは、もう生きるのは十分だと実感について述べた部分(169-74ページ)である。いまこの瞬間死んでしまっても惜しくない。やることはやったし、十分満足だし、幸せだし。そういう感覚のことである。辰巳さんは、物心ついたころからそんな気持ちをどこかに抱いて暮らしてきたという。私も同じである。私だけが感じているものだと思っていたら、辰巳さんは、おそらく誰しも感じていることだろうと推測する。

そうだったのか。ほんとうに知らなかった。

これは「生きるのにもう疲れた」とかいう投げやりな気持ちではない。

いつ死んでもよいようにと、清廉潔白に生きることを教えられた武士の抱く人生観に近いような気がする。

しかし、子どもが生まれてから、「もういいや」なんて思っていられないという、新しい心の支えができたと感じたのだそうだ。せめてこの子が大人になるまでは生きていたい。子どもに不自由をかけないために、元気でいたい。悲しい思いをさせないために、夫婦仲良くありたい。そんなふうに思うようになったのだという。

この言葉に、私は目からうろこが落ちた。

「もう十分だ」はニヒリズムではないと思っていたが、ニヒリズムだったのかもしれない。

まだまだ満足してはいけないのかもしれない。

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筋肉バカの壁

知らなかったけど、水道橋博士は加圧トレーニングだけしていたわけではなかった。私の知らないうちに、マッチョな体を手に入れ、さらにはホノルル・センチュリーライド(160マイル)にも出たし、東京マラソン(もちろんフル)も走っていた。

東京マラソンを走る前に、水道橋博士は手紙を渡される。その中に次のように書いてあったという。すばらしい手紙なので、全文を引用したい。

人生の中で、自分がフルマラソンのスタート地点に立つなんて、

きっとこれっぽっちも考えていなかったでしょう。

スタート地点に立つだけでも奇跡なのに、

フルマラソンを走りきるなんて、さらに奇跡に違いない。

でも、それがあなたには可能なんですよ。

まず、スタート地点に立っている、自分を褒めてあげてください。

そしてゴールしている自分の姿を想像してみてください。

自分の力。

どれくらいかなって、半信半疑でこのレースに参加したと思います。

ゴールできるかな、途中でリタイヤしないかな。と不安でしょう。

スタート地点に立ったあなたは、必ずゴールできます。

なぜかって? スタート地点に立ったことで、

すでに自分に勝っているからです。

人間(あなた)は、捨てたもんじゃありません。(228-29ページ)

気持ちが折れそうになったら、何度も読み返したい手紙である。

この部分、ページの角が折られている。図書館の本だから、感動のあまり誰かが折ってしまったのだろう。けっしてよいことではない。折るなんて縁起でもないぜ。

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1950kcal

ごはん 160kcal
中華料理(シュウマイとたまねぎのあんかけ)300kcal
サラダ 20kcal
大根キムチ 20kcal
鮭の粕漬け 100kcal
りんご半分 80kcal
ヨーグルト 250kcal

合計 1030kcal

今日の摂取カロリーの総計は1950kcal。

だいたい何も考えずに食べた場合、2000kcalくらいになるようだ。

ジョギングをすれば、まったくカロリー的には問題はない。

10日ほど前から妻が夕飯だけご飯の代わりにキャベツの千切りを食べている。だいたい200kcal分のマイナスになるから、体重は減ることは減るだろう。

ただランニングなどの有酸素運動を併用しないと、引き締まるというより、やつれるに近い状態になってしまう。減らすべきは、体重と筋肉ではなく、体脂肪だ。

炭水化物も、ビタミンB1と一緒に食べないと、きちんと燃やされずに体脂肪になってしまうらしい。

妻は私と結婚するまで、「水分を飲まずに体重が減ること」と「痩せること」を同義だと思っていたほど健康に関する知識が危うい。今回も、妻が食べているものをちらちら見ながら健康状態をチェックするのは私の役目になりそうだ。

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昼食

昼食は家でスパゲッティー。サラダやスープまでつけて650kcalほど。

ちょっと仕事で、古文・擬古文の勉強。

日本人じゃないとできないこと、自分じゃないとできないことって何だろう。

それの追求を今年のテーマとしよう。

Books

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朝食

バゲット+ブルーベリージャム 200kcal
アーモンドチーズ 50kcal
サラダ 20kcal
コーヒー 0kcal
合計 270kcal

一日2000kcalに抑えたい。

体脂肪を2%減らすためにも、できれば1800kcalに抑えたいが、ジョギングをした日には、カロリーが極端に足りなくなってしまうかも。年寄りじゃないので、2000kcalでもいいだろう。

左足甲の腱鞘炎と右足の捻挫が痛い。鎮痛剤を飲まないと長距離は歩けない。

なんなんだろうな。今年に入ってから、ずっとスランプ。思う存分に走れない日々が続いている。

走れないと、ストレスがたまる一方だ。

考えることも暗くなりがち。

唐突だが、授業を受ける学生や講演を聴きにいく人たちが求めているものは何かと問えば、おそらくテレビで伝えられるようなこととは逆の方向性ではないかと思う。

テレビは「日本はこのままではダメだ。我々の将来は暗い」ということを伝えることが極端に多い。おそらく、それとは違う世界観を授業を受ける学生や、講演を聴きに行く人たちは求めているのだろうと思う。小学生だって、学校で、「日本は将来、沈没する」という考えを吹聴されたくはないだろう。そうではなく、授業を受けると、明るい気持ちになって、前向きに生きていけこうと思えるようなことを求めているはず。「あれもだめ。これもだめ」という教えを受けると、生きることの意味を考えてしまう。本来、そんなことは考えてはいけないのである。だから、彼らが求めているのは、「前向きに生きろ。自分を肯定しろ」というメッセージなのである。世間で隆盛を極めている「不安産業」とはまったく別ベクトルと言ってよい。

もうひとつは、公共の電波を使って不特定の人たちには向かっては伝えられないような内容だと思う。要するに、オフレコだ。それを知ることで、自分たちが特権的な位置に立った気になれるというものである。それには、簡単に言うと、テレビではこう伝えられていますが、実はこれこれこうなんですよ、ということである。それがなかったとしたら、授業や講演を聴きに行く必要はない。

だから、教師や講師は、世間の常識とはかけ離れた考え方ができなければならない。世間の人たちや、マスコミの人たちは、そういう人たちを袋叩きにしてきた。その結果、教師たちは、きわめて常識的になってしまい、子どもたちに刺激を与えてくれない存在になってしまった。教師は、親の意見と同じ考えを子どもたちに伝えるのなら、学校の存在意義はない。文科省もマスコミもそれを求めていたらしいのだが、とんだ勘違いである。

学校で、世間の常識や実践的な知識を教えても、それは世の中をダイナミックに変えていく力にはなりえない。学校の役割の中でもっとも重視すべきなのは、世の中の現状維持ではなく、世の中を変えていくことではないかと思う。後から来た人たちが、伝統を変えていくことなくしては、後から来たことの意味がない。生まれてくる必要もなかったことになる。

となれば、学校や講演で伝えるべきことは、自分たちの貢献が世界を変えていくことができるという前向きなメッセージだけで十分である。

今の日本に瀰漫しているのはニヒリズムである。どうせ政治家は当てにならない。このまま日本は沈没するのだろう。どうでもいいや。将来は暗いし。仕事はないし。がんばっても、給料が上がるわけでもないし。死んだほうがまし。こんなふうに虚無的に考えるのがニヒリズムである。

授業や講演の目的は、テレビ等のマスメディアが不用意に撒き散らすニヒリズムを打破することである。

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イオンのコーヒー

フェアトレード商品といえば、すぐに思い浮かぶのはイオンのコーヒー。

私の好みは若干酸味のあるモカシダモ 100%(398円)。風味のレベルはけっこう高いのでお勧め。

フェアトレードというのは、先進国の企業が、途上国の生産物を、極端に安い価格で買い叩かずに正当な価格で買い取ること。アフリカなどの労働者をヨーロッパ人が搾取するようなやり方に対する批判から始まった取引だと理解している。基本的には、よい試みだと思う。

ベルギーはチョコレートで有名だけれど、帝国主義時代、あの国がアフリカ(コンゴやザイール)にどういうことをしていたのかという歴史的事実を少しは勉強しておいたほうがいいと思う。

バレンタインズデーだのホワイトデーだの騒ぐ前に、きちんと歴史を踏まえ、その上でベルギーのチョコレートを味わって欲しいと切に思う次第である。

それから、コーヒーの場合、「ネスレ」のような巨大なシンジケートが世界の市場を握っており、途上国の農園労働者は彼らに徹底的に搾取されている。そういう実態を、知らない人が多すぎる。

フェアトレードというのは、旧宗主国の罪滅ぼしの一環と考えてよいだろう。そういう試みに、日本人が参加している状況はすぐれて示唆的である。

コネタマ参加中: フェアトレード商品って買ったことある??

麻生首相:「ほおこけた」指摘も 「盟友」失いダメージ - 毎日jp(毎日新聞)

麻生さんは心労がたまってお疲れ気味だとマスコミは心配しながらも、一方で、ポスト麻生の話で盛り上がっている。慇懃無礼な話である。

まったく関係がないが、麻生さんの体脂肪は15~16%だという。その数値は、私のものとまったく同じである。いや、正直に言うと、今年に入ってから、朝トイレを済ませた後に計測すると17%を超えることもある。(昼間は15%以下になるけれども。)

くそ、首相になんか負けてたまるか。明日から、以前のようにレコーディング・ダイエットに励むぞ。

Aodakefumi

今日100円ショップで買ったプラスティック製の青竹踏み。このごろ足や脚に故障が多いので、ツボの勉強をしたほうがよいのかもしれない。

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使っていないもの

6割以上が「使ってないPCが自宅にある」 - ITmedia News

新しいものが出るたびに欲しくなるということは誰にでも経験はあるだろう。

パソコンも、そうやって買い換えられてきた。だが、まだまだ使えるのに廃棄されるものが多い。

使えるはずなのに、もう使えなくなったと判断し、これまで使っていたPCを廃棄する、もしくは押入れにしまってしまうきっかけは、OSをアップグレードしたことが大きいと思う。

新しいOSを導入すると、これまでのマシンが非力に感じてしまう。メモリーもハードディスクも足りなくなって、使い物にならなくなってしまう。

新しいOSを導入すると、マシンが非力なものでも十分になったということはめったにない。

PC産業は、そういう騙しのビジネスで食いつないできた。

我が家のパソコンは2台。デスクトップとノート型。ノート型は4年前に買った富士通のLOOX T70H。ヒンジ部分が壊れているが、だましだまし使っている。

デスクトップは、8年前に買ったソーテックM370AV。OSは98からXPにアップグレードした。モニターもブラウン管のものが爆発してしまったので、15インチ液晶モニターを購入した。もともとのハードディスクも壊れてしまったので、入れ替えた。ハードディスクの速度を向上させるキットも取り付けた。USB2が使えるようになるキットもインストールした。マウスも壊れてしまったので、新しいものに替えたが、すでにボロボロ。CDプレーヤーも壊れてしまったので、取り替えた。しかし、それもふたが開閉しないというトラブルに見舞われているが、それでもまだ使えるので、そのままにして子ども専用機にして使っている。いまのところ誰も大きな不便も感じていない。ただキーボードは古いので、しみだらけだし、がたがたしていて打ちにくい。それだけが気になるといえば気になる。でも使える。おそらく、マザーボードが壊れるまでは捨てずに使うはず。でもまだまだ壊れそうにない。

家の中を見渡して、使っていないのに捨てずにとっておいてあるものって、我が家の場合書籍以外は意外と少ない。

捨てなければいけないと思っているのは衣類だけである。特に、昔のスーツ。父親が退職したときにくれたものが2着あるが、時代を感じさせるので、本当は捨てたい。10年前に買ったスーツも4着あるが、あれも恥ずかしいので着られない。イトーヨーカドーでまた下取りをしてくれるのであれば、ぜひとも6着まとめて引き取ってもらいたいと思っている。

妻は、90年代の前半のバブル期に買ったブランド物のスーツを大事にしている。はずかしいので着ることはない。でも邪魔だと思ってはいるらしい。貧乏性の妻が、捨てる決意をするのはいつになるのか楽しみだ。

ものを大切にしなさいという考えとは逆の考えになるけれど、いらないものはいらないので、どんどん捨てるか他人に譲るかしたほうがいい。不要なものを溜め込む便秘状態のほうが、精神衛生上よくないからである。

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職人

子どもの頃になりたかったのは、歯科医、建築家、刀鍛冶。

一見、統一性がないようにも見えますが、そうでもありません。

これらの職業に共通しているのは「職人気質」です。

職人というのは、品質のよいものを作ることに全力を傾注します。

職人は、芸術家とは異なり、独創的で新奇なものではなく、長く使えるシンプルで美しい飽きのこないデザインのものを作ります。いつも似たようなものしか作りません。ほとんどいつも同じ作業の繰り返しです。まったくいぶし銀のような仕事です。

刀鍛冶はともかく、歯科医も建築家も実は地味な職業です。

歯科医は、マニュアルにしたがって、治療すべき箇所を発見し、かつきれいに治療し、その治療箇所を長く持たせるという点において職人に似ています。独創的な治療法を開発する必要はありません。

一般の建築家の場合は、独創的なデザインで人々を驚かせることが求められているわけではなく、建築主の要求を聞き、その要望に沿う形でシンプルで居心地のよいデザインを追求することが求められています。その点で、建築家の仕事も職人に似ています。

私は自分のことを職人だと思っています。独創的なことはできません。与えられた課題をそつなく淡々とこなすだけを考えています。

世の中には、「粗製乱造品」が多く出回っています。「粗製乱造品」で世の中を満たすようなビジネスは嫌いです。そういう精神が「職人気質」なのでしょう。

利益につながらなくても、納得の行くまで、丁寧に仕事をしたいと思っています。

近頃は、「職人気質」をもった人がずいぶんと減ってきたような気がします。「使い捨て文化」が人々の心の奥深くにまで浸透してしまったからかもしれません。

一昨日、1ヶ月ぶりで、我が家にある包丁4本のうち3本を研ぎなおしました。刃先の鋭さを取り戻した包丁は、力を入れずに軽く引くだけで、すっと食材を美しく切ることができます。

刀鍛冶にはなれませんでしたが、わたしは包丁を研ぐ作業が大好きです。包丁を研ぐたびに、私は子どもの頃になりたかった職業を思い出します。

そして、「職人気質」だけはぜったいに忘れず、「粗製乱造ビジネス」にはぜったいに加担しないぞと心を引き締めます。

コネタマ参加中: 子どもの頃に“将来なりたかったもの”は何?

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花粉症歴20年

はじめて花粉症の症状が出たのは高校生のときだから、かれこれ20年以上前のこと。

当時は「花粉症」という言葉は一般に流布していませんでした。鼻と喉の奥がむずがゆく、手を喉につっこんでかきむしりたいような気分で勉強に集中できない状態が続きました。もちろん、目も大変なかゆみでした。

その当時は、なんの対策法も知らなかったので、薬も飲まず、マスクも掛けず、そのままなんとかやりすごしました。

それが年齢を重ねるにつれ、ひどくなっていきました。杉の木は樹齢30年をすぎると花粉を飛ばし始めるそうで、花粉を飛ばす杉の木が増えてきたということなのでしょう。

一時期は市販薬でしのいでいましたが、あれだと喉が乾きやすく、また強烈な眠気や体のだるさに襲われることが多く、日常生活に支障をきたすこともあります。

なので、いまでは必ず花粉シーズンの前に耳鼻咽喉科に行って薬を処方していただくようにしています。

現在飲用しているのは「アルピード」。これは一日一回夕方に一錠飲むだけで、特に大げさな対策をする必要もなくふつうに生活ができるようになります。わずらわしいのでマスクも掛けていません。

もちろん、日中に外出すると、目がかゆくなったり、くしゃみが出ることがありますが、処方してもらった目薬やネビュライザーを使えば、すぐにその症状が緩和されます。

私の少林寺拳法の師匠は、整体になれば「体質改善」ができるのだというのが持論です。カラダのゆがみを取れば、アレルギー症状が消えるというのですが、免疫とカラダのゆがみとの因果関係が私にはさっぱりつかめませんので、ノーコメント。

花粉症シーズンを乗り切るには、やはり専門医に頼るのが一番です。民間療法はほとんど頼りにならないと思います。

「体質改善」をめざし、ひたすらかゆみに耐えるのは、マゾヒスティックな人には向いているのでしょうがふつうの人は止めたほうがいいです。

私の妻は薬を飲むことを異様に嫌います。数年前から花粉症を発症したのにもかかわらず、医者にはぜったいに行かないと言ってマスクひとつでがんばっています。私にはとうてい理解できません。

一方で、杉の木を全部切ってしまえという乱暴な議論もあります。切るのはいいのですが、政治家はそれを利用する方法について議論をすべきでしょう。少なくとも、アル中の国会議員の話をしているよりはるかにましです。

杉の木を大量に消費するというのもよいアイデアでしょう。

たとえば、ガードレールを杉の木にするのもいいでしょう。田中康夫氏が長野県知事のとくに行ったものを、全国に広げるのもいい。これには天下り官僚のいるガードレールの会社の抵抗がそうとうあるでしょうが、政治の力で粉砕してほしいと思います。

あるいは、公共事業で杉材を使った市営や県営住宅を作るのもいいでしょう。そういう住宅は意味もなくコンクリート製になっているようですが、木造建築だっていいじゃないですか。特に地方なんて。ログハウスみたいな感じでつくれば、何百年ももつはずです。

コンクリートの住宅の寿命は短いので、建築会社が儲かるというのでしょうが、湿度の高い日本の風土には合わないし、日本の資源を有効利用するということでは、国内にあふれる杉材を大量に消費する方法の検討が迫られていると思います。

わたしが政治家だったとしたら、やりたいことをそのひとつに絞ってもよいくらいです。花粉症対策から国家運営を論じる議員。短く言うと、花粉症議員。

近頃の政治家はみなカネの話ばかりしています。そうじゃないでしょう。官僚が自分たちの利益を確保するためだけに要求してきた予算案を成立させるためにはどうするかということに知恵を絞るのではなく、新機軸を打ち出して、新しい産業を生み出し、予算配分を変えていくというのが、政治家の役目でしょう。

皮肉をひとつ言わせてもらうと、政治家なんていうのはいないほうが、日本の政治はうまく回るのかもしれませんね。

コネタマ参加中: 花粉シーズン、どうやって乗り切る?

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食へのこだわり

Letter from Yochomachi (Blogger): コーヒー文化について雑感……あまり「食」にこだわるのはカッコワルイのでは?

食にこだわるのは格好悪いのではないかという散人さんの意見。あいかわらず散人さんは発想が二元論ばかりですね。

I am what I eatというくらいですから、人間のカラダはすべて自分が食べた物や飲んだもので出来上がっているわけです。口にしたものが、カラダの隅々にまでいきわたり、すでにあった分子と入れ替わります。数ヶ月もたてば、自分は別の自分になってしまっているそうです。

そのようなことを考えると、食へのこだわりが格好悪いとかいう意見は私には同意できません。

生物の生命活動は、何をどう取り入れて、どういう形に変換して吐き出すかということにひたすらエネルギーを費やしています。

食にこだわるということより、何かを食べなければいけない。別になんだっていいだろうでは、生活は楽しめません。

私が言いたいのは、モノが溢れていなければならないということではなく、これを飲む(食べる)と、一日いい気分ですごせるという物があったほうが、人生を豊かな気分ですごせるということです。

食にこだわりを持つことのどこが悪いのかわたしにはさっぱりわかりません。

格好いい、格好悪いの二元論じゃ、とうてい割り切れる話ではないと思います。

「食」のかわりに「映画」でも「小説」でもいいですけれど置き換えてみたら、映画にこだわるのは格好悪い。ハリウッドの映画で十分じゃないか、となります。そんなことをいう人のほうがよっぽど格好悪いと思いますよ。

数日間コーヒーをやめていましたが、別に禁断症状が出るわけでもありませんでした。ただ緑茶と紅茶ばかり飲んでいたら飽きてきたので、またコーヒーを飲み始めました。

1杯19円で飲める安物のまずいレギュラーコーヒーを買ってしまったばかりに、一日が楽しめません。「小川珈琲」にしておけばよかったと後悔しています。

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アレルギーと夫の実家の衛生状態

アレルギーと夫の実家の衛生状態 : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

不衛生な夫の実家には、アレルギーの子どもを連れて帰省したくないという女性からの相談。

回答者の半分は、夫の両親のほうに来てもらえばいいだけのことと答えているが、もう半分は、夫の実家に行くべきと答えている。意見がわかれている。

私の長男もハウスダストアレルギー持ち。ボーイスカウトのキャンプで泊まったバンガローがあまりに汚く、喘息に近い状態になってしまい、もう耐え切れずに、ボーイスカウトをやめてしまったほど。

妻の実家もめったに掃除をしない家なので、行くとすぐにアレルギーの症状が出て、死にそうになる。

それでも、妻は自分の実家だからということで連れて行くし、息子も自分から泊まりに行く。

おそらく、いまはアレルギーの症状を抑えるよい薬があるはず。それを医者にもらっておけば、どんな汚いところにでも泊まりにいけると思う。

だから、この場合、この相談者自身が夫の実家に行きたくないあまりに、子どものアレルギーのせいにしているのだろう。図星だと思う。

えてして、妻というのは夫の実家には帰省したがらないものである。

「自分の都合」しか考えられないのが現代人であるから、仕方がないのかもしれない。

でも、孫の相手をしたいと望む夫の両親の気持ちを大事にしてやって欲しいと思う。

我々も、私の実家に1年ほど帰省していないので偉そうなことはいえないが、そろそろご機嫌取りに帰省しようかな。

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文学研究に意味があるのか

文学の研究ってどんな意味があるの? : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

文学研究に携わっている人間にとっては、これは自分たちの存在意義にかかわる重要なトピックであり、直ちに私も何か答えなければいられないという衝動に駆り立てられる。

文学を研究するのと、ただ読んでストーリーを楽しむのとはだいぶ違う。ああ、面白かったとか、つまらなかったという感想を述べても研究にはまるでならない。

文学研究というのは、基本的にはさまざまな資料をもとに、作品(作家ではない)の分析と解釈を提示することである。

ふつうに読んだだけでは見落としてしまうようなポイントを指摘し、できれば素人読者の目から分厚いうろこを一枚も二枚も剥がしてやりたいと研究者は思っている。

そういうふうに、ふつうはストーリーを追うだけではなかなかつかむことができないテクストの「秘密」(と思われるもの)を解明し、文学作品がいかに多面的で複雑に出来上がっているかということを論証するのが文学研究者の役目であると私は思う。

