このごろ、他人の話を真に受けやすく、何かあると他人のせいにして責任を回避するような、非常識な人が急激に増えた気がする。
他人の話を真に受ける人のことを、ふつうは馬鹿とか阿呆とか呼ぶ。私なら最大級の侮蔑をこめて白痴(idiot)と呼ぶかもしれない。
そういう人の最大の特徴は、自分の頭を通して考えることができないことにある。
落語で、与太郎が知ったかぶりのご隠居の話を真に受け、方々でその話をして恥をかくというのがある。中には頭のよい与太郎もいて、きちんとウソだとわかっていて、他の人を担ぐためにわざと吹聴するというのもいる。
いずれにせよ、落語では、他人の話を真に受けてはいけないという、重要な教訓をわれわれに与えてくれていることは確かである。
なぜ他人の話を真に受けてはいけないか。
それは、他人の話を裏を取らずに真に受けてしまうと、そこで、その話の真偽のチェック機能が実行されず、ウソやウワサやデタラメという有害な情報が世間に撒き散らされてしまうからである。これはウソが常識化してしまう可能性をいたずらに高めてしまう。
最近では、マスメディアの人間の中にもそういう頭の悪い人間がいるようである。
この種の人間は、聞いた話の真偽を自