現実の世界も同様に、文学の中の世界と同じように、複雑で多面的に構成されている。

そういう当たり前のことを、律儀に、地味に、こつこつと、しつこく、執念深く、人々に伝え続ける作業が文学研究なんだと思う。

文学なんかどうでもいい。自分の人生には役に立たない。飯の種にもならない。

そう思っている人が圧倒的多数だろう。

文学研究というのは、自分には何の存在価値もないと内省する視点を与えているところそのものに存在価値があるといってよい。

自然科学に携わっている人の多くは、自分たちの研究は世の中の人々の役に立つという確信をもっている。その確信がなければ、彼らは生きていけない。

しかし文学研究に携わるものは、そういう確信はまったくもっていない。何の役にも立たない、愚にもつかないものかもしれないが、それはそれでいいのだ。世の中というものは、そういうものなのだと思っている。役に立つとか立たないとか、そんなふうに単純には世の中というものは割り切れないものなんだよという視点を文学に携わるものたちは、必死になって伝えようとしている。

そこに文学研究者の存在意義があるのかもしれない。

ランナーに向かって「走ることに意味があるのか」と聞いたらどう答えるか。おそらくランナーならみな嘲笑的な表情を浮かべて「別に何の意味もないよねえ」などと返答するだろう。

意味はないかもしれないが、効果はある。健康維持とかストレス発散とか達成感や充実感を得られるとか。

しかし、そんなことは些細なことである。なにより重要なのは、走ることが楽しいということだ。そして、走ることは人生を豊かにしてくれる。

文学研究もそれと同じ。

走ることも、文学を研究することも、生きることも楽しい。

文学を研究することに意味はあるのかという疑問は、生きることに意味があるのか、という疑問とまったく同じようにニヒリスティックな愚問であると、文学研究者たちは考えている。

音楽がなければ、生きる意味がないという人も数多くいる。

それと同じようなことが、文学にもいえる。

クルマは世の中を便利にしたが、人類の生活を豊かにしたのかと問われて、どれだけの自然科学に携わる人々が自信を持ってYESと答えられるだろうか。

しかし、我々は文学研究が人生を豊かにしているということを絶対の自信を持って断言できる。

文学研究は、何の役にも立たないのかもしれないが、その役割を認識している人たちの人生を確かに豊かにしてくれている。

私が意図する「豊かさ」は「多様性」や「多面性」や「複雑性」と同義であると思って欲しい。

「文学研究は何の役に立つのか」という質問はあまりに紋切り型である。そのような固定観念に一撃を与えるのが、文学研究の役割である。それによって、人々のものの見方に多様性を与えることができるのである。

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TOEICと頭のよさ

TOEICと頭のよさ : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

TOEIC900点台は、頭がいいということを示しているのかという質問。

回答者の多くは何の関係もないと述べている。まったくその通り。

私も935点取得したが、自分が頭がいいとは思っていない。

英語のネイティヴ・スピーカーならたいていは満点の990点は取れるはず。だからといって、彼らが頭がいいかといったら、そんなことはない。

頭の良さというのは、偏差値の高さとは何の関係もない。

自分がバカであるということ、自分は何も知らないということを知っているという、その一点にかかっている。

ソクラテスの言う「無知の知」である。

自分は何も知らないということを恥とは思わずに認め、そして知らないことを知りたいという好奇心に満ちているということが、頭がよいということなのである。

TOEICは受験勉強の延長で900点は取得できる。大学では、TOEIC対策ということもやっているが、教えている側の教師たちはあんなくだらないことを大学では教えたくはないと思っている。

私は、心から、TOEICの権威が下がることを望んでいる。

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ジョグ2.5K

午後暖かくなるのを待って走りに出かけた。

LSDペースで17分42秒。息が上がらない程度に走った。

腕振りを大きくするとなるほど、骨盤が動く。上腕が疲れるほどである。いままでカラダをねじるような動きはランニングでは控えてきたが、ねじったほうが効率のよい走りになるのだろう。

カラダを前傾すると、スピードが自然に上がる。直立しているだけだと、脚(特にふくらはぎ)だけで走るようなフォームになる。胸を張りながら、少しカラダを前に傾けてやるだけで、ふくらはぎの負担が軽くなる。自然に足がフラットに着地する。地面から受けた反発力を使ってそのまま前にカラダを押し出すことができる。ただ、視点は近くなる。せいぜい5~10メートル先あたりだろうか。いままでは100メートル以上先に視点を置いていたが、それだとカラダが直立して、腰が下がってしまう。それが脚の故障の原因だったのかもしれない。

フォームの改善点をいくつか確認できてよかった。

ところが、帰宅後、異変が発覚。アドレナリンを全開できず残念だ。

左足甲の腱鞘炎と右足のくるぶしの下の靭帯の痛みがひどくなってしまったのだ。

郵便物を50メートル先のポストに入れに行くのにも一苦労。激痛に耐えながら歩かねばならなくなった。

急いで痛み止めの薬を飲んだ。いまは痛みはおさまったが、ほんとうはあと1週間くらい走らないほうがよかったのかもしれない。

明日は走らないことにした。

膝の痛みはまったくなかったので、そちらはよかった。

妻には「痛いのなら無理に走らなくたっていいでしょう」と言われてしまった。そのとおりなんだけど、3月末のハーフマラソンに出るためには、もうすでに相当走りこんでおかないとまずいんだよね。このままだと、キャンセルせざるを得なくなるかもしれない。それはぜったいにイヤだ。

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口臭

口が臭い!“想定外”の原因あり:ゲンダイネット

「毎食後すぐの歯磨きは口臭をひどくする」という。驚きの事実。


「食後は口腔内が酸性に傾くのですが、それを唾液が中性に戻しているのです。しかし、食後すぐに歯磨きをするとこの働きを妨げる。加えて唾液が水とともに洗い流され、口の中が乾いてしまう。その結果、ニオイを発する口腔内の菌が活躍しやすい環境になり、そのため、口臭が増すのです」

誰も指摘してくれないが、個人的に口臭や体臭が気になっている。においは目に見えないから、自覚症状はないけれど、誰にでも口臭や体臭があるはずである。それらが何らかの病気にかかわっているとしたら、恐ろしい。

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踵をつけない歩き方

走りにつながる歩き方 | 日刊ランニングマガジン・クリール | スポーツナビ+

踵からガツンとつく歩き方は、クッション性の高いシューズを履くようになってからはじまったもの。素足で歩けば、踵から接地しない歩き方が基本だとわかるだろう。

武道でも同じことが言われる。踵は紙一枚分浮かせ、後ろ足の前足底(特に拇指丘)を使って蹴るように前進する。さらに腰を回旋させると、すばやく動ける。昨晩、われわれはこれを稽古したばかり。

同じことを、この方も考えていたようだ。しかし、この歩き方がどうランニングにつながるのか、私には正確にはわからないが、「フラット走法」と結び付けようとしているのかもしれない。

 ちなみに素足で歩いてみてください。踵からは接地しないと思います。何百万年前も同じような歩き方をしていたはずです。「踵からガツンとつく」ような歩き方は、日本では明治以降のことなのではないかと思います。わずか150年ほどです。この間に日本人の歩き方が変わってしまったのではないかと考えるのです。

 どのように変わったかといえば、腰を回旋させなくなったのではないかと考えています。

この動きを、振突の練習をかねてやってみたら、昨日当たった手首が痛い。手首の内側を殴られると、もう手が使えなくなるんだということを初めて知った。

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「きょうの料理」が二人分

NHK:「きょうの料理」 少子化で材料の目安2人分に - 毎日jp(毎日新聞)

料理本のレシピはふつう4人分になっているので、我が家では計算が面倒だから4人分でつくり、あまったら翌日食べるようにしている。

しかし、そうもいかない場合がある。

たとえば、豚の角煮などのレシピでは使用する肉が800gとなっており、いくら4人家族の我が家でもあまりに多すぎるし、それだけ購入したら家計が逼迫してしまう。

私はたいてい350g前後の肉を買う。そう考えると、材料の目安を2人分に減らすというアイデアは好ましいのかもしれない。

スーパーでも、はらわたを抜いたサンマは2匹のパッケージになっていることも多い。

ただ、3人分を作る場合には、2で割って3を掛ける計算が必要になり、面倒になる。4人分作っておいて翌日にあまったものを食べるとか、それぞれが少しずつ余計に食べるというやり方ができなくなる。

面倒くさい計算を避けるためにも、いっそうのこと、1人分という単位にしてしまったほうが、思い切りがよくてよかったかもしれない。

それにしても、2人分というのはもはや「家族」という構成単位ではなく、一人暮らしの単位に近い。

「大家族」が高度成長期で解体されて「核家族」になり早40年、とうとう家族の概念が崩れ、「個」に分裂されてしまった。

かつてのように会社が擬似家族だった時代は終わり、会社は使い捨ての派遣社員やパートやアルバイトの寄せ集めになった。お互いにかかわりあいながら、それぞれが相手の面倒を見ながら育っていくというコミュニケーションの単位、つまり共同体が、消失しつつある。

「おひとり様」のブームも、この流れにあることは確実だ。

良いことなのか悪いことなのか私にはわからないが、「きょうの料理」が二人分になったことはすぐれて象徴的な事件である。

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民主党政権の誕生

中川昭一氏の父親は中川一郎元衆議院議員。1983年1月9日ホテルで首吊り自殺したと報じられている。一方、息子の中川昭一氏は、うつ病でアルコール依存症の気があると噂されている。

だから、マスコミは彼を笑いものにするべきではないと勝谷誠彦氏は言う。さらに、酒の匂いをプンプンさせているのにもかかわらず、記者会見をさせた官僚の冷笑主義。それを知っていて、風邪薬のせいだとかばった記者クラブの無責任さ。あの事件は、日本の歴史上で最大の汚点であったと勝谷氏は言い切る。だからこそ、そんな中川氏を大臣に任命した麻生さんの任命責任が問われているわけだと。

麻生政権、および自民党への支持率も、アンケート調査が行われるたびに下がっており、底が抜けてしまった感がある。東京新聞の調査では、麻生内閣の支持率は13.4%。不支持率は76・6%となり、麻生離れが明確になった。

望ましい政権の枠組みは「民主党中心」が53・4%と「自民党中心」の28・1%を上回った。次期衆院選比例代表の投票先は民主40・2%、自民23・9%。政党支持率も民主33・6%、自民27・2%となった。

麻生首相と小沢一郎民主党代表の「どちらが首相にふさわしいか」は小沢氏が46・4%で、麻生氏の20・4%を大きく引き離し、麻生政権で最も差が開いた。

若手から強烈な突き上げが起こっている。後藤田氏は石破茂氏か野田聖子氏に政権を禅譲すべきだという声を上げた。

小泉元首相は、定額給付金を与党が衆院での再可決に踏み切った場合、欠席すると明言。おそらくこの声に同調する者が、マスコミ各社の報道に反して、数多く出るだろう。

昨夜、森元首相、山崎拓元幹事長、青木幹雄前参院議員会長、渡辺恒雄らが会談し、麻生では選挙は戦えないという話をしたらしい。

クリントン女史は、日本訪問の折、会談の順位で、民主党の小沢さんを優先したが、日本よりもはるかに中国を重視していることもわかった。

自民党は、確実に、自壊しつつある。

数週間以内に、大きな動きが見られるはずである。記者たちが色めき立っている様子が目に見えるようだ。

いよいよ民主党政権の誕生である。

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本日の稽古

義和拳第一系、義和拳第二系(二系は初めて。覚える気がないわけではないが、似たようなものばかりなのでなかなか覚えられない。)

運歩法(腰を使うと速く動ける。)

反転換および全転換(内受をしてから払受をする)。

押受突(鉤手の要領かつ腰を入れて相手の振突を止める。相手の間合いに入り込みすぎない。攻者は振突をするときに、腰を使うこと。ひじは曲げておく。すぐに引っ込める。)

袖巻および袖巻天秤(ポイントは相手の手を軽くひっかけるところ。力を入れると相手が手を引っ込めるので、技が掛けられなくなる。攻者はつかまれたときに手を開いてしまうと守者が技を掛けられなくなる。逃げられたら天秤をとるのだが、これも鉤手の要領で、相手の上腕を挟み込み、カラダから離さないこと。

最後に整体。

肩こりのツボと足の裏のツボ、横三枚のツボを教えてもらった。最後に、右肩が上がらないと話したら、先生に送巻天秤と裏固を本気で掛けられた。その後、半年悩んでいた右肩の痛みが少し楽になった気がした。血流がよくなったのか、右ひざの痛みも緩和された。カラダの右側だけが不思議と暖かい。

少林寺拳法の場合、技自体が整体でもあると先生はおっしゃっていた。深いなあ。

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個人間金融

「個人間金融を根付かせたい」 : インタビュー : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

よくわからないけれど、最近は農産物の販売も農協を通さない「中抜き」が流行している。

それと同じ理由で、銀行の中抜きっていうのもありだね。

この中抜きを延長して、国家や政府を中抜きするということも可能かもね。少なくとも、いまの日本は国家の体をなしていないのだから。

午後、散髪。快晴。春の陽気。

帰り道、100円ショップで買い物をしたら、財布の中身が40円になってしまった。派遣切りを受けた人の財布みたいだとひとりで感慨にふけった。

左足の甲の腱鞘炎が再発。帰宅後、シップで手当て。

このごろ、運気が下降気味。

「アドレナリン全開!」に持っていく方策を考えよう。まずは、ごま塩頭を茶髪にでもしようか。

友人と同窓会を開いて、一夜を明かすというのも楽しそうなんだが、不景気を理由になかなか会ってもらえない。寂しいねえ。

アドレナリンを全開にさせる方法としては、やはり「物欲」しかない。

買いたい物を列挙してみよう。

1.電気シェーバー

2.ソファー

3.ワコールCW-Xランニングタイツ

以上。

ソファーもIKEAの安物で十分だから、全部合わせても6~7万円。

物欲を刺激するほどのものではないな。

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ジョグ2K

たっぷり準備体操をし、両膝にキネシオテープを貼って補強。

先日レイクタウンで購入した新しいランニングシューズをおろしたので、足の当たりを確認しながら、初めの500メートルはウォーキングで足慣らし。

歩き始めて数分後、右足の外くるぶしのあたりが若干当たることに気がついた。

とりあえず、周回コースを2キロ走ってみた。ほぼ二週間ぶりだったので持久力がかなり落ちている。息切れが激しい。

走行時間は12分51秒。

くるぶしの当たりは大丈夫だった。それ以外はまったく問題はない。さすがにゲル・カヤノだけあってホールド感が高いし、クッション性もいい。走りやすくて気に入った。

色が赤というのがだいぶ気合が入っているように見えて恥ずかしいのだが、気にしているのは私ひとりなのだろう。ナイキには黄色の蛍光色のシューズもあるくらいだから、まだ地味なほうかも。

右膝の感じはまあまあ。無理しなければ、もう少しは走れるかも。しかし、一気に10キロまで距離を伸ばすのは無謀なように思えた。

いまだに膝蓋骨の外側の上のほうに違和感が残っている。これがなくなれば完全に復帰できるはず。

しばらくはキネシオテープやサポーターでごまかしながら、少しずつ距離を伸ばして行こうと思う。

帰ってきたら、妻が大学から伝言を預かったという。先日1コマ増やすという話は都合によりキャンセルになったとのこと。ガクッ。

来年度から息子の幼稚園代がかかるので、生活が逼迫することは必至。妻にもパートに出てもらわなければならない。

我が家でも家計を大胆に見直す時期に来ているのだろう。

私も贅沢は控え、節約生活に励むことにした。

金食い虫の本は買わずに、家にあるものだけを読もうと思う。本屋にいくと買いたくなるから、なるべく近づかないことにする。

日帰り温泉に行くのも数ヶ月に1回だけにする。あとは雑誌を見て行ったつもりになる。

クルマにも無駄に乗らないようにする。自転車か歩きで済ます。

積極的に貯金もしようと思う。今日から500円玉貯金をすることにした。

ソファーの購入はあきらめた。

シェーバーもあと半年はごまかしながら使おうと思う。

ペット(犬か猫)を飼うのもあきらめた。

花壇に花を植えるのもやめることにした。

テレビは見ないことにした。

エアコンも極力つけないことにした。

携帯電話の契約も来年度から打ち切る。

これで年間に浮くお金は30万円以上になるかもしれない。30万円もあれば、幼稚園代を十分にまかなえるだろう。

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「巣ごもり」「内需」「低価格」

J-CASTニュース : 「巣ごもり」「内需」「低価格」 大不況でも儲かる会社のカラクリ

儲かっている企業のキーワードは、「巣ごもり」「内需」「低価格」だそうだ。

この記事は儲かるにはどうすればいいのかというイヤらしい切り口になっているので気に食わない。

それはそうと、80年代以降日本の庶民は海外旅行をし、だいぶ世界を見てきた。

見聞を広めた結果わかったことは、日本が一番ましだということ。

フランス料理もイタリア料理も食べたけど、やっぱり一番旨いのは納豆と味噌汁と豆腐と漬物と押麦入りご飯。立川談志師匠がよく言っていることだが、安いものが一番旨いんだよ。

旅行なんてしたって、テレビの旅行番組で見たような風景を自分の目で確認しに行くようなもの。ちっともありがたみがない。

そんなことなら家で、納豆ご飯を食べていたほうがよっぽど幸せな気分になれる。

結局、日本の庶民は長い時間とおカネを費やしてそういうことをようやく理解したというわけだろう。

この記事にあるように、「巣ごもり」「内需」「低価格」をキーワードにする企業が儲かっているのではなく、外にすばらしい世界が待っているという幻想を日本の庶民に植え付けようとしてきた企業が地に落ちたので、色気を出さずに、暴利をむさぼらず、地味に働いてきた企業が生き残ったわけだ。彼らはけっして儲かっているわけはないと思う。

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ホンダのインサイト

ホンダ「インサイト」発売11日で早くも1万台突破し、株価も上昇(MONEYzine) - Yahoo!ニュース

ホンダは正月に「手頃なハイブリッドカーを販売します」という広告を新聞に掲載した。我が家は新聞を購読していないので、妻の実家で見た。

ああ、これならホンダは大丈夫だと思った。まだ、洞察力(インサイト)を失っていなかった。

ホンダはF1参戦も止めにした。ガソリンエンジンから電気モーターへと流れが変わってきているこのご時勢において、エンジン開発はあまりに時代遅れなのだから当然の結論だろう。

トヨタはすでにハイブリッドカーのプリウスを世界でヒットさせているが、ホンダにはそれがなかった。ようやく、ホンダもインサイトの販売でトヨタに追随できた。

トヨタとは違うのは、割安路線を採用したことである。

おそらくこのニュースでハイブリッドカーの購入に踏み切れなかった人たちが一気に安心感を得て、週末、ディーラーに走るのではないかと思う。

実際のところ、いまの段階では、私のようにフィットに乗っていたほうがトータルでのコストは安くつく。

しかし、商品の購入というのはイメージや幻想に左右される要因が大きい。だから、ハイブリッドを安価に提供するという路線はいまの不況を打破するためのひとつの有効な方法だろう。

しかし、5年後10年後には確実に、ハイブリッドカーは落ち目になり、かわって電気自動車が一般に普及してくる。

二の矢三の矢をホンダは用意しているのだろうか。

状況を変えるのは難しいから、話題を変えよう。

今朝は、うっかりテレビのニュースを見るという過ちを犯さなかった。私が目を覚ましたときに、すでに息子たちが先にテレビ東京の子ども番組を見ていたからである。

テレビでは朝から晩まで不況、不況とかまびすしい。政治のメルトダウン、将来への不安、節約術、殺人事件などなど。そんなことしか彼らには報道できないのだろうか。

将来のある子どもには、ぜったいに聞かせられないようなことばかり。

ニュースはフィクションである。

あんなものを実際に起こった話だと思ってみている人などいるのかと不思議に思う。

近頃のニュースはみなシュールリアルで、現実離れしているから、おそらくみな虚構なんだろう。われわれはニュースというシュールリアルなドラマを見せられているだけなのだ。そう思うと、気が楽になる。

現実の世界では、人々が汗水たらして働き、些細なことに喜びを見出している。そんなことは、テレビではめったに報道されない。

だから、テレビというものは、ヴァーチャル・リアリティ(実質上の現実)ですらなく、超現実的な虚構を主にフィーチャーするものなのである。

テレビの限界は、テレビというメディアの限界を、自覚していないところに起因する。

自動車メーカーの限界も、自動車の限界を、自覚していないところに起因する。

おのれの限界を知ることは重要だと思う。

謙虚になれば見えてくるものがある。

そう考えると、この経済危機は人類が謙虚になるよいチャンスかもしれない。

経済学者を含め、世の評論家と自称するものの多くは、まだそういうことに気づいていない。ますます、傲慢になってきている気がする。笑っちゃうほど呆れるよ。

@nifty:デイリーポータルZ:一億円の車に未来を見た!

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ブレまくり

麻生総理の発言はブレまくりだと、ほんの少し前までマスコミがいっせいに非難していた。

私の発言もつねにブレまくっているので、他人事とは思えなかった。

私は大学院のときに教員免許状を取得した。教職課程の中で、教育実習に派遣される前に、パーソナルアンケートなるものを取られ、その結果を見ながら、担当の教授が面接をするというものがあった。

そのアンケートには、たとえば、「人と仲良くできる」「仲良くできない」の間を5段階にレベルわけし、自分の性格はそのどの段階にあると思うかということを選ぶような項目があった。

私はすべて真ん中の3を選んだ。

問題を読まずに、いい加減につけたのではなく、きちんと考えた結果そう判断したのだ。

それを見た面接の教授は、その理由を尋ねた。

私は即座に「時と場合によって自分の性格は変化するものだし、自分では正確に自分のことなど判断できませんから」と返答した。人間の性格や考えはAでもありBでもあり、グラデーションも刻一刻と変化しているものである。

「人間というのはそういうものではないですか?」と、生意気盛りだった私は逆に教授に質問までしてしまった。

「そうかもしれませんね」とさすがに大人の反応が返ってきた。

人間なんて、ブレまくりでいいんじゃないのかなと思う。

しかし、今回ばかりはブレまくりでいいんじゃないのとは言えなくなった。

国際舞台で醜態をさらした”アル中”中川昭一財務相の引責辞任は、麻生さんに決定的な打撃を与えてしまったからである。

私の予想では、麻生政権は4月までもたないと思う。民主党との取引でなんとか予算を通し、解散総選挙となるのだろう。

中川さんは、私がやめたほうがお国のためになると発言したそうだ。世界に寝ぼけた日本の政治家の実態をばらしてしまったような人が、「お国のために」なんてことを言うのは、よほど寝ぼけているとしか思えない。

チョー末期的ですよ、自民党政権は。

マスコミは完全に自民党麻生政権の敵になってしまった。

そろそろ公明党も、自民党に距離を置き始めるはず。そうなったら、一巻の終わり。

いよいよ民主党政権の誕生かあ~。

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りんご酢ダイエット

いままではミツカンの黒酢をお湯で薄めて風呂上りに飲むのを習慣にしていた。

しかし、不況の折、懐の寂しさを気にかけ、ついうっかりプライベートブランドの安物に手を出してしまった。これがまずいのなんのって。よく見ると下のほうに滓(おり)がたまっている。見た目にもまずそうだ。しかし、貧乏性の私(我が妻には負けるが)は、数ヶ月かけて、我慢しながらなんとか飲み終えた。

黒酢には懲りたので、今回はりんご酢を買ってきた。ミツカンのりんご酢には2種類あって、値段に2倍の差がある。安物は原材料にアルコールを使用しているので、いかにもまずそうだし、きっと体にも悪いような気がする。ということで、不況にもかかわらず、高いほうを選んだ。こちらは原材料はりんごのみ。「純りんご酢」とラベルには書いてある。

たったいまお湯割りで飲んでみたが、ほのかにりんごの香りがあり、なかなかおいしい。

りんご酢の効能は、次の通り。

1.糖の代謝を正常にし、血糖値を下げる。

2.動脈硬化の原因となる過酸化脂質の発生を抑える。

3.糖分と一緒に取ると、疲労回復に役に立ち、そのうえ血糖値の急激な上昇も抑える。

4.体内の老廃物や有害物質を取り除くのを助ける。

5.関節炎や関節のこわばり、こりを和らげ、リウマチにも効果があると言われている。

6.のどの痛みや炎症、いらいらを鎮め、ぜんそくや風邪の際の呼吸を楽にしてくれる。

こういう効能があることを知りながら飲むのと、知らずに飲むのとでは、大きく効果が違ってくるはず。私はプラシーボ効果を否定しない。

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高橋尚子 Traning for Sydney 2000

すごい足だ、こりゃ。

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肩胛骨と花粉症

「肩胛骨と花粉症」というタイトルは、「セーラー服と機関銃」という薬師丸ひろ子の映画をもじったもの。ウソですけど。

野口整体のススメによると、花粉症は肩胛骨や頚椎の硬直が直接の原因なのだそうだ。

一年中空調の効いた現代では、生活に季節感がない。身体の緩急がない為に、本来起こるべき身体の変化が起こらなくなっているのだ。それがつまり、花粉症と呼ばれる症状だ。クシャミや涙も、弛まない体をなんとか弛めようとする体の働きに他ならない。

少林寺拳法の師匠も「アレルギーは治る。花粉症は治る」と断言する。私はそのたびに「ご冗談を」というような表情を浮かべて応じているが、整体に通じている師匠の説はあながちウソでもないのかもしれない。

私の肩胛骨は硬直している。五十肩だかなんだか知らないが、右肩が左肩より高く上がらず、無理にねじ上げようとすると痛みが走る。肩こりはない。

カラダを弛めることによって、花粉症の症状が改善されるのでれば、ワラをもつかむ思いで、肩胛骨のストレッチに励んでみようか。

肩に力を入れなければ、楽に生きられるのだろうか。

捻挫と膝痛の鎮痛剤を飲むのを今日の昼からやめてみた。

右足の捻挫は手で押さなければほとんど痛みを感じない。膝のガクガク感もほとんど感じなくなった。昨日、家で、右膝をついたときに、よろめいて、膝の外側のところでカラダを支える格好になった。そのとき、ボキっと音がして、外れていた関節がピタっとはまったような気がした。それから、痛みは感じなくなったのだ。

なんとも不思議なものである。

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カラダ革命ランニング

Kin

金哲彦さんの『カラダ革命ランニング』は中級ランナーにとって勉強になる一冊だ。

「レベル別にケガ・故障を予防する」という章では、まず初心者レベルで痛くなりやすいのは、ひざ、腰、すね、おなか。これらは誰しも経験する通過点と金さんは言い、われわれを安心させてくれる。私の場合、腰以外すべて経験済み。

中級者レベルでは、足の甲や裏。足の裏は足底筋膜炎。足の甲の痛みは腱鞘炎なのだそうだ。私も1ヶ月ほど前に経験した。痛む理由がわからず不安になった。

筋力以上に走るとひざの外側が痛む。これは腸脛靭帯炎(ランナー膝)と呼ばれるもの。金さんは「腸」の字を「脹」と表記しているが、この漢字は膨れるという意味だからおそらく間違いだろう。それから、爪のはがれ、足のマメ。運よく私はまだ爪のはがれを経験していない。

上級者レベルだと、股関節の痛み。腹筋が弱いせいで、大腿四頭筋ばかり使って走っているのが原因なのだそうだ。腹直筋だけではなく、下側の腹筋や、腸腰筋(インナーマッスル)を鍛えればバランスがよくなって、痛みが改善するそうだ。

ランナーというのは、脚力ばかり強くなって、上半身とのバランスが悪くなりやすい。だから、上半身の腹筋周りも鍛えておく必要があるとのこと。

ランニングはただ走ればよいわけではなく、筋トレも平行して行わないと、バランスを欠いた走りになってしまい、故障しがちになるのである。

この本では、故障を避けるための筋トレの方法が紹介されている。

金さんの本は、ほんと勉強になる。

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本日の稽古

突天一(三級技)の復習。

突天三(初段技)。

教範には開き構えとあるが、腰の回転の勉強のため対構えで行った。

攻者の上中上の攻撃の最初の上段順突は、まともに上受をせず、半転身の要領で前足を後ろに退き、後ろ足に重心を移動させながら、体(たい)をかわすだけにとどめる。前の手の脇を締め、腹部と顔面をガードし、後ろの手は次の逆突に備えておく。攻者の中段逆突が来たら、腰を回転させてしっかり下受をし、最後の上受は一歩下がりながら、腰を戻して、しっかり受け、すぐに前足で蹴り返す。

攻者というものは、ふつう、後ろの手で逆突をするものであるが、この場合の攻撃は、順突でジャブをし、逆突がメインになる。もちろん、上段順突は守者の三日月を狙う。視線は上げたままで、逆突がメインであることを悟られないように、下を見てはいけない。

逆天一(二段技)

対天一(二段技)

以上の二つは、混乱してよくわからない。黒帯のパートナーに合わせて練習した二段技なので、まだ覚える必要はなさそうだ。

千鳥返(二級技)。

最後に千鳥返で使う「刈足」を正確に行う練習。これは足刀蹴を駆使する技。守者は、腰を回転させながら、ハムストリングスの下部から足刀を沿わせて、膝裏外の筋(鵞足、特に半腱様筋)を押し込むようにすれば、攻者が自然に回転しながら倒れるので、膝を直接地面に打ち付けずに倒れてくれる。攻者が倒れるときは、お尻をつけてしまってもいい。下手な人に刈足をされた場合、膝蓋骨を骨折してしまうので注意が必要。攻者は、差し替えて上段順突をし、結果的に背中を見せてしまう。その際、前足底(拇指丘)に重心をかけ、十分に膝を折り、踵を上げるようにする。そうすれば、刈足をされたときに、回転をつけてきれいに倒れられる。

膝痛が心配だったけれど、痛みは出なかった。捻挫の痛みはまったく出なかった。鎮痛剤を飲んでいったからなのか、治ってきたからなのかまだ不確か。

久しぶりに長男が稽古に出たのだけれど、歯痛と頭痛と中耳炎の痛みのトリプルパンチでノックアウト。病弱なところは、私の子どもの頃とまったく同じ。体質は遺伝するんだね。私の子どもの頃の記憶は、いつも病院通い。だからいまだに病院にいくと落ち着くんだよね。手術で入院してたときなんか、サッカー選手が本拠地に戻ってきたような気分だった。

私は同じ性質を受け継いでしまった息子には同情できる。でも、丈夫で健康に育った妻にはどうしても許せないらしい。医療費云々とひどくお冠である。

私は、歯の間に挟まった食べかすのような気持ちになりながら、お風呂の中で、息子に自分の体の声をきちんと聞くようにしないと、カラダが反乱を起こすんだよと諭してあげた。

カラダは大事にしながらも、甘やかさないことが重要。カラダを育てるためには、体に気づかれないように徐々に大きな負荷を掛けていくことが必要。コレは村上春樹氏の受け売り。

でも、それをするのは大人でもなかなかむずかしい。私にはいまだにできないから偉そうなことは言えないけれども。

まあ、病人には優しくするのが私の流儀。

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他人の幸せが嫌でしかたない

他人の幸せが嫌でしかたない : 心や体の悩み : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「他人の疝気を頭痛に病む」ような気のいい人がいる一方で、他人の幸せをうらやむ悪党もいる。大半は、後者だろう。人間の本性だから仕方がない。

しかし、「人を呪わば穴二つ」。呪いは回りまわって自分のところに返ってくるもの。

「他人の幸せに目が行くのは暇だからこそ。忙しくすればいいのだ」というアドバイスや、「足元を固めろ」というアドバイスがあった。まったく、おっしゃる通り。

しかし、おそらく相談者はそんなことは頭ではわかっているはず。それでも、どうしてもイヤでイヤでたまらないんだろう。

それならば、人を呪う仕事で忙しく働けばいい。

他人を呪う仕事の典型は、マスコミ関係。ニュースの99%は、羨望に誘発された呪いである。

そんな他人を呪う仕事についていると、だんだん虚しくなってくると思う。

その虚無感を契機に、足元を固め始めたらいい。

足元を固めるには、自分の頭で考え、自分のカラダを使うこと。

それでも他人が気になってしまうのなら、人っ子一人いない廃村に移住するしかなさそうだ。他人がいなければ、他人の幸福は存在しないのだからね。

あるいは、貧困で苦しんでいる人たちの多く住んでいる国を旅行してみるのもいい。上を見たら切がないが、下を見ても切がないということがわかるはず。

それでもだめなら、どうしようか。

宇宙にでも行くしかないかな。それができなければ、東京タワーか都庁の展望台に上って、地上に住んでいるちっぽけな人間を上から見下ろしてみるといい。あるいは、富士山に登ってみるのもいいだろう。

とにかく、他人を頼らず、自分の頭とカラダを使えば、答えはおのずと出てくると思うよ。

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難関私大 志願者減の異変

難関私大 志願者減の異変 不況のあおり 安全志向色濃く(フジサンケイ ビジネスアイ) - Yahoo!ニュース

不況のせいで、早稲慶応のような難関私大への志願者が激減。そのかわり、安全志向で中堅私大の志願者が増えているという。

中堅私大には、去年までなら浪人して難関私大に入ってしまうような学力のある学生が数多く入ってきてくれるのかな。

来年度は、教えやすくなるといいけど。

我が家もお金がないので、息子たちには国立に行ってもらいたい。埼玉大か千葉大か筑波大あたりが候補。

受験を勝ち抜くためには、教師の立場から言わせてもらうと、よい先生との幸運なめぐり合いが最も重要な要素。

いくら優れた教材を使っても、教える人がダメなら、学ぶ者の実力を引き出せない。

私に言わせると、よい教師の条件というのは、豊かなイメージを喚起させる言葉を持っていること。物事の真髄を的確に言い表す比喩をいくつも思い浮かべられる人ではなければいけない。

あるひとつのことを説明するのに、たった一つの言い方しかできない貧弱な言語能力しかない教師こそがだめな教師である。「この公式を覚えればそれでいいんだよ」では、子どもたちはものを表面的にしか理解できない。

もちろん論理的な説明能力も重要である。しかし、比喩には、それを上回る力がある。論理は頭での理解、比喩はカラダでの理解に導く。カラダで覚えたことはなかなか忘れないし、いざというときにすぐ使える状態になっている。

武道をやっているとよくわかるが、肘の角度を何度、足の位置はこうとか説明されて瞬間的に真似られる人はほとんどいない。そういうのは比喩でしか説明できないし、イメージを一瞬で把握させてくれる比喩こそもっとも効果的で合理的な説明方法なのである。

ああしろ、こうしろというアクションしか説明できない教師と、豊かなイメージを喚起させる言葉の使い手と、どちらに子どもたちは惹かれるだろうか。答えは言うまでもないだろう。

世間では、教師にとって「指導力」がもっとも大事な条件だと言われているが、そんなのは大嘘。幻想である。

世間で言う「指導力」というのは、恐喝や恫喝に近い。恐怖を与えて、自分の足元にひれ伏させる力を指導力というのである。小泉元首相は「指導力」があったと考える人も多いが、彼の発する言葉には豊かなイメージの喚起力がなかった。その点において、彼の指導力はニセモノであった。

「指導力」は、かつての体育教師の専売特許であったが、あれはもう効き目が期待できない。教師の権威は完全に地に落ちてしまったからである。

だからこそ、教師は「指導力」などに頼るのではなく、「言葉の力」に頼るべきなのである。

そういうことを自覚している教師が、すぐれた教師の大前提である。それを駆使できるかどうかはまた別の話だけれど。

息子には、そんな教師にめぐり合って欲しいと思う。めぐり合えなければ私が、そんな教師になるしかないかな。

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先立つものがねえ

春休みに妻の両親が旅行に連れて行ってくれるという話は諸事情によりキャンセル。

妻が非常に残念がっていたので、家族だけで旅行をしてもよいんじゃないかと提案してみた。

「オーシャンビューのホテルなんていいなあ」とのこと。

わたしもそれがいい。

長男がまだ小さかった頃、2人の料金で済んだので、よく一泊旅行に出かけた。3万もあれば十分堪能できたし。

熱川のホテルに泊まったとき、部屋の窓から見える太平洋を前に、ロマンチックな気分で盛り上がってしまった。あれはいい思い出だ。

また伊豆のほうに行きたいなあ。でも、先立つものがねえ。

一家4人では最低5万円はかかる。一泊1万円以下のところを選んでも、食事や観光、高速道路代を入れればそれくらいになってしまう。

5万円もあったら、シェーバーとCW-Xと妻の眼鏡がぜんぶ買える。

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METS法による消費カロリー計算

カロリー消費量(kcal)=1.05×体重(kg)×METS係数×運動時間(h)

METSとはmetabolic equivalentsの略。運動時の代謝量が、安静時の何倍に相当するのかを示す係数で、安静時を1とし、激しい運動ほど数値が大きくなる。

ふつうのウォーキング(15分/km) : 3.3

早歩き(8分20秒/km) : 6.3

ランニング(7分30秒/km) : 8.0

ランニング(7分/km) : 9.0

ランニング(6分/km) : 10.0

ランニング(5分30秒/km) : 11.0

自転車(16.1~19.2km/h) : 6.0

自転車(19.3~22.4km/h) : 8.0

自転車(22.5~25.6km/h) : 10.0

私の場合、たとえばランニングをキロ6分ペースで1時間行った場合はこうなる。

1.05×体重(57kg)×10.0(METS係数)×運動時間(1h)=消費カロリー(598.5kcal

消費税の計算だと思えば、比較的簡単だ。

有酸素運動では、まず糖質が燃焼され、徐々に脂質の割合が高くなっていくということはよく知られている。脂質の中では、まず血中脂質が燃焼され、しばらくすると皮下脂肪、内臓脂肪の順で消費されるようになる。そこまでに20分はかかると言われている。

「超回復」というのもよく知られている。一般に運動によって破壊された筋肉が回復するまでに2、3日はかかると言われている。しかし、腹筋(腹直筋)の場合は回復までの時間が24時間と短いので、毎日行うべきなんだそうだ。

コーヒーやお茶に含まれるカフェインは脂肪燃焼を促すアドレナリンを分泌するといわれている。体内脂肪の分解を促進し、脂肪を脂肪酸という形で、血中に送り込むことで、脂肪が燃焼しやすくなる。運動の20~30分前にコーヒーを1杯飲むと脂肪燃焼に効果的なんだそうだ。

(参照:『ランナーズ』2008年10月号別冊付録 ラクラク「メタボ解消」ランニングブック)

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CW-X

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St. Valentine's Day

バレンタイン当日の2月14日に妻がチョコレートを10%引きで購入してきた。今年のセールは15日までの延長戦だった。

今年は14日が土曜日だったため、学校や職場で義理チョコを渡さない人が増えると見られて、「逆チョコ」なるキャンペーンが打ち出された。男性から女性に渡すのもいいんじゃない、というわけだ。

おかげで、渡す予定のないチョコ好きの男も、この期間に普段食べられない高級チョコレートを気兼ねなく買えるようになった。

でも、保守的かつ財政難に陥っている我が家では「逆チョコ」はなし。

妻が我が家の男ども(私、長男、次男)に買ってきてくれたのは、生チョコとアソーテッドチョコレートの2箱。

去年はバレンタインセールのバイトに行っていた妻が、しょっちゅうモロゾフとかルタオとか高級なチョコレートをもらってきてくれたので、散々食べて舌が肥えてしまい、ふつうのチョコレートを食べても幸せな気分にはなれなくなってしまった。

コネタマ参加中: バレンタイン、チョコはこうあげたい!もらいたい!

チョコはこうあげたいとか、もらいたいとか、そういう贅沢な希望は私にはありません。「花より団子」の人ですから。ロマンティシズムの成分は限りなくゼロに近いのです。

強いていえば、「義理チョコ」というのだけは廃止したほうがよいと思う。お中元やお歳暮のセコいやつみたいで、有り難味がないからね。

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仕事

小渕優子少子化担当大臣が妊娠。外ではまともな仕事をせず、家の中の仕事に精を出していたことが発覚。おいおい頼むよ。

中川財務相はG7で酒を飲んで居眠り。トヨタや日産でさえ何万人も解雇されているんだ。エスプレッソでも飲んできちんと目を開けて仕事をしろと皮肉られる始末。

麻生内閣はもうガタガタ。

妻のご機嫌を取るために、私も今夜あたり寝ないで仕事をしないといけないのかしら。

今朝、ゴミだしをした帰りに、50メートルほど走ってみた。膝の具合は大丈夫そうだ。キネシオテープとサポーターでがっちり固めておけばいい。でも、足の捻挫が少し痛む。鎮痛剤を飲んでいるので、2~3キロは耐えられると思うが、そのあと悪化したら怖い。

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赤い靴

Kayano GEL-KAYANO® 15-SW(ゲルカヤノ®15 スーパーワイド)

越谷イオンレイクタウンに家族で電車に乗っていってきました。

スポーツオーソリティでアシックス社が行っている足測定のサービスを受け、私に合ったシューズを選んでもらいました。

足の測定と言っても、足の長さと幅とタイプだけを見ただけなので、かなり大雑把な計測でした。

右足のほうが5ミリ長く、0.3ミリ幅が広いという結果でした。レギュラーサイズでもよさそうだと言われ履いてみたら、やはりきつい。百姓のような足だから無理なんですよ。

結局、スーパーワイドの25.5センチのものを選びました。

インナーソールを外して、足を乗せてみると、レギュラーサイズの場合、足がはみ出てしまっていました。スーパーワイドのインナーソールの上だと、ほとんどはみだしません。それを見るだけでも、どちらがよいのか判断できるそうです。

いま履いているニューヨーク2130も25.5センチ。これと比べても、アーチ部分のサポートや踵のホールド性が、ひとつ上のランクのカヤノのほうが断然いい。2000円ほど高くなってしまいますが、インナーソールを買わなくてもよさそうなので、奮発してカヤノにしました。

色は、レギュラーサイズだとゴールドなのですが、スーパーワイドは赤だけ。

赤だと、いままでに購入したウェアに合わないかもしれないというのが少々心配。それに赤はエリートランナーの靴の色っぽい気がして、恐縮してしまう。

本来は、正確に足を測定するには、フットスキャンプレートの上を走り、圧力分布、重心移動、足の形状などを見なければ、最適なシューズは選べないはず。店でもらったチラシをみたら、3月14日と15日にレイクタウンでアディダスのRUNコンシェルジュイベント(要予約)が開催されるとのこと。

靴は最低2足を交替で使うのが長持ちさせるコツというのはわかっていますが、資金的にシューズにそんなにお金を掛けられないのが貧乏人の悲しさ。

そういうところをケチるから怪我をするのでしょう。

そうそう、膝の外側が痛くなるのは、『ランナーズ』2007年10月号83ページによると、O脚の人、偏平足の人、回内足の人、脚長差のある人、靭帯そのものが硬い人、坂道走行の多い人、底の外側が磨耗したシューズをはいている人などだそうです。

私の場合、第一に「底の外側が磨耗したシューズ」のせいで、第二に、ひたすら走りこむだけのトレーニングの結果、内転筋が外転筋より相対的に弱くなってバランスが崩れたせいでしょう。

今日、たくさん歩いていたら、また右足の捻挫が痛み出しました。右膝のガクガクもなかなか治りません。

残念ながら、まだまだ走れないようです。ふささらに間に合うか心配です。

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靴を買いに

これからランニングシューズを買いに出かけるところ。たまたま占いをチェックしてみたら、ぴったりだったので、驚いた。

やぎ座 - 12星座占い - Yahoo!占い

総合運

気になっていたことを清算できます
気になっていたことを清算できる日です。過去のことを振り返って、あらためてとらえ直し、穏やかな気持ちになれるでしょう。人と傷つけあったりしたことや、自分のおかした過ちなど、今日なら自然な気持ちですべて水に流せそうです。過去をいつまでも引きずっていることによって苦しいのは自分であることを悟りそう。ここ数日で過去の良い思い出だけを選んで、その他のことをきれいに忘れ去る決断ができれば、新しい人生のスタートを切れそうです。
開運のおまじない
古い靴を一足整理して、新しい靴のスペースをつくりましょう。

うまく出直せそう。

膝を痛める原因はいろいろあるけれど、ひとつは大腿四頭筋の使いすぎで、硬くなっていたことが上げられる。

十分な休息を取ったら、ようやく筋肉がやわらかくなってきた。本来、筋肉というのは、力を入れない状態だとプヨプヨとやわらかいが、私の場合は常にコリコリだった。

柔軟性を失っていたせいで、靭帯が引っ張られてしまったようだ。

ランニングを始めた当初はよく大腿四頭筋が筋肉痛になった。しかし、いまではまったく痛くならない。これは筋肉が発達したせいもあるのかもしれないが、もしかしたら、逆に大腿四頭筋を上手に使えていなかったのかもしれない。だから、走り終わると脛やふくらはぎあたりの筋肉が痛くなったのかも。

それから、内転筋というのも大事らしい。人間の大腿部は外転筋のほうが強いので、それにたよった走りをしがち。すると、使われない内転筋がどんどん萎縮していき、フォームのバランスが崩れていく。その結果、臀部、腰部、股関節に負担がかかり、さまざまな故障の原因になる。内転筋が使えていないと、走りこむほど故障を引き起こす可能性が高くなる。これを防ぐには、26センチくらいのボールを股に挟んで歩いたり、座っていたり、スクワットをしたりすると良いらしい(『ランナーズ』10月号23ページ参照)。

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サラリーマン川柳

サラリーマン川柳投票|サラリーマン川柳|第一生命保険相互会社

印象に残ったのは以下のもの。

コスト下げ やる気も一緒に 下げられる

もったいない しまったままが 勿体ない

能あるが 隠しっぱなしで もう定年

就職先 自宅警備と 言う息子

ぼくの嫁 国産(こくさん)なのに 毒(どく)がある

無神経 なのに姑 神経痛

「ストレスか?」 聞かれる上司が その原因

特に良かったのは以下の2つ。

ぼくの嫁 国産(こくさん)なのに 毒(どく)がある

国産信仰を粉砕してくれる、気の利いた川柳だ。

コスト下げ やる気も一緒に 下げられる

給料が上がらないというのが、我々ががんばれない最大の理由だと思う。

不景気だから給料が上がらないんだけど、給料が上がらないからより不景気になる。悪循環なんだね。

やはり世の中はカネなのかな?

で、結局私が一票を投じたのは、

コスト下げ やる気も一緒に 下げられる

コストを削るだけが能じゃないよ。

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富士塚

午前中、耳鼻咽喉科を受診した。私の場合、まだ花粉症が悪化していない。初期療法の段階ということで、軽い薬を処方してもらった。といっても、去年のと同じ「三点セット」(アルピード、ネビュライザー、点眼薬)だが。

午後、季節はずれの陽気に誘われて、家族で散歩に出かけた。

ジョギングコース沿いに富士塚がある。そこで遊んでいると、前の蕎麦屋のお兄さんが話しかけてきた。

昔はこの山はもっと高かったが、最近は痩せてきて、木の根っこが見えてしまっているということ。皇太子が3年前に植樹した梓という木が大きくなったこと。昔は富士塚の「胎内めぐり」ができたが今は崩れる危険性があるのでできなくなっていることなどという話をしてくれた。

その後、なんだか急にランニングの話に展開し、盛り上がってしまった。お兄さんも仕事が終わった後に走っているらしい。ただ冬は寒いのでやめているが、暖かくなったら再開するとのこと。昔は陸上部だったそうだ。ならばレースにエントリーするといいとアドバイスしておいた。

右足の捻挫はだいぶ良くなってきた。でも、右膝の具合は良くない。膝蓋靭帯が弱くなって、ぐらぐらしているような感じ。

明日、越谷レイクタウンのスポーツオーソリティーで足の測定をしてもらいに行く予定。日曜日だから混雑を避けて、クルマではなく、電車で行ってみようと思っている。

数日前までは、あまり長い距離は歩けなかったが、今はおそらく10キロ(2時間)は歩けると思う。確実に回復してきている。

で、今夜の料理番はわたし。先日買ってきた深谷ねぎがたくさんあるので、ねぎを使うレシピを探していたら、鶏肉のねぎ焼きなるものを発見。メインディッシュはこれに決めた。サイドメニューは、麻婆豆腐。これもねぎを使う。それからジャガイモとたまねぎの味噌汁。味噌は秩父味噌。ご飯は押麦入り。

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罵詈雑言代行サービス

<新商売>「恨み晴らします」罵詈雑言代行サービス―中国(Record China) - Yahoo!ニュース

「電話による悪口は1日80元(約1060円)、メールによる悪口は1日50元(約660円)、電話・メール両方による悪口は1日120元(約1600円)」だそうだ。

対象は民間企業か個人に限られていて、国家や政府に対しては行わないという。国家反逆罪に問われるからかも。

それならば、この企業の社員が別の社員に対して一日中悪口雑言を送り続けるようにお願いして、社員全員が連日お互いを罵倒しあい、最後には全員がノイローゼになるか、殺し合いになって、会社をたたまざるを得なくさせるというのも面白い。

私に余分なお金があって、中国語ができるのなら、ぜひともお願いしてみたい。

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SOFSOLE

今日はあったかい。11時の時点ですでに20度近くまで上昇している。軽いジョグでも大汗をかいてしまいそうだ。まだ、捻挫が完全には治っていないので、今日も走らない。もし走るなら来週以降だ。

さっき図書館で借りてきた『ランナーズ』誌に、SOFSOLEというインソールの広告が掲載されていた。価格が税抜きで2980円と手ごろなので、インソールを新たに買うとしたらこれにしようかなと思っている。万人に合うような設計だから、万人に合わない可能性もある。

自分専用にカスタマイズされたものもいいけど、わざわざ神田まで作りにいくのが面倒なんだよね。

Imgstability

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麻生さんは知的な与太郎

私は子どもの頃から落語やオールドスタイルの漫才(やすきよなど)と、新日本プロレスが好きだった。だから、ああいう料簡が根っからしみこんでいる。

どういう料簡かというと、本気にならないことと、ずらすことにもっとも価値を置くということ。

ガチンコ勝負や正攻法は無粋だと思う。

あくまでも演技、振り、ごっこを意識している人を評価する。

横山やすしという芸人もあくまでも演技をしていたわけで、あれを素のやっさんだとテレビを見ていた人たちが思っていたとしたら、とんだ田舎者だろう。

ツービート、B&B、阪神巨人などが漫才ブームを起こし、隆盛を極めた後に出てきたのが、とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題。

とんねるずとダウンタウンは邪道であるから、大嫌いである。だから、爆笑問題が出てきたとき、初めてオールドスタイルの漫才が復活したと喜んだ。

オールドスタイルは、固定観念をぶち壊したり、限界を追求したりするような破壊的な笑いではなく、ちょっとだけずらしてやるやさしい笑いである。

最近のお笑いブームは、オールドスタイルを継承してもいないし、ぶち壊し系の傍流にすらなっていない。一発ギャグで笑わせるだけの子ども向けの笑いである。深みがない。

落語はあいかわらず落語である。根本的に、ずらすのが基本。

政治ネタにいってしまうが、麻生首相は骨の髄から落語的な教養がしみついているのではないかと思う。

あの人は人間そのものが落語なのだ。知的な与太郎ではないかと思う。

麻生さんのことをブレていると批判する人がいるが、彼はわざとブレて、田舎者のマスコミを振り回して粋に遊んでいるのだろう。

あのお座敷芸を理解できない評論家はよほど教養がないのだろう。

小泉純一郎は無粋な破壊系である。オペラとプレスリーとX-JAPANを並べて聴いてしまうような人なんだから、だいたいわかるでしょ、趣味の悪さが。

麻生さんの趣味は酒とウォーキングと漫画だ。漫画はよくわからないが、ウォーキングはいいじゃないか。自分の足で歩くことが重要だと思っている人は信頼できる。

麻生さんと小泉さんとは相容れない。どちらを選ぶかといわれたら、私はだんぜん麻生派だ。

小泉元総理が麻生批判をしたことで溜飲を下げている人や、「角福戦争勃発か? 解散総選挙も近いのでは」とにわかに活気づいている人もいるが、小泉さんは「過去のことを何でも忘れさせてしまう人」(by菅直人)である。

小泉さんはたいへん危険な存在である。麻生さんや小泉さんに振り回されているマスコミの報道の仕方に国民は振り回されないように警戒しておくべきだと思う。

有効な対策としては、落語を聴くことしかないね。やはり、志ん生と談志だよ。

談志は、ふとわれに返り、「オレほど頭のいい落語家はいないね。なぜかというと、自分はつねに間違っていると思いながら落語をやっているから」と言うことがある。「他の芸人とはレベルが違うよ」。

重要なのはこういうことなんだよね。それをわかっている人は世の中にどれくらいいるのだろうか。残念ながら、ほとんどいないんだよね。

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花粉症

花粉症対策はこれで決まり! 最新商品チェック&レポート - ライフ - 日経トレンディネット

数日前から鼻がムズムズ、目がチカチカという状態が続き、そろそろ花粉症の季節だなと思っていたら、急に今朝鼻水が止まらなくなった。 

さっそく耳鼻咽喉科に行ってくることにした。とりあえず、家に残っていた処方薬のアルピードを1錠飲んでおいた。

昨日、整形外科で処方された薬が効いているらしく、足の捻挫や膝の痛みが緩和され、何不自由なく歩けるようになった。もしかしたら数日中に走れるかもしれない。

処方された薬は、ソレトン錠80、ニコラーゼ錠10、セルベックスカプセル50mg、エラダーム軟膏、ロキソニンテープ50mg。

ソレトン錠は痛みや炎症の原因となる物質ができるのを抑える効果があるという。これが効いているのかも。

シップ薬も市販のものとは含まれる成分が違うのだろう。それも効果があったのかな。

あとは原因が特定されたという安心感も、痛みの緩和には重要な要素。

何がいけなかったのかだけでもわかると、困難を乗り越えられた気分になる。

昨日、整形外科に受診していた若い女性に対して、看護婦さんが、「前回の受診から3ヶ月以上たっていますので、弁護士さんと保険会社に相談しないと保険金が出るかどうかわからないので、先に診察費を支払っていただいておいて、保険金が出るということであれば、あとでご返金させていただきます」という旨のことを話していた。その女性患者は、自分の名前が呼ばれると、座席に読みかけのファッション雑誌を放り投げ、さっさと受診室に入ってしまった。

私が想像するに、この女性は事故の被害者で、ちょっとでも痛いところがあると医者にかかって、加害者に診察費をたかり、ねちょねちょと復讐をしているのではないかと思う。がめつい、自分勝手な人なのだろう。雑誌を本棚に戻さず放置して、後から来た人に片付けさせようとする人なのだから、私がそう判断しても無理もないだろう。

最近の医者は、法律の知識もないとやっていけないんだな。大変だ。

医者つながりということで、昨夜寝る前に立川談志の「金玉医者」を聴いた。いっぺんに全部見せちゃ効き目が強すぎるよなあ。落語のわかる人にしかわからない。

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コーヒー断ち

新生銀行の口座を解約した。他行への振り込み手数料が回数無制限で無料だった時代に口座を開設したのだが、その回数が5回、3回と減っていき、今年からとうとう1回になってしまった。いずれゼロになるのは目に見えている。持っていても何のメリットもない口座になったという理由を述べて解約させてもらった。

話は変わるが、今朝からコーヒーを断っている。

私はタバコは吸わないが、おそらく禁煙したときの気持ちというのはこういう感じなんだろう。スーパーに行くと、まずコーヒーのコーナーに足が向いてしまう。でも、じっとパッケージを見つめるだけで、なんとか耐える。

別に、我慢する理由はない。

しかし、コーヒー断ちを決心したのは、コーヒーの味がなんだかまずいように感じられ、何ゆえあんなものを朝っぱらから飲んでいるのだろうかと疑問を抱くようになってきたからである。お金はかかるし、ゴミは出るし。冷静に考えてみたら、自分はただのカフェイン中毒になっているだけではないかと気がついたのだ。

自分が何かの中毒になっているというの耐え難い。ケータイも本当にやめたいと思っている。テレビも見ないようにしている。特に、ニュースは精神衛生上きわめて悪い。

いま中毒気味なのは、インターネットである。自覚症状があるので、そろそろ距離をおきたい。

私は常にニュートラルでいたい人間なのである。

悪く言うと、熱しやすく冷めやすいタイプ。常にブレている。

「コーヒー断ち」で検索したら、数多くのサイトがヒットした。コーヒーは貧血の原因になるらしいし、関節痛が治ったなどという報告もある。確実に小遣いアップにはなる。

極東ブログ: あなたは三日間コーヒー断ちができますか?

コーヒー断ちのご利益 - 燈明日記

風呂上りに豆乳を飲んだら、アレルギー症状が出てしまった。のどの奥が無性にかゆくなって耐えられなくなった。牛乳はおなかを壊すので、豆乳でも飲もうかと思ったのだが、かなり危険な飲み物だった。

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捻挫

レントゲン技師は、右膝の関節のX線写真を2枚、右足の関節を2枚撮影した。そんなに放射線を浴びたら癌になってしまうかもしれないと不安になった。

医師は、触診およびX線写真によって、右足に関しては複数の捻挫、膝に関しては内側の靭帯への負荷という診断を下した。 

具体的には、右足は踵(かかと)と踝(くるぶし)を結びつける「踵腓靭帯」と、踝と船状骨を結びつける「前距腓靭帯」の捻挫、および立方骨と楔状骨と中足骨のつなぎ目部分の捻挫(?)を併発しているとのこと。

膝に関しては、骨への異常は見られなかったが、理想的な関節のつながり方ではないので、不安定な場所を走るとぐらついてしまう。それで大腿骨と脛骨を結び付けている内側の靭帯(特に、脛骨の部分)に負荷がかかったのであろうということである。半月板は問題なし。関節軟骨もきれいであるという。

捻挫に関しては、グキっとなった記憶がまったくない。受付の前で待っていた患者さんの一人(本当は57歳なのに、問診表に誤って27歳と書いていたために、無粋な看護婦が他の患者たちの前で確認していた)も、捻挫した記憶がないのに捻挫のような痛みがあり歩けないと話していた。そういうこともあるのだなと不思議に思った。

1週間ほど痛み止めの薬を飲み続け、捻挫の箇所をシップで冷やし、サポーターで保護しておくようにと言われた。

リハビリも受けられるとのことだが、そこまで深刻だとは思えないので遠慮しておいた。

少し気が楽になって、駐車場まで50メートルほど走ってみた。走れることは走れるが、1キロ以上走ったら、膝と足の痛みでさらに回復が長引きそうな予感がした。

じっと我慢の子である。

やはり、新しいランニングシューズを購入し、できればカスタムインソールと膝を保護するタイツも使用するべきなのだろう。

お金に羽が生えて飛んでいってしまう。

そんなにいっぺんに買い物はできないので、走れるようになったら膝にキネシオテープ(安上がり!)を貼って走ることにする。

病院といえば、そろそろ、花粉症の季節。

今度は、耳鼻咽喉科へ行って、花粉症の薬をもらってこないといけない。一家で通っている診療所は、数ヶ月前からコンピュータ予約システムを採用したので、予約も便利だし、待ち時間がほとんどなくなった。実に、ありがたい。他の病院もそうしてほしいほどだ。

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整形外科

今から整形外科に行ってくる。いつも行っているところは院長がやる気がなさそうに対応するし、なのにいつ行っても激混みなので、別のところを開拓する。

ネットで探していたら、クルマを使わないと行けない距離だけれど、「靴外来」をもつ整形外科を発見。インソールまで作ってくれる。でも、ランニング用ではないかもしれないので、やはり、そこは止めておいて、別のところへ。

「腓骨筋腱炎」などという専門用語を出すと嫌がる先生がいるので、子どもみたいに「ここが痛いんです」と言おうと思う。あと、「膝のこの辺も」とか。

以前、私が偉そうに、「なんとかという病気ではないかと思うのですが」と医師に言ったら、「診断は医者がするものよ」と女性医師にたしなめられたことがある。その通り。プロのほうが正しい。素人は黙ってろということ。

まあとにかく、この症状が出たのは2月5日だから、もう1週間たってしまった。治る気配がないので、そろそろ医者に行かないと危険かも。

朝のうちはあまり痛くないのだけれど、時間がたつにつれ痛みが強まっていく。あまり動かしちゃだめということなのかな。

冬は故障するランナーが多いみたい。筋肉が寒くてカチカチに硬くなって柔軟性を失っているところで、急に動かすから、筋肉を酷使してしまって、故障するのかも。

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がんばれ、麻生!

etter from Yochomachi (Blogger): BS7「なんでも鑑定団」……すごい爺さんが現れた!

たしかに田舎もんの金持ちはいやらしいが、それを羨望のまなざしで見る都会人も同様にいやらしい。

余丁町散人さんは団塊の世代だから、完全に階級闘争的発想から逃れられないようだ。

彼は、権力者から権力を奪い返すことが善という思考パターンを、田舎と都会の利害関係に安直に置き換えただけ。フェミニズムは女が男から権力を奪い返せば世の中は良くなるという主張であるが、それと同じように、彼の主張には怖いくらいに怨念と憎悪と羨望と怨嗟がうずまいている。

ところで、小泉元首相が、麻生首相を嘲笑したそうだ。ニュースをフォローしていないので、なんのことかさっぱりわからない。政治の現場を去ることにした人間が、何をいまさらという気がする。

麻生さんは首相の器ではなかったことは確かであるが、だからといって一度みんなで持ち上げておきながら、いったんリーダーになると、すぐに足を引っ張って引き摺り下ろそうとする自民党の議員は、麻生さん以上に見苦しい。

このごろ、麻生さんに対する考えが変わってきた。

麻生さんはいまの日本にとって最適な首相ではないかと思うのだ。

その理由はこうだ。

麻生さんは決定的に頼りにならない。信頼もできない。希望も与えてくれない。彼が与えてくれるのは、吉本の三流芸人レベルの笑いだけである。

ゆえに、国民は彼に頼っても仕方がないと考え、自分で行動しなければどうしようもないと思うようになる。

そうすれば、何でも政府や役人が悪いのだと罵ったり、あるいはその反面、政府に頼り切ったり、政治が変われば世の中が良くなるなどという幻想を抱いたりする性癖を捨て去ることができるかもしれない。

大人というのは、他人には何も期待しないものだ。

所詮、政治家はバカだから、何もしなくていいよ。自分たちでやるから、あんまり口出ししないでくれよな、妙な法律を作らなくてもいいよ、というくらいの気概を持つ市民が増えれば、少しは日本はよくなるのかもしれない。

少なくとも、市民は自立できる。日本人の思考パターンの問題点は、他者依存と他責的思考である。それらから脱却できる機会を、麻生さんは今の日本に与えてくれてる。

ゆえに麻生さんは日本にとって最適な首相ではないかと思うのだ。

任期満了までひっぱってくれたほうが、逆に日本人のためではないかと思う。

がんばれ、麻生。

尻拭いは民主党が全部やってくれる。だから、麻生さんは安心して任期満了まで首相専用高級安楽椅子を死守してほしい(笑)。

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文学研究

知識(既知の情報)が増えすぎて研究対象を新鮮な切り口でとらえられなくなるという時期が必ずと言ってよいほど研究者には訪れる。いわゆるスランプの時期だ。

私の場合、恥ずかしいことに、このスランプの時期がかなり長く続いてしまった。ちょうど結婚と子育ての時期と重なってしまったということもある。関心が、小説と付き合うことよりも、他人と付き合うことのほうに移ってしまったのである。

だから、いまイチから勉強しなおしている。

そうしているうちに気がついたことがある。評論には、その時代、その時代によって、紋切り型のフレーズや思考パターンがあるということだ。

たいていの物事には賞味期限がある。文学研究の場合、賞味期限が過ぎてしまったものは極端に恥ずかしい。賞味期限の過ぎたものをずらっと並べてみる。

古くは、著作物には、著者のこめたたった一つのメッセージがあるので、それを読み解くのが読み手の役目であるというものもあった。

それから、主人公の行動は道徳的に(キリスト教的に)正しいのかどうかということだけを評価するものもあった。

あるいは、帝国主義批判や、ナショナリズム擁護論、もしくはコスモポリタニズム支持派的な見解から、作品の価値を認定するものもあった。

さらには、女性の描かれ方だけに着目し、フェミニズム的な観点から、許せるか許せないかを論じるというものも大流行した。

近年では、書かれたものは書き手の手を離れ、書き手の意図していないことまで表現してしまうので、それを読者は読み取ってもよいというものがある。いまなおこの考えに対する研究者たちの信頼は根強い。自分の誤読を開き直って許す裏づけを与えてしまっているところが私には許せない。

あるいは、書き手がある文体を採用したことで、その文体が物語をつむぎだしたり、歪曲したりするというのもあった。こういう物言いは格好いいかもしれないが、証明不可能なことが多く、私に言わせるとズルい。

信頼できない語り手という切り口もあった。語り手が読者を欺くのだという説である。面白いのだが、これも根拠付ける論理が不十分な気がする。

私はこれらのすべてが賞味期限切れだと思う。そう考えるがゆえに、私はスランプに陥ってしまった。いまのところ、次の一手が見当たらないのである。

たいてい、賞味期限を意識していない評論には、明確な根拠もないくせに、何某という権威がそう言っているから、私の主張は正しいのだというものになっている。冷静になって考えてみたら、説得力がない。ロラン・バルトがそう言ったからとは直接書かないが、みな一様にそういう権威に頼っている。

要するに、凡庸な研究者は、自分が骨を折って集めたデータや自分の頭がつむぎだしたロジックではなく、他人の権威に全面的に依存しているのである。

彼らの章には、他人の著作物の引用、ストックフレーズ、専門家だけにしか通じないジャーゴン、そして他人のつむぎだしたロジックに満ち溢れている。それらを差し引くと、ほとんど何も残らない。

結局、言いたいことは、「私は何某の意見に賛成です」か「私は何某の意見に反対です」のいずれかである。独自性、独創性に欠如しているのである。

恥ずかしながら、私もそういう論文ばかり書いていた。実に情けない。

何某かの考えに賛成や反対を唱えるよりも、「自分はどう読んだのか」ということを表明することに専念すること。これがもっとも重要なことである。

私の師匠はつねに「自分はどう読んだのかだけを書けばいい」と言っていた。

私は今までその言葉を十分に理解しているつもりだった。しかし、自分がまったく理解していなかったことがこの頃になってようやくわかってきた。

もちろん自分勝手な論理の読みを提示してもいいというわけではない。独自の論理を打ち出せということなのだ。

「お前はそんなことも知らないのか」と言われるのが癪で、古今東西の研究書をひたすら読む日々が続いた。そうするうちに研究対象の小説がどんどんつまらなくなり、私から遠ざかっていった。「なぜこんなことをしているのか」と自問自答に明け暮れた。

その小説を読むたびに、頭の中でストックフレーズが踊った。

自分が読んでいるというより、こんなふうに読みなさいと命じられているような気分になった。

それがイヤになったのだ。

いままでの学習履歴をすべてリセットし、最初から始めたいと私は思った。

6年以上ものブランクを経て、いまようやくすべてをリセットできたような気分になった。

本当にバカになってしまったほどだ。

上に述べたようなことを理解していると思っている研究者の多くは、作品に潜む謎の解読に血道をあげている。いわゆる謎解きである。

私はそれもイヤなのである。

結局、私がやりたいこと、興味の中心は、自分の基準に照らし合わせて、その文体はしびれるかどうかを論じることだけである。テーマ(メッセージ)はどうでもいい。書き方(書法)が重要なのである。

WhyやWhatではなく、あくまでもHowを優先したい。

なぜそうなのかなど考える必要はない。

何が書いてあるのかさっぱりわからなくても、ただしびれればいいのだ。

ただそのしびれる感覚をしびれると言うだけでは、研究とは言えない。論文にはならない。

それを文章に変換するのが私の役目だと思っている。

実は、それが一番難しい。

それはある料理の上手さを表現するのが難しいのと同じことである。ただ単に「うまい」といっても、その上手さを表現できることもある。それは表情や感情が「声」に伴うからである。しかし、書かれたものには、それがない。だからこそ、言葉での表現は難しい。

中条省平というフランス文学者が、日本文学の魅力を紹介している『小説の解剖学』という本がある。詳しくはその本を読んでもらいたいと思うが、この本の最大の魅力は、作品をきちんと紹介しているということである。英語で言えば、評者の姿勢が、あくまでもdecentなのだ。とりわけて優れているわけではないが、まずくもない。礼儀作法にかなった、慎みのある紹介の仕方なのである。

批評というものは、本来そういうものである。作品の魅力をきちんと紹介すること。

私はこれをお手本にしたい。

文学研究などというものは、それ以上でもそれ以下でもない。そんなふうにキッパリと割り切った方が潔くてよい。

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肉と豆

私の得意料理は、「豚の角煮」と「黒豆」。

いずれも、相当に時間がかかる料理。私のように暇でマメな人ではないと、とてもじゃないが作ろうとは思わないだろう。

でも、この前、圧力鍋を買ったので、時間の短縮になってかなり楽になった。

以前はよくダッチオーブンで、豚のスペアリブをコカコーラで煮るという料理をよくやっていた。

あとは、魚なら丸ごと一匹買ってきて、包丁でさばくのが好き。妻は台所が臭くなるからゴミの回収日の前日しかさせてくれないが、魚をさばくのはカエルの解剖を思い出して楽しくなる。

できれば生きている魚をブスリとやりたいと思っているのだが、なかなかそういう機会には恵まれない。

さすがに、豚や牛や鶏や兎や熊や鹿や猪を自分で屠殺する勇気はないけどね。

ちなみに、わが妻はパンを焼くのが趣味。教室にも通ったことがあるので、メロンパンはお店に出せるほどの出来栄え。

いやはや、家族が太るのも無理はない。

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津軽海峡冬景色

最初に自分のお小遣いで買ったレコードは覚えていない。CDに関しては覚えているけど、恥ずかしくて人には言えない。

あたしゃ、CDプレーヤーを買う前にCDを買ったりもしたし、大学院生のときなんて、CDをスピーカーの上に置いておいて、データが消えたらどうしようと大騒ぎして、同じ研究室の院生に笑われたくらいのバカなんです。)

小学校に上がる前によく聞いたドーナツ盤は、ご多分にもれず「泳げ、焼いた貴君」じゃなく「泳げ、たいやきくん」。

もうひとつは、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。渋いだろ。

都はるみの歌もよく聴いたなあ。

美空ひばりのコンサートも行ったぜ。コレは自慢。

無論、たいやきの歌以外は、みんな母親の趣味。

そのせいか、物心がついてからは演歌は大嫌いになったが、子どもの頃の経験が染み付いているからだろうか、40歳近くになってきたら、だんだんあのコブシがたまらなくいいと思えるようになってきた。

「心地よさ」という点では、年齢とともに、味覚と同じように、聴覚も変わるのかなあ。

だからと言って、デコトラに乗って、大音量で演歌を掛けて、国道を快走しようとは思わないけどね。

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変換ミスは笑えない。

変換ミスは、同音異義語が多い日本語にとって不可避の現象。

「内臓」と「内蔵」、「確率」と「確立」の取り違いなんて、あまりに氾濫しすぎていて、いまや完全に逆だと思っている人も多いくらい。笑うに笑えない。

同音異義語が増えた理由は、日本人が中国語の複雑な発音に対応できなかったからと聞く。語尾の子音が認識できない日本語の話者は、シャンなのかシャングなのか区別ができず、さらに四声の区別もないので、すべてをサンにしてしまったとかいう話だ。

それは言語の特性だから仕方がない。だからこそ、いま外来語を移入することでそれらの区別の難しさを克服しようとしているわけだ。外来語の氾濫も必然なのだろう。

いま、ふと思いついて「鶴立拳」と打ち出そうとしたら、30秒以上かかった。「カクリツ」には「確立」と「確率」と「かくりつ」と「カクリツ」の4つしか登録されていない。

ちなみに、「ケン」は数え切れないほど登録されている。鰹(かつお)もケンと読むのかと今初めて知った。

日本語の場合、英語のように単語ごとに切れ目を入れて配置するのではなく、漢字やカタカナを使ったり、句読点をわざわざ入れてやらねば、切れ目なく続く構造になっている。だから、文字変換ソフトには切れ目を見つける作業もさせなければならないわけだ。

そう考えると、ほとんど誤解せずに、音だけを聞いて他人の思考を理解できるのだから、日本人はけっこう偉いと思う。(いや、本当は誤解だらけだったりしてね。)

wコネタマ参加中: あなたの笑える変換ミスを教えて!

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幸福

世界的に「幸福度」の低い日本~特に60代男性の喫煙者が最も不幸? - ツカサネット新聞

それにしても日本の幸福度は高いとは言えない。政府はこれを重視し、国民の幸福度を高める努力をすべきではないだろうか。

政府は大店(おおだな)の番頭さんじゃないんだよ。主人のかわりに何でも一人で仕切っているわけじゃない。

本当の主人は誰? あなた自身じゃないの? 

幸福を感じるのに政府に頼らなきゃいけないと思っているバカ(共産主義者?)っているんだなあと不思議に思った。

それはそうと、日本の場合、とりわけ60代の人たちの幸福度が低いのだそうだ。ここで取り上げられているのは、幸福度と喫煙率の高さと結びつけ、禁煙を促すプロパガンダ的なアンケート調査である。インチキ調査の典型である。

しかし、戦争を知らない60代のお金持ち連中が幸福度が低く、それ以上の戦争経験者や、それより下の我々のような貧乏世代のほうが幸福度が高いというのは実感としてよくわかる。

財産はしこたま持っているくせに、社会が悪いとか、政治家が悪いとか、偉そうなことばかり言っているのは、たいてい団塊の世代の人たちだ。

日本人の政府信仰・政府依存は救いようがないね。

私は別にアナーキストでもクリント・イーストウッドのようなリバータリアンでもないけど、(グローバリズムの時代だし)政治や国家なんて信用しないほうが幸せになれると思うよ。

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2000年に1度の危機

J-CASTニュース : 石油危機超える最悪のマイナス幅? GDP前期比年率2ケタ減は確実

ひとことで現在の日本の置かれた状況を言い当てるならば、「いまの景気悪化は日本が米国の消費に頼っていたツケが回ってきたようなもの」ということだと言う。

「他者依存」や「外国依存」という日本人の悪しき性向がここへ来てとうとう破綻したわけだ。

アメリカにとっては「100年に1度の危機」かもしれないが、日本にとっては、「2000年に1度の危機」かもしれない。なにしろ、すべてを自分でなんとか解決しなければならなくなったのだから。日本列島に住む人々にとっては、こういうことにはまったく慣れていない。

今では一端の先進国の住人だと思っているが、実は、文字の書き方や使い方も、抽象的な思考も、食べ物(米、野菜のほとんどを含む)自体も、調理方法も、焼き物の作り方や織物の仕方も、医術も何もかも中国から教わってきた。もはや頼れる黒船もGHQも来てくれないし、高度成長期を支えた朝鮮戦争(日本人は勤勉だから高度成長期を迎えられたというのは幻想)も起こらないだろうし、中国さんはもうゴミ(ペットボトルを含む)も買ってくれなくなった(リサイクル神話の崩壊!)。

なにもかも自分で始末をつけなければならない。

でも、自分で自分のお尻を拭くのって、ほんとうは簡単じゃないのかな?

やってみればできるはずだよ。

来月、うちの3歳の息子が誕生日を迎える。トイレトレーニングの終了期だ。「うんち、うんち」と言いながらトイレに駆け込んで、しばらくすると、「お父(母)さん、うんち出た~」と叫ぶのだ。まだ自分でなかなかお尻を拭きたくないようだ。うんちを触ると手が汚れるからイヤなのだろう。でも、そろそろ自分で始末をつけさせねきゃ。

今回の経済危機も同じことであって、これをアメリカさんの受け売りで「危機」と捉えるからどうしようと慌てふためくのであって、幼児期から少年期への過渡期と捉えれば、脱皮するチャンスということになる。ものは考えようだ。

自殺の名所である東尋坊に足を運ぶ人が増えているらしい。私には怖くてバンジージャンプさえできない。高いところから飛び込める勇気は賞賛に値する。そういうことができる勇気があれば、いくらでも仕事は見つかると思う。

ただ、自殺志願者にとって最大の問題は、彼らが「自分の都合」しか考えていないということにある。生きるというのは、「世の中の都合」と「自分の都合」に折り合いをつけること。それが基本。

大人になっても、そういうことさえわかっていないのだから、呆れてしまう。本当に大人なの? だから、悪いけど、自殺志願者に対しては、共感も覚えないし、同情も感じない。

「100年の一度の経済危機」だと騒ぎ立て、犯人探しをしたりする評論家ぶった奴らや、認識が甘いと首相を責め立てるだけのマスコミにも共感できない。

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かんなの湯

日帰りで埼玉の北西部にあるかんなの湯に行ってきた。

本庄児玉の少し先、長瀞にほど近いところにあるので、東松山か秩父経由で行ってもよかったのだが、17号をずっと北上して、途中コンビニや道の駅おかべなどに立ち寄りながら4時間くらいかけて到着。

6年ほど前、この施設がまだ市営だった頃に、懸賞で無料入浴券を当てて、それを利用して行った覚えがある。全体の造りはほとんど変わっていないが、新たにレストランができて、館内着、タオル、岩盤浴がセットになって、会員になればフリータイム980円というリーズナブルな料金体系。大人たちが岩盤浴でリラックスしている間に子どもが遊ぶゲーム機(マリオカーとWiiなど)も置かれている。

残念ながら、今回は岩盤浴が2時間待ちと、かなり混雑していたので、キャンセルせざるを得なかった。次回は、浴させていただくつもり。

お湯はさっぱり系。つるつるしないので、私にはそれが若干不満だったが、客の中にそっちのほうがいいという意見もあるので、一概には判断できない。

全体的に露天風呂はお湯が熱めで、長湯ができないのが残念。

といいながら、我々は2時から8時まで滞在してしまった。日帰り入浴で6時間滞在というのは、我々には異例のことだ。

夕食後に、もうひと風呂。完全に宿泊モードだ。

館内の乾燥した空気を長時間吸っていたせいで、今朝はのどが痛い。風邪を引いたのかも。

それから、外の縄文釜風呂で寝そべっていたら、左ふくらはぎに低温やけどを負った。露天風呂に入ったら、しびれる痛みを感じたので、何かと思ったほど、まったく気がつかなかった。サウナはおそろしい。

帰りに、赤い月を見た。妻が地震でも来るのかしらなんて不吉なことを言う。

昨夜、インドネシア付近でM7.4があったが、もしかしたら、なんらかの因果関係があるのかも。

右の捻挫(腓骨筋腱炎)と膝痛はぜんぜんよくならない。草加ふささらマラソンはキャンセルしなければならないのかな。

中央の軽トラの上に見えるのが、赤い月。

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羨望

またまた今朝うっかりテレビをつけてしまった。焼きたての紅茶パンをかじりながら報道番組を見ていると、結局、「羨望」が報道関係者の原動力になっているのだなということがよくわかった。

脱税とか、利権の話とか、痴漢もそう。「けしからん。許せん。でも本当は俺もやりたい」。つきつめれば、これが本音だろう。

何年か前に、このご時勢に一夫多妻制を採用しているオヤジがニュースになった。あのときにはその羨望がモロに出た。

麻生首相についても、漢字さえ読めないあんなバカでも首相になれるんだから、羨ましい。俺にもやらせろ。それにつきるんじゃないかと思う。

だから、首相になったとたんに、マスコミは引き摺り下ろそうとする報道ばかりを流す。持ち上げておいて、すとんと落とす。まるでSMプレイを楽しんでいるようだ。こういうのを今は「ツンデレ」っていうの?

今朝ホームベーカリーで作った紅茶パンは、市販のミルクティーの粉末を使って焼いたもの。ちょっと苦味があって絶品だった。デュラムセモリナ粉を50グラム入れたのでもちもち感がパワーアップ。

どうだ、羨ましいだろう。

ほんと、くだらねえ。

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子どもの書いた物語

朝のうちは、右足の腓骨筋腱炎の痛みがほとんどなくなっているのだが、夜に近づくに連れて痛みが増してくることの繰り返し。動かしたり、体重を掛けて筋肉を酷使するからいけないのかも。

昨晩、小3の息子が学校で書いてきた物語(原稿用紙3枚分)を3歳の次男が私のところに持ってきて、読めというので読んであげた。残念ながら、何が書いてあるのか、我々にはさっぱりわからなかった。

ストーリーに一貫性と必然性がないのだ。

誰々がどこどこにいって何々をすると、何々になり、すると、こうなって、ああなって、こうなって、ああなって、こうなって、ああなったと延々と続き、ひとつのセンテンスが原稿用紙で4行以上にわたって続く。

句読点は打つべきところに打たれず、打つべきではないところに打たれている。どこで切れるのかわからない。

センテンスがあまりにも長いので、途中で、最初に何が起きたのかわからなくなる。

それが最後まで続くのでどういう物語だったのかよくわからなかった。しかし、ある子どもたちが探検をして、鍵を見つけて、その力でお金持ちになったという話らしいことだけはわかった。

アクションの羅列は、明らかにロールプレイング・ゲームの影響だ。

心理描写がまったくない。そのとき主人公はどういう気分になったのかがまったく書かれないので、物語に深みがなく、次のアクションが起こる必然性が感じられない。説得力はゼロ。

おそらく、小学3年生くらいの子どもにとっては、世界はそんなふうに出来上がっているのだろう。まるでロボットが見る風景を見たような気分がした。

人の気持ちを理解するというのは難しい。楽しいこともつらいことも、いろんなことを経験し、そのうち徐々に他人の気持ちや因果関係や人生の機微がわかるようになってくるものなのだろう。

物語にはたいていひとつのテーマがある。言いたいことはおそらくはひとつしかない。それはだれでも思いつきそうなテーマや主張でしかないことが多い。

それをいかに効果的に描写するかということが書き手にとって頭を使うところ。

そこを読むのが物語を読む楽しさである。逆に言うと、アクションの羅列が面白くない理由は、そこにある。

でも、子どもにとっては、アクションの羅列のほうが面白いのだろう。たとえば、遊園地で乗り物に乗ったとして、それについて日記に書かせたとする。子どもにとっては、いくつ乗ったか、どんなものに乗ったのかだけが興味の対象となるのだろう。

大人にとってはそんなことはどうでもよく、その体験を通じて何を学んだのか、どういう気持ちになったのかが最大の関心事である。

大人と子どもがなかなか理解し合えないのは、そこにあるのかもしれない。

最近では子どもと同じ知的レベルの大人が増えてきたので、私の杞憂に終わってしまうかもしれない。

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キレる夫

キレる夫 : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

相談者の夫は拝金主義的である上にDV癖を持つという。

そんな夫とは別れたほうがいいというアドバイスが数多く書き込まれている。

私もその意見におおむね賛成だ。

こんなことは言いたくはないが、この夫は人間として最低ランクに属すると思う。最低ランクだ。

そういう夫を選んだこの女性も同様に最低ランク。

最低ランク同士で、お似合いにカップルなんじゃないかと思う。

別れたければ別れればいいし、そのまま添い遂げたければそうすればいい。勝手にすればって感じ。

まさにバカップル。

笑止。

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ネガティブ人間

ネガティブな夫にイライラ : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

要は、皮肉や悪口の多いネガティヴな夫の対処法を知りたいということ。

だんなさんは相当にストレスがたまっているようです。そのストレスをきちんと発散できれば、ネガティヴな発言がおのずと減っていくものです。

だからといって、夫の罵詈雑言にいちいち反応したり説教したりすると、お互いにストレスをためこんでしまい逆効果。

では、だんなさんのストレスを発散させるにはどうすればいいのでしょうか。

時間を忘れて集中し、思う存分楽しめることをだんなさんが自ら見つけることです。

それしかありません。

それができなければ、その病気は治りません。

私の場合、スポーツで発散しています。ウォーキングとかジョギングとか自転車とか少林寺拳法とか。

日帰り温泉旅行なんかも最高です。明日は建国記念日で小学生の息子も休みなので、久しぶりに温泉に行ってこようと思っています。

足と脚を故障していてジョギングができず、たまりにたまったストレスを発散してこようと思います。

いやあ楽しみだなあ。ウフフ。

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ベンチコート

ぽかぽか陽気になったので、久しぶりに県民健康福祉村へ出かけた。子どもを遊ばせながら、横目でランナーたちを観察。ひどいフォームで走っている人が多い。あれで怪我ひとつせず走っていられるんだから、世の中は不公平だ。

午後、散歩をかねて夕食の買出しに近くのスーパーに行ったら、衣料品の売り尽くしセールをしていた。入り口近くにベンチコートが置いてある。スポーツショップでは、ふつう1万円から2万円で売られているので、なかなか手が出ず、もうすでに3年くらい指をくわえて見ていた。

値札を見ると、5,000円。原価は14,800円。そのまま手にとってレジへ直行。

帰宅後、値下げシールをはがしてみると、7,990円の値札が現れた。

さすがにこれ以上は下げられまい。底値で買うことができて満足。ただ、縫製が悪い。糸の始末がきちんとしてないから、アウトレット品という扱いなのかも。別に、私はそういう細かいことを気にしない性質(たち)だから、どうでもいいんだけどね。

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私の走りの問題点

あたくし

カタクチイワシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は「みさとシティハーフマラソン2009」のときにプロのフォトグラファーが撮影したもの。

1名につき2枚ずつ撮影されているので、ランナーは自分の走り方がわかるようになっている。

おそらくこれはゴール直前だと思う。相当弱っている感じがする。左足の膝痛を我慢して走っているところだ。

この写真を見て、私の走りの問題点がはじめてわかった。

1.腕振りが小さい。

2.右足のかかとが内側から入ってしまっている。

3.全体的に膝が内側に入り込んで、内股気味になっている。

4.股関節をうまく使えていない。歩幅が狭い。

5.若干腰が落ちている。

6.膝がまっすぐのときに着地しているように見える。

7.上半身がやや起きすぎ。もう少し前傾していてもよさそうだ。

以上の欠点のために、現在わたしは右の膝と脚と足を痛めている。

フォームをもう少しダイナミックなものにするために、スピード練習をしたほうが良いのかも。

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不況時にモテる女

09年度、不況時にモテる女って? - [男と女の恋愛学]All About

不況時にモテる女とは、お金がなくても楽しめる、明るく前向きな女性だという。

趣味はジョギング、日帰り温泉、キャンプなど。

ドライブ中に道に迷っても、さまざまな手段を駆使してなんとか切り抜け、周囲を不快にしないタイプ。すぐにイラつく人は、誰からも嫌われる。

こういう人間が好かれるのは不況時に限らない。

私も、お金がなくても楽しめる、明るく前向きな人間を目指している。

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着信拒否

046-384-31XXから数ヶ月にいっぺん私のケータイに電話がかかってくる。その番号の持ち主を知らないのできっと間違い電話だろう。発信源は、もとのカノジョに電話をかけているストーカー男かもしれない。あるいは、行方不明の娘を探す母親かもしれない。

調べたら、この番号は神奈川県秦野市のもの。そんなところに知り合いはいない。

一度も電話に出ずに、今朝、着信拒否にした。

右足の腓骨筋腱炎はだいぶよくなってきた。まだ痛みはあるが、階段を駆け上がれるまでに回復してきた。これは捻挫をきっかけに引き起こされるものらしい。捻挫なんかしたっけ?

足首をあまり動かさなかったせいか、前脛骨筋の膝に近い部分に張りと痛みがある。

右ひざも、歩いているうちに痛くなってくる。

逆に、レースで痛めた左ひざはなんともないのが不思議。

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生命保険

asahi.com(朝日新聞社):保険は入らなければいけないもの? - 代理店のおやじ直伝!後悔しない生命保険 - 生命保険特集 - 医療・健康

保険も「不安産業」のひとつ。

保険は必ず入らなければならないとマインドコントロールされている人が日本では圧倒的多数だ。しかし、保険は掛け捨てが基本だと、このCFP氏は言う。その通りである。

私は火災保険と自動車保険にしか加入していない。ともにリスク細分型で、ともに年間1万数千円程度のものである。常識では考えられないほど、私はケチっている。

私の母は私に高額な生命保険を掛けている。年間15万円も支払っているらしいので、積み立て型のものなのだろう。

かりに私が死んだとしても、保険金を受け取るのは母である。自慢ではないが、両親は私の基準で見れば相当な金持ちである。年に1~2回は海外旅行を楽しんでいる。使い切れないほどお金を持っているのだから、保険金なんていらないはずである。何ゆえ保険などかけているのか、私には理由がさっぱりわからない。私に死んで欲しいと思っているのだろうか(ここは笑うところではない!)。

では、もし母が気の毒な私の妻子に保険金をそのままそっくり渡したとしたらどうなるかというと、日本で一番高額な税である贈与税をがっぽりとられてしまうのである。

そういうことなら、一月3000円程度の掛け捨ての保険にでも入っていたほうがはるかにましである。我が家は貧乏だから、それすらケチっているのだが。

だいたい、国民健康保険に入っていれば、病気で入院をしても医療費のほとんどが国から還付される。だから、がん保険以外は、民間の保険に入っていることのアドバンテージはあまりない。

母が死んだ場合、私がその生命保険を受け継いだとしたら、贈与税がかかるらしい。

人は生まれたときから死ぬまで国に税金を取られまくる。取られたお金は湯水のごとく使われ、ドブに流される。

それが生きるということなのか。

確定申告の時期が近い。

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金太郎飴状態

3週間で変わるものか:鳩ヶ谷雑記

トップダウンでなんでも変わる「成功体験」から抜けられないのは他ならぬ鈴木敏文、その人なのです。

こういうことを書けるのは、この方がかつてイトーヨーカドーにお勤めだったからではないか。でなければ、鈴木社長をここまで批判できないだろう。この方の鬱は、それが原因なのかもしれない。

おっしゃるとおり、pbiはひどい。明らかに、ユニクロの二番煎じ。

最近、イトーヨーカドーは「ザ・プライス」という店舗を展開し、激安で勝負しているようだが、それを「攻め」だと思っているところが、人まねに頼り、長期的視点もなく、顧客や社員のことを考えていない証拠である。

安ければ貧乏人は満足するだろうという高慢な「上から目線」がイトーヨカドーの癌だ。

ものが安くなっても人々の心や生活を豊かにすることはできない。貧乏くささが漂うだけだ。

そうではないのだよ。顧客が求めているのは。かといって、高級品ばかり置いて貧乏人に涎をたらさせるようなデパートのような商売もいやらしい。そんなスタイルはもう完全に終わった。

「この店に来てよかった」、「新しいことが学べた」、「ルーティーンから解放され、自分の生活を違う視点から眺められるようになった」などという気分にさせる店作りがこれからの小売業界には求められているのではないかと思う。

日本はどこへ行っても金太郎飴状態になりつつある。

どこのお店へ行っても同じものしか置いておらず、同じような食べ物しか食べられない。コンビニ、ファミレス、ファーストフード、回転寿司、ラーメン屋、うどん・そば屋。なんたら銀座。どこの温泉地へ行っても、同じようなサービスが提供される。地方色などまったくなくなった。なんか空しくなってくる。

そんな環境におかれたら、デリケートな人間なら、鬱になるのも無理はない。

イトーヨーカドーも金太郎飴状態(イオンだって同じだが)。その大きな原因は「トップダウン」にあったのか。

ボスが威張っている企業は上手くいっているときの上昇スピードも速いが、失敗したときの下降スピードも同じように速い。しかも、トップダウンの企業だと、社員は現場にいる自分たちの意見が通らずに居心地の悪い思いをする。会社への忠誠心も育たない。すべて他人任せの無責任な従業員が増える。

他の大企業も同じようなものだろう。大学も、いまやまったく同じ状況だ。

現場の声を大事にしないところは全てうまくいかないというのは真理なんだと改めて思った。

自由を奪い、すべて管理できるようにすれば、たしかに顧客に効率よくサービスが提供できる。しかし、柔軟性はなくなる。

柔軟性がなくなるとカラダは故障しがちになるが、同じことが組織にも当てはまる。そういう故障は、柔軟性を鍛えないと治らない。鍛えるのだ。

効率よく整理整頓されたものを提供されてばかりいると、人生が空しくなる。いろんなわけのわからなさをぶつけられたくなる。

「これどうなっちゃうの、ほんと、わけがわからない」というようなかつてのバブル期の西武のようなビジネスの復活を望みたい。

右足の腓骨筋腱炎の痛みは軽くなってきた。あと3日くらい、走ったり、長距離を歩かなければ、痛みは消えるはず。

その程度の休養で完治するかどうかはわからないので、しばらくは様子をみる必要がある。いきなり5キロや10キロを走るようなことも無謀だろう。再開したばかりだが、少林寺拳法の稽古もしばらく休ませてもらおう。

走れないので、イライラする。

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マラソンの魅力

以前、マラソンの魅力について、βエンドルフィンとの関係うんぬんと書いたことがあるが、最大の魅力は自己承認の感覚を得られることであると思う。

世の中には、才能が認められ表舞台に出て行くものもいるが、そうではない人のほうが圧倒的に多い。

NHKのBS放送をたまたまつけたら手塚治氏やトキワ荘についての番組を放送していた。トキワ荘は、手塚氏本人だけではなく、その後、数多くの才能のある漫画家を輩出した。しかし、その影に埋もれてしまった無名の漫画家も少なからずいた。また手塚治氏や赤塚不二夫氏の名前を冠した新人賞を受賞するも、埋もれてしまった若者たちも紹介されていた。運命の残酷さを感じた。

当然だが、世間に認められずに消えていく人のほうがはるかに多い。才能を認められるのは10,000人のうちたった1人いるかいないかだろう。

だから、ほとんどの人が不本意な仕事で生計を立て、そういう生活と折り合いをつけることを一生の課題とする。

マラソンの世界でも、才能を発揮して世界に認められるのはごくごく一握りの人たちだけである。たとえば、高橋尚子とか渋井陽子とか野口みずきとか。

しかし、市民ランナーにとって、マラソンとはそういうものではない。最初から誰かに才能を認められるかどうかなど重要ではない。自分の無能さと理想とを天秤にかけ、無能さに大きく傾く自分の人生に折り合いをつける必要など一切生じない。

マラソンのレースで1位になることなど市民ランナーにとっては、夢のまた夢。たいていの人にとって目標にはならない。

それより、21キロや42.195キロという距離を走りきることで、自分で自分自身を認められるようになることが最大の関心事である。そして、その自己承認の感覚がマラソンが私たちに与えてくれる最高の贈り物だと言って良い。

おまけとして、周囲の人間が自分の努力を認めてくれることもある。たとえビリになろうとも、完走できたランナーは必ずや讃えられるであろう。たとえ途中でリタイヤしてしまったとしても、走っている間は、がんばっている自分に沿道の人々からの声援が飛ぶ。こんなありがたいことはない。

それがマラソンの最大の魅力だ。

それにしても、足と脚が痛い。昨日から気がつくと脚のツボを押していたので、もみかえしがきつい。右足は歩くのはもとより、立っていても痛くなってくる。

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ノブレス・オブリージュ

年齢階層別の金融資産保有割合をグラフ化してみる:Garbagenews.com

J-CASTニュース : おカネあるのに使わない高齢者 それが若者の低賃金を生む

若者が家にこもってケータイとインターネットとゲームばかりやっているから景気が悪くなったという説があるのだそうだが、それは嘘で、実は資産を溜め込んでいる高齢者がお金を使わないから景気が悪くなっているのだそうだ。

またまた犯人探しだ。

どうでもいいけど、高齢者側にとっても、将来が不安なのだろうし、使いたくなるようなサービスも、買いたくなるような商品も見当たらないのかもしれない。

何々は誰々が悪いという紋切り型の他責論や責任転嫁は封印したほうが、21世紀を生きるための適切な振舞い方ではないかと私は思う。

お金と血液は同じで、流れなければ滞留して調子が悪くなるという。「カネは天下の周りもの」というくらいだから、それはそうなのかもしれないが、だからどうした。

好景気が「善」で、不景気が「悪」という前提は、実は偏見なのではないかということも考えられないだろうか。そこまで言ってしまった人はいまだかつていないだろうし、少なくとも経済学者なら誰一人そんなことは言えまい。

百歩譲って景気が良いことを善としても、資産を溜め込んでいる高齢者はモノを買えとせっついたところで、すべての世代が幸せになるとは思えない。少なくとも、世の中のためと思い、買いたくもないようなものを買ったり、受けたくもないようなサービスを受けたって、高齢者が満足できるということもあるまい。

もし、景気回復を狙うのであれば、定額給付のようなバラマキをしたり、高齢者にカネを使えと促すのではなく、高所得者から低所得者へ、所得を分配する方法をとればいいだけのこと。つまり、昔のように、高額所得者に対する直接税(特に所得税)を増やすのである。

私のような子育て世代の30代、40代が一番お金がなくて困っている。使いたくても使えないこの世代に、所得を適切に分配するように制度を変えれば、有効な景気対策になる。

それとともに、相続税と贈与税を廃止する。そうすれば、親の世代から子の世代へ資産が移転しやすくなる。

間接税の比率を高めることが善であると政府は思い込んでいるが、昔のスタイルに戻したっていいんじゃないのか。

消費税の増税は、「消費しろ、でも消費するな」というアクセルとブレーキを同時に踏ませるダブルバインドの命令になって、景気をより悪化させる。政府に対する信頼がゼロの日本では、消費税の増税は筋の悪い政策だと思う。

現在、「フェアネス」の名の下に政府が取っている政策は困っている人がより困る政策である。

「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」(金持ちや身分の高いものは、そうでない人々を助けなければならないという考え方)を見直す時期に来ているのではないか。

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腓骨筋腱炎

右足の外側のくるぶしの少し前あたりの疼痛はまだおさまらない。

腓骨筋腱炎は長引くそうだから、じっくり休んで治したほうがよさそうだ。

足や脚の筋肉のマッサージをしていると、相当に凝っていることがわかる。

特に、前脛骨筋や長指伸筋という脛の外側の筋肉の凝りがひどい。

おそらく、柔軟性を失ってしまっていた前脛骨筋や長指伸筋が腓骨筋を引っ張って炎症を起こしてしまったのだろう。

腓骨筋は足の横ぶれを防ぐ筋肉。回内と磨耗したランニングシューズのせいで、酷使されたのだろう。

体中の筋肉がいま私に反乱を起こしている。リーダーである私がきちんと各筋肉の訴えに耳を傾けてやらなかったのがいけなかった。

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バレンタイン撲滅

バレンタイン撲滅「バレンタイン中止のお知らせ」 - アンサイクロペディア

シャレがきついでは済まされないね。

アフリカの奴隷の人たちのことを考えると。

でも、去年、妻がバレンタインのアルバイト(モロゾフ)に行って生活費を稼いできてくれたから、私にはバレンタイン・デーを撲滅しようだなんて偉そうなことはいえない。

「逆チョコ」ブームも、ホワイトデーなんかより、はるかによいアイデアだと思っているほど。

チョコレートも高級なものはたしかに美味なので、チョコレートを贈る習慣を私には蛇蝎のごとく嫌うことはできない。

妻がお土産にもらってきてきれた試食用のチョコレートは本当にうまかった。北海道小樽の「ルタオ」のものだったが、あれはお勧めですぞ。

小樽に行くと、通りで、おじさんが試食させてくれるものと同じやつだが、私はあれを食べてから、嫌いだったチョコレートが好きになったくらい。

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この番組はよくないよ

最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 診察室バックナンバー

妻が好きでよくこの番組を見ているが、私はどうも好きになれない。自分は病気になんかならないと慢心している人に、いろんな症例を紹介するという意図は評価できるのだが、その取り上げ方があまりにセンセーショナルで、大げさで、わざとらしく、病気でもない人を病気であると思わせ、病院に足を運ばせるようなつくりになっているのが気に入らない。

何かの検索をしていたら、ヒットしたのがこのページ。ここでは「運動性慢性疲労」なるものが紹介されている。

体を鍛えれば鍛えるほど、丈夫な体になるというのは幻想に過ぎません。

この言葉がひっかかった。たしかに私のように運動しすぎて怪我で苦しむということもあるだろう。しかし、内臓的には以前よりはるかに健康になっている。

この回の番組では、運動のしすぎて、風邪を引きやすくなったり、不整脈を起こしたり、激ヤセしてしまった患者の症例を取り上げ、その原因を次のように解説している。

長期間激しくランニングをすると、脊椎のすぐ前に位置するすい臓は、かかとの着地の衝撃を長く受け続け、機能が低下。そのため、食べたものの消化や吸収を助ける酵素が正常に分泌されず、小腸での栄養の吸収が充分に行われなくなってしまったと考えられているのです。これが激ヤセの原因。

きわめて特殊なケースを一般化する煽りは、バランス感覚の欠如した、たいへん危険な番組の作り方である。

こういうケースがあるから運動は危険だと思わせてしまう可能性もある。しかし、一方で、運動不足で病気になるということもよく紹介されている。

要するに、こんなケースで死んでしまうような人は極めて少ないし、むしろ運動することで健康になる人のほうが多いのだから、わざわざこういうことを取り上げて啓蒙することの弊害のほうが大きい。

「放っておくと大変なことになりますよ」的な「不安産業」が花盛りだが、世の中の人たちはだいぶ飽き飽きしているのではないか。

「英語が話せないと将来困ることになりますよ」というのも幻想だったように、「不安産業」の多くは、概して存在しなくてもよいビジネスである。

今までの好景気はその不安産業が作ってきた面が大きい。だが、これからは脱「不安産業」がビジネスの中核になっていくのではないかと私は予測する。

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変わらないね

想像してみてほしい。

あなたは狩猟採集型部族のリーダーである。何かの影響で、海の幸や山の幸が捕れなくなってしまった。そのまま何もしなければ、共同体の構成員は全滅してしまう。

あなたは共同体を維持するためにどういう打開策を打ち出すか。

おそらく、あなたの頭に最初に思い浮かぶのは次のような実も蓋もない考えではないだろうか。

食料が減れば、一人分の割り当てが減ってしまう。だから、共同体を支えている若者と中年だけが生き残り、生い先の短いご老人や世話のかかる赤ん坊に死んでもらうしかない。少なくとも短期的には、そうしないと、全員が飢餓状態で死んでしまうからだ。

だれもそんなことは言わないが、現在起こっていることは、ズバリこういうことである。

飢饉のときは日本だってこういうことはふつうに行われていた。

しかし、人権意識の発達した現代社会では、そういう考えはタブーだ。

あちらを立てれば、こちらが立たないのだが、それでもなんとか、誰も犠牲にしないようにがんばっている。しかし、現実は、そう簡単にはいかない。

仮に誰かを犠牲にするとしたら、誰を犠牲にするのが共同体の構成員の同意を得られやすいのか。

やはり、弱い人だろう。病人、老人、赤ん坊、障害者、低学歴の人、そして女性。

真っ先に、弱者が切り捨てられる。

「いじめ」も「弱者切り捨て」も根本的には同じ現象である。

そう考えると、昔から、人々の意識は根本的にほとんど何も進歩していないのかもしれない。

人間は「ホモ・サピエンス(知恵のある人)」と呼ばれることがあるが、本当に知恵があるのだろうか。私には甚だ疑問である。

本当は、われわれは「ホモ・スツピドゥス(愚かな人)」じゃないのか。

私は2008年の漢字を「愚」と予想した。私の予想に反して「変」が選ばれた。甚だ不本意であった。

自分たちの「愚」を見つめ、反省することができなければ、世界は良い方向に「変」わることはありえない。だから、私は2008年の漢字として「愚」を選んで欲しかった。「変」を選ぶなら今年であるべきだった。

あいかわらず人類は一歩も進歩しないと思う。

絶望的な気分になる。

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ランニングシューズ物色中

いま履いているのはアシックスGT2310ニューヨーク。重たいので、ほんとうはもう少し軽いのがいいんだけどね。

Asics Mizuno Newbalance Nike

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Simple is best.

ノート型PC激安路線 「日本メーカーなぜやらない?」: 私見「クローズアップ現代」:J-CAST テレビウォッチ

台湾メーカーの出す激安ノート型パソコンには、機能をインターネットとメールに絞り、表計算やワープロ機能は削り落としているものが多い。機能を増やすのではなく、逆に絞り込んでシンプルにしている。それが最大の魅力だ。

Simple is best.

余計な機能はいらない。いままで「何でもできるPC」というコンセプトで売り続け、実際は使われることもないようなアプリケーション・ソフトをあれもこれもと大量に抱き合わせて、高価格で販売し、儲けを出してきた日本のメーカーは、あまりにプライドが高く、台湾メーカーと競い合うことが許せないという。

日本のメーカーは図体がでかくなりすぎた。機動力が悪くなったものは必ず撃沈する。

もし、いまパソコンを買うとしたら、私も台湾メーカーのもので5万円以下のものを買うだろう。それで十分だからだ。5万円でもまだまだ掛け値をしすぎているように思える。2万円に負けてくれ。

ケータイ電話でも同じことが起こりつつある。

電話とメールで十分なのに、余計なものをつけまくって、結局、使い物にならなくしてしまっている。

さらに、ひとりひとりの個人が電話などを持つ必要があるのであろうか、という疑問まで抱かせてしまう。本当は、電話なんていらないものなのではないか。

もし、絶対に必要であるというのなら、パソコンとケータイを二つも持っている必要はないのではないか。パソコンなんて、テレビとは違うので、鮮明で精細な大画面はいらない。

とにかく、時代の大きな流れは、シンプルに戻す方向に向かっている。

「セレブ」とか、「ゴージャス」とか、過剰な虚飾をもてはやす時代はもはや終わり。

エクストラなものはすべて捨て去るべき。

捨てに捨てまくって、捨てきった後に、何が残るか。それは裸の身体だけである。

人は身一つで生まれ、身一つで死んでいくのだから、生きている間は、この裸の身体そのものに磨きをかけることがもっとも重要なのではないか。

今朝も、右足が痛くて歩けない。昨日無理して歩いてしまったので、痛みが余計にひどくなった。痛みが引くまで、運動は避けることにした。

カラダは大切に扱わないと私みたいに、ひどいしっぺ返しを受けることになる。

人間にとってもっとも大切なのは、このカラダである。

「カラダだけは大事にしてくださいよ」by林家三平。

至言である。

Desktop これは今朝の私のパソコンの画面である。

よく見て欲しいが、この新聞のサイトを見て、人生が豊かになる人などいるのだろうか。

ここに必要な情報は何かひとつでもあるだろうか。

冷静に考えればわかることだが、笑ってしまうほど、まったく重要なものは見当たらないだろう。少なくとも、知らなくても生活に支障をきたすようなことは一切ない。つまり、この新聞にあるすべての記事は無意味で無駄ということだ。「税金の無駄遣いを省け」とお説教を繰り返し書くより、メディアが自ら贅言を省いたほうがよっぽど効き目がある。少なくとも、その分、人々の心が豊かになる。

「新聞は語彙・常識の宝庫」というコピーが右肩に見える。

新聞を読めば、「麻生首相のように漢字の読み間違いをして恥をかくこともないし、非常識な政治家のように馬鹿にされることもなくなりますよ」とでも言いたいのだろうか。語彙と常識とやらがあれば、大学に合格できますよなんてことをいいたいのなら、大学関係者として一言申し上げておかねばならない。常識にとらわれている人こそが大学にはいらないのである。

何が書いてあるか読む前からわかってしまうような新聞(どこが新しいのだ?いつも同じような出来事と主張ばかりじゃないか!)を読むより、何が書いてあるのか見当もつかない本を読んでいたほうが、人生が豊かになる。

語彙が豊富であればいいとか、ひとなみに日本国内しか通じない常識があればいいとか、そういう基準しか提供できない新聞は人々との視野を広くさせてはくれない。

私はテレビもほとんど見ないし、新聞も購読していないし、新聞サイトもきちんと読まない。ひとつには、それはテレビや新聞に触れるだけで、不幸な気分になるからである。

そう考えると、さっきのキャッチコピーはこんなふうに書き換えたほうがよさそうだ。

「テレビ・新聞は(人を不幸&視野狭窄にする)ばい菌・ウィルスの宝庫」

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素敵ですね。

年収320万ですが、がんばってます。力をください。 : 男性から発信するトピ : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

トピ主はうつ病を患う37歳。妻子あり。年収320万。

「誰かに褒めてもらいたい」という声に答えて、大勢の人が激励している。

いい気持ちになれた。

うつ病になったあと、男性は「余生」を生きていると思っているそうだ。そう思わなければ生きていけないという。ある人は「余生」なんて言ったら奥様に失礼だと書いている。

しかし、私には「余生」を生きているという感覚がよくわかる。

「余生」というのは正確な表現ではなく、実際は、ありがたく生きさせてもらっている人生というような意味だろう。

大きな病気を持っている人なら、いま生きさせてもらっていることに素直に感謝できる。

いつ死んでもおかしくないんだけど、生きさせてもらっている。

お金はないけど、幸せはある。そういう気持ちだ。

「お金があること」と「幸せであること」は必ずしも比例しない。

それがわからない人が一番不幸せだと思う。

「スローライフ」を生きていると思えばいいなどと、書いている人がいた。

私がトピ主に代わって、「お前ら、ふざけるな。思い上がるんじゃないぞ」と言い返したい。

そういうクソみたいな言葉を平気で吐ける奴は、「オレはお金があってよかった。うつ病じゃなくてよかった」と安心しているのだろう。

そうじゃないんだ。逆に、そんなふうに安心してしまっているような奴こそ、不幸せだし、目が見えていないんだということなのだよ。

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景気が良いところ

景気が悪い企業もあれば、景気の良い企業もある。

スポーツ用品販売大手のアルペンが健康志向を反映し、ランニングやウオーキング用品の販売が伸び、営業利益は85.0%増の45億円、純利益も56.9%増の23億円と好調だった。

キーワードは健康志向か。自転車屋も盛況。メタボ対策関連も景気がいい。

近場でお手軽なレジャーということでは、ディズニーランドを経営しているオリエンタルランドも過去最高利益をはじき出した。

手軽なレジャーつながりでは、マクドナルドも含めてもよいだろう。マックも過去最高利益だったことを、「浮かれると叩かれるぞ」と誰かに戒められたかのような深刻な顔で担当者が発表していた。

低価格で高品質のヒートテック・アンダーウェアが受けて、ユニクロも景気がいい。

それに対して、景気が悪いのは、自動車産業や住宅関連。お金がかかるものはすべてダメ。パソコンも安いものは売れるが、高価格のものは売れない。金持ち相手の商売は、すべてコケている。レクサスなんて、どうすんだろ? It serves you right!と大声で言ってやりたい。でも、メルセデスベンツは売り上げが伸びているという。品質の高さが評価されているのだろう。

今後は、その傾向に拍車がかかるはず。

まとめると、これから先よりいっそう深刻になるに違いない不景気を生き残るためのキーワードは、「お手軽」と「割安」かな。

「割安」といっても、100円ショップみたいな粗製乱造された品物が爆発的に売れるような時代はもはや完全に終わってしまった。長い目で見たら、割安になる高品質のものだけが生き残るという意味だ。

良い時代になってきているなあ。

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ケータイ春商戦

どうなる ケータイ春商戦――4割超が「購入予定なし」(+D Mobile) - Yahoo!ニュース

この春、ケータイ電話を買い換える予定のない人は4割を超えたという。

買い替えない理由は「端末の料金が高すぎる」「違約金の縛りがあるため購入できない」などのほかに、「現状の携帯で満足している」「購入したいと思うような魅力的な端末がない」という意見も多くみられた。

なお、「今の携帯電話に望むもの」を聞くと、機能の向上を挙げるユーザーは少なく、「機能を絞り込んで端末や料金を安くしてほしい」という声が圧倒的多数を占めた。

私も同じような理由で購入をあきらめた。というより、そろそろケータイ自体を解約したいとさえ思っている。

店頭で新機種をいくつか手にとって見たが、わざわざ機種変更するほどのものがなかった。愛用しているケータイは3年目に突入するが、現機でも十分すぎるほど満足だ。

もし新しい機種に望むことがあるならば、パソコンと同じ配列のキーボードのものをつくって欲しい。機能は、電話とメールのみに絞ってくれてもいい。

画面の解像度も低くてもかまわない。カメラもいらないし、インターネットも見られなくていいから、とにかくパソコンと同じようなスピードでメールが打てるものが欲しい。

料金体系も、ケータイの端末は1万円以下で、月額料金は1000円程度が理想。

そうは言っても、私の願望など聞いてもらえないと思うので、そろそろケータイを解約してしまおうかと思っている。

我が家にはケータイなんぞに夫婦合わせて年間6万円以上も支払う能力はない。

そのお金があったら、もっと役に立つ、素敵なものを買いたい。

たとえば、電気シェーバーとか、ソファーとか、ランニングシューズとか。

ケータイなんか、もうやめようかな、ほんとに。

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犬用の靴

いま、我が家にはペットはいない。

昨年末、熱帯魚を全滅させてしまってから、水槽も片付けた。

熱帯魚に服を着せようと思っても着せられないので、もちろん、私は「服を着せない派」だった(ここ笑うところ)。

服を着せるというのであるから、ここで想定されている「ペット」というのは、犬か猫だと思うが、爬虫類だって、昆虫だって、魚類だって、甲殻類だって、ペットにしている人はいるのだから、質問の仕方がまずい。ペット差別だ(ここも笑うところ)。

少子化の時代にもかかわらず、我が家にはうるさい子どもが2人もいる。始終、面倒を見ていなければならない。いまは他の生き物を世話する余裕などまったくないのである。

ペットというのは、なぜ飼うかというと、人間が本来持っている世話をしたいという欲求を満たすためではないかと思う。

誰かの面倒を見たい。育てたい。食べさせたい。躾けたい。必要とされたい。

そういう欲求を満たすために人はペットを飼う。

癒されたいがためにペットを飼うということをいう人がいるが、それはひとつの幻想ではないかと思う。

初めのうちは癒されることもあるかもしれない。しかし、日々ペットの世話をしなければならない状態が続くと、自分は世話をするために生きているのではないかという気分になってくる。

たとえば犬の散歩だって、反対に、犬に散歩させられているようなおばあさんをよく見かける。どっちが主人かわからない。

ペットの世話が「生きがい」になっている人もいるのかもしれないが、他に「生きがい」がある人にとっては、わざわざペットなんて飼わなくてもよい。

ジョギングをしていると、3匹の子犬に布製の靴を履かせて散歩させている人に出会う。1匹に4本も足があるから、3匹では12本。それを一日2回、24本分も、家に上がるまえに拭く作業は相当な手間だろう。

そういうところから犬用の靴というアイデアが生まれたに違いない。

それに、地面に近いところを歩けば、カラダが汚れる。そうなると、何日かに一回は風呂に入れてやらねばならない。これも面倒だ。

だからこそ、ペット用の服が誕生したのだろう。

それもよいアイデアだ。

そうやって、ペットがどんどん人間に近くなってきている。

それなら、ペットではなく、人間を生み育てたほうが健全なんじゃないのか。

私にはよくわからないよ、ペット愛好家の心情が。

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腓骨筋腱炎

「腓骨筋腱炎」かもしれない。

「足底腱膜炎」だと、足裏のかかとの前あたりが痛むそうだが、私の場合、右足の外側の、くるぶしの少し前あたりに疼痛を感じる。

何もしないと痛むことはないが、歩くと痛い。

しかし、厚みのあるシップを貼ったら、痛みが軽くなった。ややぎこちないが歩くことは可能だ。

昨日、膝に負担をかけないようにと思って、膝を内側に寄せるような走り方をしたせいだと思う。頭で余計なことばかり考えているから怪我をするのだろう。

やはり新しいシューズに替えて、自然に走ればいいだけのこと。

走る整体師のblog 「日々走走」 腓骨筋腱炎・対処法

腕振りとカラダの前傾:とくしまマラソン塾

スピードを上げるためには、腕振りを利用し、骨盤を前傾させるということは金哲彦氏の教えである。しかし、「骨盤を前傾させる」というイメージだと、反り腰のフォームになってしまい腰痛やヒザ痛の原因にもなる。走る整体師氏は、そう反論する。

おっしゃるとおり、あくまでも「カラダを一本の柱として前傾させる」というイメージの方が自然だろう。「骨盤を前傾させる」というのは、きわめてイメージがつかみにくいし、変なところに力が加わって、カラダが不自然に緊張してしまう。

自然に無理なく走るのが一番。

ただひたすら、一本の柱のようなつもりになって、前のめりに倒れていく。その力を利用すればいい。フォームうんぬんなんてことを考えているから怪我をするのだろう。

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太陽光発電パネル設置の勧誘

太陽光発電の勧誘と問題点-JanJanニュース

同じような勧誘が2008年に我が家にも来た。私の場合は「京セラ」ではなく、「サンヨー」だった。発電した電力を電力会社に売ることで、自己負担なしで、ソーラーパネルを設置できるという。

しかし、よく聞くと、ソーラーパネルを設置するためのローンを組んでくれという話だった。200万以上のローンを組むなんて貧乏な我が家では不可能だ。

元を取るには20年以上かかる計算。機材に耐久性が20年あるのかどうかもわからないし、現在、太陽光を電気に変換できる割合はたったの20%。20年後なら、その変換効率はもっと高くなっているはず。

私としては、5年程度で元が取れ、かつ価格が10万円以内なら設置しても良いが、200万円も先払いしてローンの利息も払い続けるのなんて、よっぽどのバカじゃないと乗らない話だと言って営業の人を追い返した。

全国で同じような勧誘が回っているのだと思うが、エコの押し売りにだまされないように、注意しなくては。

パネルの会社、設置する業者、ローン会社だけが儲かるだけ。

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パパラギ再読

Papalagi ツイアビ、『パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』(岡崎照男訳、立風書房、1981/01)

『パパラギ』の絵本版ではない方を読んだ。

この演説集には、文明人には重い言葉が満載である。

私たちにできることがあるとすれば、ベルトールト・ディールの言うように、それはツイアビ酋長の言葉に耳を傾けて、その中からいくらかでも希望を見つけ出すこと。これしかないのだろう。

 パパラギは貧しく、その国はみじめだから、馬鹿が枯れ葉を集めて自分の小屋につめ込むように、物をつかんで集め続ける。だがそのためにまた、私たちをねたみ、私たちが彼と同じように貧しくなればいいと願っている。
 物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしには生きてゆけない(52-53ページ)。

 彼らは物を作らねばならぬ。彼らは物を見張らねばならぬ。物は彼らにつきまとい、小さな砂アリのように彼らの肌をはい回る。彼らは物を手に入れるために、冷酷な心であらゆる罪を犯す。彼らは男の名誉のためでも、力比べのためでもなく、ただただ物のためにのみ、たがいに攻撃し合う(55-56ページ)。

私たちの中にも、ほかの人よりたくさん物を持つ人はたくさんいるし、たくさんのむしろや豚を持っている酋長に、私たちは敬意をはらう。だがこの敬意は、酋長ひとりに向けられているものであり、むしろや豚が尊ばれているのではない。なぜならそれは、私たちの喜びを示し、酋長の勇気と知恵をたたえるために、私たちがアローファ(贈り物)として彼に贈ったものだから。
 だがパパラギは、その兄弟のむしろや豚の数をたたえる。勇気や知恵はどうでもよい。むしろや豚を持たないものは、ほんの少ししか、あるいはまったく尊敬してはもらえない(74ページ)。

 神からたくさんの物をもらえば、兄弟にも分けてやらねばならない。そうでないと、物は手の中で腐ってしまう。なぜなら神のたくさんの手は、すべての人間に向かって伸びており、だれかひとりが他のものとは不釣合いにたくさんの物を持つのは、決して神の心ではない。さらに、だれかひとりがこう言うのも神の心ではない。「おれは日なたにいる。おまえは日陰に行け」私たちみんなが、日なたに行くべきである。
 神が正しいその手の中で、すべてのものを支えておられるかぎり、たたかいもなければ苦しみもない。狡猾なパパラギは、こう言って私たちまでだまそうとする。「神様のものなんて何もない。おまえが手でつかんだものは、おまえのものだ」--- そのような愚かな言葉に耳を貸すまい。正しい知恵に耳かたむけよう。すべては神のものだ(75ページ)。

こういう言葉を聞くと、経済学とやらがいかに無力かがわかるだろう。

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チェンジをチェインジ!

変革しなくてはいけないという固定観念を変革したい。

というより、目くじらを立てながら、誰かを糾弾して、何もかも変革しなくてもよいと思う。

「変わらなきゃ」というキャッチコピーがかつてあったが、変わらなきゃいけないという、根拠のない思い込みに流されしまわないように、静かに安らかに生きていたいと思う。

現状打破ではなく、現状肯定。

ほんと、放っておいてほしい。

今はだいたいどこの大学でも、バカ文科省のクソ役人の指導で、学生による授業評価というものを年に1、2回実施している。その結果に基づいて、教員は授業をどのように改善したのかということを、コメントしなければならない大学もある。

利益を増やすことが最大の目的である民間企業では、顧客から上がってきたフィードバックを経営や商品開発や営業に反映させることは一般的なことなのかもしれない。

だが、教育の世界では、学ぶ側の学生には教員が教育を施す前にはその教えられるはずのことを評価する基準を持っていないことが前提になっているのであるから、そもそも教員や授業の評価を学生がするというのはあってはならないことなのである。ナンセンスかつ本末転倒なのである。

現状はダメで、必ずimproveしなければいけないというもの頑固な思い込みである。

世の中、トヨタじゃあるまいし、「KAIZEN」、「KAIZEN」ってやかましいよ。

とにかく変わればよくなるのだというノンシャランな楽天主義をなんとかしたほうがいいと思う。

歴史を振り返れば、常に時代は変わってきたけど、そんなによくなったとは思えない。「変える」ことで、反面、悪いことも生じうるということも冷静に、バランス感覚を持って見ておかないといけないと思う。

ひとつ追加しておきたいことがある。

今朝、ゴミ箱を捨てた。プラスチックゴミ用のゴミ箱だ。どうせプラゴミなんていうものは、現状では燃えるゴミと同じように燃やされているだけなのだから、分別する手間を惜しんで、そのまま燃えるゴミで出してしまったほうがいい。それに、専用のゴミ箱をわざわざ置いておくと、キッチンが狭くて使いにくくなる。

思い切って捨てて本当に良かった。台所で、夫婦でぶつかり合うこともなく、仲良く並んで作業ができるようになった。

昔のやり方に戻すのもいいんじゃないの。これもチェインジなのかな?

妻は整理が下手なので、カウンターの上は調味料入れや乾物やふりかけなどが乱雑に置かれている。あれをきれいに整頓する計画を練っているところ。

整理整頓のコツは、とにかく何もかも捨てること。

チェンジのコツも片っ端から捨ててしまうことかも。

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ジョグ7.8K

走行時間は40分40秒。

右ひざにサポーターを巻き、膝が外に流れてO脚にならないように注意して走ってみた。

4キロ程度まではトラブルもなく走れたが、徐々に、レースで痛めた左膝が痛み出した。

人気のないところでズボンを脱いで、サポーターを左足に巻き直して走り出した。

ゆっくりペースで走ると鈍痛を感じるが、スピードを上げると収まる。

しかし、いつまでも速く走り続けていられるほど、私のレベルは高くない。

ペースを上げるのと落とすのとを交互にやりながら帰ってきた。

帰宅後、左膝だけではなく、右足のくるぶしの下が痛いことが発覚。

靴が悪いのだろう。

愛用中のアシックスGT-2130 NEW YORK-SW のヒールの写真を撮ってみた。

写真では、左の靴は、かかとの減りが目立つだけではなく、全体的に歪んで外側に倒れているように見える。やはり寿命だな。

シューズは500キロ程度走るだけで、クッションの性能が30%も落ちる。良いものは15%程度で済むようだが。ファンランナーの私でも、1年間の走行距離は明らかに500キロ以上。この靴を買ってから、1年以上たっているので、上の部分がきれいに見えても、ソールはもうだめになっているのだろう。

振り返ってみると、シューズが新しいときは何のトラブルも発生しなかった。足に故障が増えだしたのは、去年の11月以降だ。

タイツやらインソールやらに手を出す前に、シューズを新調するのが、トラブル回避策として、もっとも現実的だということにようやく確信が持てた。

Heel

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ShoeNavi

計測でわかること | 足を知る。走りを磨く。 - ShoeNavi

2月15日(日)の10時から17時まで、スポーツオーソリティ越谷レイクタウン店にて、アシックスによる足の計測イベント(無料)が開催される。

これで自分の足に合ったシューズ選びができる。

何が何でも都合をつけ、レイクタウンで足を計測してもらって、新しいシューズを買ってくる!

私は膝が痛くなるので、足の運び方に問題があるのは確実。

以前、右脚だけシンスプリントになったことがあるが、これはプロネーション(回内)が原因。

靴のかかとを見ると、右だけ若干内側寄りにすり減っている。それが証拠だという。

左は、明らかに、外側がすり減っている。これは過回外が原因らしい。

アシックスのラボのサイトを見ると、左足はアンダープロネーションで、右足はオーバープロネーションのようだ。

O脚もある。楽歩堂によると、O脚の定義はこうだ。

足先をそろえて立ったとき、くるぶし・ふくらはぎ・膝・太もものどれか一つでも離れていればO脚。膝の皿が内側を向いているのも特徴の一つです。脚の内側の筋肉・大殿筋が弱いことが主な原因とみられます。

膝蓋骨は外側に向いているが、両膝にわずかな隙間ができる。太ももは、くっつかない。くっつく人は太っているだけじゃないかと思うけど、この定義によると、私はO脚気味なのかもしれない。

そういえば、疲れてくると、膝が外に向いてしまう。膝を内側に寄せると、つまり股を締めるようにすると、膝の痛みを感じずに膝を曲げられる。やはりO脚なのだろう。

こういう左右のアンバランスやO脚を改善するには、インソールをつくるしかないのかも。まあ、とりあえず、今のランニングシューズは寿命だから、新しいのを買うつもり。

明らかに、お店の人は、GT-2140 NEW YORK-SW(GT-2140ニューヨーク スーパーワイド) を勧めてくるだろう。いま愛用しているシューズの新しいモデルだし。

このシューズの説明を見ると、こう書いてある。

快適なクッション性と安定性を備えたストラクチャードクッションカテゴリーのメイン機種。今回はインナーソールのクッション性を向上し、よりやわらかな走り心地を追求しました。ミッドソールは軽量素材Solyte。軽さと安定性、そして快適さに磨きをかけてニュートラルプロネーターからややオーバープロネート傾向のランナーを軽快にサポートします。ラストは幅広の足にフィットするスーパーワイドラスト。

それでもダメなら、インソールを作成してもらうしかないな。

CX-Wのようなタイツもいいけど、どうもインソールとシューズのほうが効果が高そうだ。

ふと思ったんだけど、アシックスじゃなくて、同じ国内メーカーのミズノの靴にしてみたらどうだろう。

村上春樹氏は、ミズノを愛用しているらしいが、いろいろメーカーを替えてみるのも、自分に合う一足を見つけ出すには重要かも。

RunDesign - 歩くことを快適に、走ることを機能的に。

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2か月ぶりの稽古

2か月ぶりに稽古に顔を出した。今年は初段(黒帯)を取る予定なので、その前段階として、これまでに覚えた技をすべて完成形に近づけなければならない。いままでのおさらいをしながら、技に磨きをかけていく。今晩は、ひとまず3級技をいくつか復習。

本来は格下の相手に技をかけてみると、うまくかかって自信がつくのだろうが、いかんせん本日も大人は私一人。先生に相手をしてもらいながら、おさらいをしていると、だんだん自信がなくなってくる。

守者はすべて攻者の動きを待ってから動き出す。だから、攻者の突きがどこに向かっているのかを正確に見極めてから、いなして、反撃へと転ずる。わかりにくい表現かもしれないが、守者は瞬間的にも忍耐強く待つことが求められるのだ。

ふつうは攻者の攻撃は怖いものである。だからといって、守者は逃げようとして、自分から動き出してしまうと、攻者に自分の動きを追尾されて、完全にロックオンされてしまう。攻者がターゲットをロックオンしてから、その裏をかいて、かわしてやるというのはまさしく芸(アート)である。少林寺拳法でよく言われる「待つことが大事」というのは、そういう意味なのだ。

下手なボクサーのように、激情のあまりパンチが大振りになったり、勢いあまって自分の体勢を崩してしまってはいけない。つねに自分の姿勢を安定させ、腰の回転と体重移動を上手く使って、自制心を持って、受けと攻撃を繰り返すことが求められる。

究極的には、空手のように力だけで相手をねじふせるのではなく、ほとんど力を使わずに、相手の攻撃をいなしながら、相手の体勢を崩し、追加の攻撃ができないないようにしておいて、急所に当てて激痛を与え、悶絶させ、戦意を喪失させることが理想。

なんちゃって空手みたいな雰囲気だと思っているかもしれないが、実は恐ろしいんだぞ、少林寺拳法は。

話は大きく変わるが、実をいうと、私の専門分野は英文学である。文学の論文は、一般に、作品を賞賛するというスタイルをとる。自分が研究対象としている作家の作品はいかに素晴らしいか、なにゆえ素晴らしいのか、ということのみに焦点を当てる。

本来、批評とはそういうものである。

テレビに良く出てくる評論家やコメンテーターは、その逆をするのを常としている。いかに世の中は腐っているのか、自分以外の人間はバカか、そういう連中を放置しておくと大変なことになるぞと煽って、お金をもらう。そんな話を聞いても視聴者の生活も心も豊かにはならない。

そういうスタイルに慣れている人たちは、評論と批判は同じものであると勘違いしている。何かを批判することで、オレのほうがよっぽど才能があるということを述べることが評論だと思ってしまっている。

麻生首相の賞賛すべき点を、微に入り細に入り、見つけ出してくるような評論家は、ただのひとりもいやしない。おかしいんじゃないのかと思う。

個人的には、早く政権交代して欲しいと思っているが、制度上違法でもなんでもないのに、麻生さんは選挙を経ていないのだから、民意を反映していない首相だというメディアの主張は、度を越してヒステリックだ。少なくとも、比例代表で自民党に投票した有権者にはたいへん失礼である。

「何々はいかに素晴らしいか」ということをひたすら捜し求めるようなスタイルが最近ではますます力を失ってきている。

文学評論といっても、最近は、芥川賞や直木賞の受賞作品がいかにダメな作品かということを、くどくどと述べるような文芸評論家が幅を利かせている。私に言わせれば、そういうやつはニセモノだ。

本物の文芸評論家なら、ニセモノについてコメントして、お金をもらおうなんていう料簡では仕事はしない。この作品はいかに素晴らしいかということだけを書いて、お前も読めよ、とさりげなく勧めるのが文の芸(=アート、テクニック、技巧)を評論するものの粋である。

「感動した」とか「素晴らしい」とか形容詞を連発することで満足してしまうような素人さんの代わりに、「論理的に言うと、あるいは、的確な表現を使うと、こういうことがこの作品の良さなんだよ」と巧みに言語化するのが評論家の仕事である。

駄作なんて無視しておけばいいのに、わざわざ拾ってきて、ケチをつけるだけつけて、自己満足しているような連中は、本来の仕事をしていない怠け者である。

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腸脛靭帯症候群

私の左ひざ外側の障害は、「腸脛靭帯症候群(ランナー膝)」というそうだ。傾いた路面を、つま先を内側に向けて長時間走り続けていると、腸脛靭帯と膝蓋骨に近い大腿骨とがこすれて痛み出す。

これを避けるためには、傾いた道路と下り坂でのランニングを避けることが重要だという。

急性期には、アイシングと安静が大切。痛みが落ち着いたら、温めてストレッチ。腸脛靭帯だけではなく、股関節から膝関節周囲の筋肉をすべて温めるようにする。ウォーミングアップ後や風呂上りなどに行うのがよいという。

回内(股の付け根から脚全体の内側のねじれ)が強い場合は、インソールを作成する方法もある。私も経済的な余裕があれば、ここで直ちにインソールを作成したい。

O脚の人の場合は、ランニングを続けていると変形性膝関節症になりやすくなる。年寄りが膝が痛いというのは、これなんだろう。

成長期の男子に見られる膝下の痛みと腫れは、「オスグット・シュラッター病」というそうだ。いわゆる成長期の骨端炎といわれる障害だ。私も12歳くらいのときになったことがある。

スポーツ障害の予防法としては、ウォーミングアップが大切。少なくとも15から20分かけて行い、試合や次の運動まで10分以上あけないようにすべきとのこと。

大きく負荷のかかったトレーニングの後は、次のトレーニングに移る前に1~3日の回復期間が必要なので、障害を最小限にとどめるような負荷のかけ方をする必要がある。

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草加ふささらマラソン2009

私が次回出場する予定のレースは草加ふささらマラソン2009

スタート地点とゴール地点は「そうか公園」内の多目的運動広場。

越谷レイクタウンに行くときに脇を通るので、場所はだいたいわかっている。でも、行ったことがないので、今度下見してこよう。

開催日当日は、武蔵野線越谷レイクタウン駅か東武伊勢崎線の新田駅から無料シャトルバスが出る。私はレイクタウン駅からバスに乗っていく予定。歩いても2キロ弱なので15分ほど。バスが混雑していたら、準備体操代わりに歩くか。

種目はハーフ。

制限時間は2時間40分。半分歩いても制限時間内にゴールできそうだ。

受付は6時半から7時半。

スタートは8時ちょうど。春だから寒くはないだろう。半袖で十分かも。

市制50周年記念 草加ふささらマラソン2009 - RUNNET ランネット・大会ガイド&エントリー

2月4日現在、ハーフのエントリーはまだ締め切っていない。2月13日まで延長したという。

このレースって、今年初の開催なのかな。聞いたこともないからね。

今シーズンのレースはこれで終わり。あとは11月の「さいたまシティマラソン」(ハーフ)、12月の「川口マラソン」(ハーフ)を念頭において練習する。

私はレベルでは、天地がひっくり返ってもフルマラソンは無理。ハーフで1時間50分が切れるくらいまでに成長したら、考えても良いかもしれない。でも、今はまだまだだ。

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LSD3キロ

昨日の節分の日には、恒例行事として豆まきをした。

豆が部屋中に飛び散ると掃除が大変なので、10粒ほどをまとめてラップで包んだものを7個分用意した。

我が家では全員がひとりずつ鬼になる。今年は長男、次男、私、妻の順。

鬼のお面は、次男が幼稚園の就学前教室でつくってきたもの。満を持して私の番が来た。それをかぶると、私は態度を豹変させ、子どもたちを次々に襲撃。子どもたちは奇声をあげてアリの子を散らしたように逃げ回る。実に楽しい夜だった。でも、豆の包みが少々大きすぎた。次男は手加減をしないで、当たるとけっこう痛かった。鬼は本気で降参し、すごすごと退散した。

今年は東北東が吉方だそうなので、恵方巻はそちらに向かって無言で食べた。長男はさっさとマグロを確保していたので、私は残り物の納豆巻き。まあ、納豆は好物だからいいか。

節分には蕎麦を食べると良いという情報を妻がどこかから仕入れてきたので、生蕎麦もゆでて食べた。

こういうことができるのは、子どもたちが小学生までのうちである。せいぜい楽しんでおこう。

またまた、黒豆を煮た。圧力鍋で加圧する前に、いったん煮てアクを取っておいたので、前回とは違ってえぐくない。今回はうまくいった。

疲れを抜くために、「アクティヴ・レスト」として、2日ぶりに3キロゆっくりと走ってきた。17分40秒だった。あまりに物足りない。

もはや左ひざの外側の痛みはないが、右ひざの膝蓋靭帯が少々痛むのと、右の腸脛靭帯につっぱった感覚が残っているのが気になった。

フォームを気にしながら走ったら、気を抜くとやはりお尻が落ちてしまう癖があることがわかった。ゆっくり走っていても腰高で、股関節と肩甲骨をフルに使えるようなフォームを身につけられるようになりたい。

レース後、目が見えなくなったことや、体力の消耗で、極端に食欲が落ちて、なかなかものが喉を通らず、食べる楽しみを失っていたが、ようやく食欲が戻ってきた。体重も56キロから57キロになり、レース前の体重になった。

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IKEAのソファー

68219_pe182371_s4本当に安物だけど、これでも買おうかな。

幅: 139 cm
奥行き: 81 cm
高さ: 74 cm
シートの奥行き: 50 cm
シートの高さ: 45 cm

パッケージのサイズは以下のとおりなので、自分たちでも運べるだろう。

幅: 76 cm

高さ: 76 cm

長さ: 76 cm

重さ: 40,0 kg

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青のLEDに自殺防止効果

神戸新聞|社会|鉄道自殺「青色」で防げ JR西の踏切で照明設置進む

青色発光ダイオードの照明を駅に設置した後、自殺の件数に明らかな減少が見られたのは、青色には人の心を落ち着かせる効果があるからではないかという分析。

逆に言うと、蛍光灯の白い明かりは不安にさせる強い効果があるということだろう。

蛍光灯というものは、もともと潜水艦の中で使用するために開発されたと聞く。白熱球のように熱を大量に放出したら、潜水艦の中が蒸し風呂状態になって、乗組員が熱中症で死んでしまいかねないからだ。

あの明るさは、昼間の光によく似ている。

ということは、夜になっても昼間と同じ感覚ですごすことを強制されているということになる。いつになっても心も体も休ませてもらえないわけだ。それでは精神や身体に不調をきたすのは自然な成り行きである。

我が家では、夕食の時間、低ケルビンのハロゲンライトで食卓を照らす。なんでもおいしく食べられるし、気分が落ち着くので、早食いを避けられる。子どもたちが嫌がらなければ、テレビも消す。気分が悪くなるから、ニュース番組もできるだけみない。

麻痺している人にはわからないかもしれないが、殺人事件の報道を見ながら、焼肉を食べるのは狂気的である。

ともあれ、自殺の名所のような場所を、すべて青色のLEDでライトアップしてしまうのも面白いアイデアかもしれない。自殺をしたいという人が、自殺する場所がなくて、余計に不安になってしまったりして。

自殺するくらいなら、誰かに自分の命と体を捧げるつもりで、死ぬほど働けばいい。奴隷になることさえできないプライドなんかもっていても、馬のえさにもならない。

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愛のない結婚生活。

愛のない結婚生活。 : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

45歳の既婚女性が、「愛ってなんでしょうか?」と問う。

結婚前は、恋に恋する気分で「愛してる・好き」とかいってました。でも結婚して、それは勘違いだと気づいたのですが、離婚まで踏み切ることできず、もう21年以上、夫婦です。現実的に、20年ももっと、配偶者が好きでしかたない人っていないと思います。喧嘩して、相手のいやな部分もみて、自分のいやな部分もみせて、それでも、継続して、歳とったら、「まあ、なんとかお互いあったけれど、夫婦でいてよかったね。」とお互いに思えたら、ラッキーくらいに思えます。そんなものですよね。

この相談者は、すでにご自分で答えを出している。でも、女性週刊誌に満ち溢れたストックフレーズを頭で理解しているだけで、それを腹で理解できてはいない。

飲み下すというのは、至極難しいこと。

でも、そうやってなんとか粉薬を喉につかえながら飲み込もうとしていることそのものが、「愛のある結婚生活」だと思うけど、どうなんでしょうね。

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戦線は縮小しない

asahi.com(朝日新聞社):老いても、枯れない 喉頭がん克服、高座復帰の談志 - 落語 - 舞台

談志は聞き書きによる自伝『人生、成り行き』を目下準備中。取られた。私が用意していた自伝のタイトルだ。自分の名前が「成り行き」に似ているので、高校生のときから「成り行き」は自分のモットー。以後、成り行きで生きてきた。

まあ、そんなことはどうでもいい。

談志は喉頭がんを克服し、かすれ声が聴きやすくなったが、今も声を張り上げることができない。にもかかわらず、自分に無理なくできる噺だけをやるのではなく、無理をしなければできない噺を高座にかける。イライラが続くが、「老いても、オレは枯れたくない」。

 「年だからって戦線を縮小するつもりはない。でも自然にそうなっちゃうかも知れない。それがひどいなと感じたら、『やめよう』ということになる。でも、フレッド・アステアみたいに、やめられないんじゃないかな。身に染みこんだものは」

私は、iPodに談志の落語をたくさん入れている。プロパティで「ミュージック」ではなく、「オーディオブック」に変換すれば、音楽を聞いている最中に、突然落語が聞こえてくるということにはならない。

昨晩、参議院に初当選後、客の前で毒蝮三太夫と雑談をする40年くらい前の音源を聴いた。もうすでに3、4回聴いている。当時、談志は35歳だった。信じられないくらい、自信に満ちていて、ふてぶてしい。周りの人たちを納得させてしまうカリスマがある。テレビに出まくっていた絶頂期だった。

いま、あんな型破りで、破天荒な生き方をする男気のある人間は一人もいない。

老いても、談志は戦線を縮小しない。私もそんな生き方を貫きたいと思ってきたが、このところはだいぶ丸くなってしまった。まずい。増派しなきゃ。

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水中浮遊

お風呂での「こだわり」なんて聞かれても、我が家の風呂の湯はラーメンのスープじゃないので、何のこだわりもない。

塩素たっぷりの水道水を深夜電力で温めたものに入るだけ。

ひとりで入るときは、子どもみたいにお湯の中に耳までもぐって体を浮遊させる。プールでやると雑音がうるさく、逆にストレスがたまるが、自宅の風呂にひとりでやれば、けっこう楽しい。

血液が時速600万kmの速度で血管を流れる音。

1分間に70~80回の間隔でビートを刻む心臓音。

高周波を吸収する水の中で、それらが耳に心地よく響く。身も心も軽くなる。

子どもと一緒に入るときは、即興でデタラメな物語をつくって、ゲラゲラ笑わせる。二度と同じ話はできない。話したそばから忘れてしまうほどの荒唐無稽ぶり。子どもを笑わせるには夢のようなナンセンスが一番だ。

風呂の中では、血の巡りが良くなるせいか、『天才バカボン』や、志ん生の落語(「粗忽長屋」は最高!)で培った「教養」が遺憾なく発揮される。

コネタマ参加中: お風呂でのこだわりは、何?

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家の修繕

Duct日曜日のハーフマラソンの疲労がようやく抜けてきた。階段を勢いよく駆け上がることも、駆け下りることもできるようになった。

でも、まだランニングに出かけられるほど、気持ちが立ち直っていない。

家の中でできることを考えていたら、ひとつ思いついた。

LANケーブルや電話線やテレビのアンテナケーブル類を壁に留めているモールの両面テープがはがれて、壁紙を傷つけていたので、それを修繕しなければならなかったのだ。

両面テープでは心もとないので、思い切って釘止めした。

かなづちをもってぶらぶらしていたら、他にもいろいろなところを修繕したくなってきた。

早速ホームセンターに行って、まず椅子の足の部分をすべりやすくするためのものを購入してきた。

今までは両面テープ式のものを貼り付けていたのだが、すぐにはがれてしまうので、釘で止めるタイプのものに付け替えた。

この家に引っ越してきてから、自分でやろうと思っていたエアコンのダクトのカバーの取り付け作業も、4年目にしてようやくできた。いままではパイプをテープでぐるぐる巻きにしたものがむき出しになっていて、美観を損ねていたのだ。材料費は1400円程度。業者に頼んだら、5000円は優にかかるから、いつか自分でやろうと思っていたのだが、面倒でなかなか手がつけられなかった。やっと一安心。

でも、我が家にはエアコンがあと3つある。それらを全部やるとなると、半日はかかる。面倒だし、お金がもったいない。

そういえば、ホームセンターから帰宅すると、玄関先で妻の呼ぶ声がする。何かと思ったら、私に電話だそうだ。出てみると、来年度、私が担当する授業を1コマ増やして欲しいという用件。快く承諾。英作文の授業がひとつ増えることになる。1コマで年収が20万円以上増えることになるので、時間が合うならば断るバカはいない。

来年度は少しだけ生活が楽になる。次男が幼稚園へ行き始めるために、生活が困窮すると思っていたが、それで幼稚園代がまかなえることになった。お父さんは、うれしいよ。神様仏様ありがとう!

今晩は、妻が近所のスーパーで買ってきた「恵方巻」を食べる予定。もっともっと良いことがありますように!!!

コネタマ参加中: 平日、何か運動してる?

で、平日の運動だが、私の場合、少林寺拳法に、ジョギングに、自転車に、ストレッチ。このところ、ジョギングとストレッチ以外はさぼり気味。授業のあるときは、片道10キロの自転車通勤も時々している。

少林寺拳法は現在1級。今年は黒帯を目指すつもり。ちなみに、『スター・ウォーズ』のオビワン・ケノービは「黒帯」をもじってつけた名前なんだそうだ。

以前、スイミングを習っている長男に刺激されて、私もやってみたことがある。市民プールに平日の昼間に行ったら、爺さん婆さんばかりで、とたんにやる気がうせてしまった。ぶよぶよのビール腹と、巨大な垂れ乳が、プールの中を黙々と歩いている風景にはぞっとした。あれほど異様な光景はない。あれが若い美女集団だったら、俄然やる気になったんだがなあ。

今日は気温が15度くらいにまで上がり、半袖でも十分なくらい暖かかった。

春は、花粉症の季節。これまたジョギングがつらくなるんだよね。

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サイエンス・サイトーク:野口悠紀雄さんの回

野口悠紀雄さん (早稲田大学大学院教授、金融工学、日本経済論) 、2009年2月1日放送 … 日本経済なにが本当の問題か:Science Xitalk - サイエンス・サイトーク

コレは必聴。

Science Xitalk - サイエンス・サイトーク

要点をまとめておく。

  • 競馬は予想できるが、株価や為替レートは予測不可能。反映されるべきことはすべて現在の価格に織り込まれてしまっているから。
  • 現在われわれが直面している最大の短期的危機は、住宅バブル崩壊によるアメリカの自動車需要の急減である。アメリカ人はクルマを買う場合、住宅を担保にしてローンを組むので、住宅価格が上昇すると、ローンが組みやすくなるという連関がある。
  • 長期的危機は、エネルギー源の転換(石油から電気へ)によるエンジン開発の意義の低下。中国やインドなどの新興国での低価格自動車の販売開始。日本の少子化による自動車需要の激減など。
  • 住宅ローンの証券化が悪いというのなら、株式も悪いということになる。だから、その批判は当たらない。
  • 金融工学が使われたからではなく、金融工学をきちんと使わなかったから金融危機が起こった。金融資産の評価が適切に行われず、無謀な投機が行われたことが、金融危機の直接の原因。
  • 日本の不景気は、アメリカのとばっちりを受けたものではない。金融危機に日本は深く関与していた。アメリカの住宅バブルを起こした大きな原因は低金利政策と円安誘導。これによって、円キャリートレードが有利になり、アメリカに流入した資本がアメリカで住宅バブルを起こした。日本車が売れたことで、日本人の中には、直接的な恩恵を受けた者もいる。
  • 80年代、日本の貿易黒字を減らすために、アメリカが円高を誘導(「プラザ合意」)し、これによって日本でバブルが起こった。日本とアメリカは一蓮托生。
  • 円安バブルは崩壊した。円高は70円台まで上がる可能性がある。
  • もはや輸出産業中心型の産業構造を維持し続けることは不可能。それを転換することが最重要課題だったのに、低金利政策と円安に安易に頼り続け、いままでの構造を維持して、景気回復を行ったことが悪い。
  • ソニーは垂直分業(すべて自社で作ること)、アップルは水平分業。ソニーの方が一人当たりの時価総額が低いのはそれが原因。シリコンバレーの新しい企業では、水平分業のほうが多い。
  • 予測が当たるかどうかより、明確なモデルをもっているかどうかが重要。
  • 知らないことがあったらまず書いてみよう。これは効率的な勉強法である。新しい事態に対応するためには、自分が知っていることを書くより、知りたいことを書くべき。

金融危機の本質は何か:池田信夫blogでは、野口氏批判を行っている。池田氏の主張も、一理あるのだろう。門外漢にはさっぱりわからんが。

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バレンタイン廃止運動

バレンタイン廃止運動(賛同者求む) : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

バレンタインを廃止して欲しいという女子は無数にいると思う。男子もそれと同じくらい多いはず。

だからといって、みんなで廃止しようと周囲に賛同を求める行為は明らかに気持ちが悪い。

イジメが横行するからといって、文科省が小中学校への携帯電話の持ち込みを全面禁止した。これが気持ち悪いのは、北朝鮮のような全体主義を感じさせるからだ。それと同じことである。

バレンタインを廃止するのなら、正月も、節分も、ひな祭りも、こどもの日も、お盆も、七五三も、クリスマスも、誕生日も廃止するべきではないか。

バレンタインだけを廃止という主張の正当性はどこにあるのか。どこにもないではないか。

結論を言う。やりたい人だけやっていればよし。

自分で廃止することを決めたのなら、自分だけでそうすればいい。

自らテレビをもう見ないと宣言したからと言って、家族にまでそれを押し付けるのは変である。それと同じこと。

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Simplify it!

昼寝をしたせいでなかなか寝付けない。

年齢を重ねていくにつれ、削っていかなければならないことが増えていく。残りの時間が目に見えて少なくなっていくのがわかるからだ。

手始めにテレビを見るのをもう止めようと思っている。明日、目が覚めたら録画予約をすべて消去することにした。40近くなって、ようやく時間の無駄だとようやく気づいたからだ。

無駄な本も読まないことにした。

人付き合いも削ろう。

ここ数年は本業を疎かにして他のことばかりしている。それを減らすべき時期が明らかに来ている。

さもないと財政的にも時間的にも体力的にもよりいっそう厳しくなる。

諦めてもいいことはキッパリ諦めなければならない。

では、何を諦めればいいのか? それが問題だ。

目が見えにくくなったことで、昨日からいろんなことを考えさせられている。

自分は人生をどういうかたちで終わらせたいのか?

これは答えるのが心底難しい問いである。

生まれたときから言いたかったことをまだ1%も言い切れていない気がする。

原稿用紙にはタイトルすら書けないまま、とりあえず名前だけ先に書いただけのような気分だ。起承転結も決まっていない。この年で、この体たらく。実に情けなく思う。

奮起しなきゃいけない。でも、その前に身を軽くしなきゃ。

迷ったら何も考えずに取るものも取りあえず手ぶらで元の位置に戻るべし。

後は自然に物事が整理整頓されて再起動が自動的に始まるはず。

しかし、それにしても、眠れない夜に考えることは暗い。絶望的なほどではないけど。

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眼底検査

午前中に眼底検査に行って来た。

結果は、異常なし。眼底出血はなかった。ただ、念のため1年後に再検査を受けるようにと言われた。

昨日のハーフマラソンの直後、右目の視力が落ち、乱視がひどくなった原因は特定できなかったが、おそらく血流が悪くなったことと低血糖状態が重なったためではないかとの所見。

ただ、私の場合、極度の近視なので「網膜はく離」の心配もある。

今回の状態は半日後に回復したので、その可能性はゼロだという。「網膜はく離」なら、何もせずに視力が戻ることはありえないからだ。だから、ひとまず安心してよいといわれた。

検査後は6時間ほど瞳孔が拡張した状態が続くので、蛍光灯の光でも異常にまぶしく感じる。なおのこと、今日のような晴れた日の太陽の光は耐え難い。

眼科からの帰路、西日を避けるために、日陰を選んで歩いていたが、閃光に惑わされ右から来たクルマがまったく見えず、あやうく轢かれそうになった。

白いものがすべてまぶしい。

病院の窓口で出された領収書に書かれた数字も読めず、いくら支払えばいいのかさえ困った。白い車や道路の白線も灰色のコンクリートの壁も目が痛くなる。白い服を着ていた妻さえ直視できなかった。

この検査は、1年半前にも受けているので、こうなることはわかっていたが、丸一日何もできなくなってしまう大変さを改めて思い知った。

ほぼ6時間たった今も、乱視の状態がひどく、こうやってパソコンの画面を見ているのもつらい。焦点が定まらないので、近くを見ていると、目が極端に疲れてしまう。

昼間、妻の両親が遊びに来たので、一緒にランチを食べた。昨日の疲れがまだ残っているせいか、食欲はあっても、いつもの量が食べられない。食べているうちに、胃袋が「もう入りきらないよ」と、きゅーきゅー泣き言を言いだす始末。仕方がないので、3歳の次男に白いご飯を4分の1ほど食べてもらった。情けない。

この状態は、夕食時にも起こった。

昨日より体重が1キロ減っていた。56キロは、私のベスト体重だが、レース後にベスト体重になっても遅いよ。

帰宅後、寝室の遮光カーテンをすべて下ろしたが、それでも隙間からまだ光が差し込むので、ベッドにもぐりこみ目を閉じた。

昨日傷めた膝も重いので、体を動かすのがつらい。そのままいつのまにか昼寝をしてしまった。

目を覚ますと、妻の両親が春休みに一泊旅行に連れて行ってくれるという話を妻としているのが聞こえてきた。

我が家はビンボーなので自費で一泊旅行など行けないから、遠慮なくお言葉に甘えさせていただくつもり。

群馬か栃木が有力候補だという。私個人としては、春休みなら伊豆のほうがいい。

本当は飛騨や金沢あたりにも行きたいんだけど、やはり夏のほうが無難かな。

連れて行ってもらえるのだから、贅沢は言えない。

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文学

内田樹さんが、またいいことを書いている。

「自分がここでこんなことをしていることに意味はあるのか?」という切実な問いを抱え込んでいるということそれ自体が文学の手柄であると私は思っている。
文学も文芸批評も文学研究も文学部も、軒並みダメになったのは、文学にかかわる人間たちが自分たちの仕事を「正業」だと思い始めたからである。

「自分がここでこんなことをしていることに意味はあるのか?」という問いは、拡大コピーすると「人類には存在価値があるのか?」という問いになる。

文学や哲学はこのような特異な疑問を問い続ける。

一方、科学や経済学や政治学では、そういう問いは一切なされない。おのれの存立基盤を失うからである。

それらの学問は、おのれの存立基盤を危うくするものには、目をつぶることができる厚かましさを持っている。

残念ながら、文学や哲学の存在理由は、そういう厚かましさがないところにしかない。それが唯一の魅力なのである。

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反省点

今朝も、右脚はふつうに階段を上れるのに、左脚が言うことを聞かない。それでも昨日よりはましになった。

オーバーユースによる怪我を心配するあまり、極端な練習不足になっていた。月間走行距離が80キロでは少なすぎた。最低でも150キロはないとダメ。

レース2週間前までに15キロ3本くらいは走っておいて、できれば20キロも1回以上は走っておくべきだった。

それから参加費が安いレースは給水所に水しか出ない。私は知らなかった。川口ではポカリスエットが出たからね。そういうことを想定して、ガス欠にならないようにポーチに飲料を入れておくべきだった。

カーボローディングをしなかったのも、いけなかった。

たべものと言えば、お弁当を用意しておいたほうがよかった。レース後は低血糖状態だから、すぐに食べたくなるもの。我慢すると、体調が悪くなる。

膝とひらめ筋にキネシオテープを貼っておいたのだが、うかつにも左膝だけしなかった。痛くなったことがなかったので、完全に油断していた。左右のバランスを考えるべきだった。普段から左に偏る姿勢を矯正しなきゃ。

やはり、膝の問題があるので、性能の良いタイツを履いておくべきだったな。友達にもらった安物のタイツじゃ寒さ対策くらいにしかならなかった。

ワコールのCX-Wスタビライクスは高いので、アシックスのロングタイツCF(11,550円)でも買おうか。CX-Wのエクスパートでもいいけど。ああいうのを履くと、速いベテランランナーのように見えてしまうけど、本当は足腰の弱い初心者が履くべきものだよな。

シューズも1年使っているのでクッションも相当に悪くなっているし、左のかかとが磨り減っているので、そろそろ買い換えてもよさそうだ。

肩甲骨、骨盤を動かし、股関節を意識した走りになるように訓練する。楽に長距離が走れる正しいフォームを身につけることを努力目標にしたい。

ストレッチと筋トレも大事。私の場合は、ハムストリングスと大殿筋をきちんと使えないので、そこを鍛えたい。膝から下の部分に頼ってしまうランナーは怪我をするらしい。私の場合がまさにそれ。腹筋、背筋を鍛えるのも大切。

今回は反省点ばかり。2度目の出場だから、ハーフを甘く見ていた。

油断大敵。

何事も入念に準備をしておかないといけないことに改めて気づかされた。

持病の糖尿病もデータ的にはだいぶ良くなっていたので、すっかり油断していた。レース後に右目が見えなくなるなんて想像もしていなかった。きちんと検査をしないといけない。

私は足が遅いほうなので、行列の後ろのほうに並んだ。そのあたりだと、仮装ランナーや女性が多い。

女性ではメイド服を着て走っているオバちゃんや鬼の格好をしているおにいちゃんもいて、なかなか楽しかった。みさとハーフは、そういう人に与える賞があるのがいい。

沿道の声援は、寒さと風のせいか、あまりいなかった。家の玄関先に立って応援してくださる人もけっこういた。ありがたかった。私の近くを走っている人(男女)は、「ありがとう」と返しながら走っていた。自然体で美しかった。

15キロ地点以降、いろんな人たちに追い抜かれていくのは、屈辱的だった。

抜いていったのは、ほとんどが女性と老人。

女性たちの多くは、どう見ても自分より速くは走れなさそうに見える肉感的なお尻の持ち主。そこに、持久力の秘密があるのかも。

さすがですよ、標準仕様(福岡伸一先生の言葉)。女性はすごい。

それと老人にも。脱帽。

私(39歳)は、若さに頼る年齢ではないということを、再認識した一日だった。

周到な準備が大切。

以前引用した次の言葉、身にしみます。

"思い込み"を解消するためには、最初の経験がマラソンの"全て"ではなく、"部分"であったことを知るまで経験を繰り返すことです。

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惨敗

みさとハーフは前回よりも10分遅れでゴール。武蔵野線が止まるほどの強風に押されて、体力が消耗。15キロ付近からしばらく歩いてしまった。

左脚の膝の外側に激痛。どうやら腰の落ちたフォームになっていたらしい。さいきん腹筋を鍛えなかったからな。

さらに給水所に提供されているのは水ばかり。完全にガス欠。途中で発見した自販機でリポビタンDを購入し、給油せざるをえなかった。5分ほどで体力が回復。しかし、左ひざの痛みはなくならない。

「あと400メートルだぞ」という声援に奮起し、前を走っていたたるんだお尻を3~4人追い抜くと、「がんばって~」という女子高生の声。

ゴール後、異変に気づいた。

右目が見えないのだ。かすんでるだけではなく、ものが二重に見える。持病の糖尿病の影響らしい。激しい運動のために低血糖になって、網膜症を起こしてしまった可能性がある。怖くなった。

私にはハーフマラソンは無理なのかもしれない。

いまも近くを見るときには、右目だけ乱視がひどい。明日は、眼底検査に行って来る。失明したらたいへんだからな。妻には、ハーフマラソンはもうやめたほうがいいんじゃないのといわれてしまった。

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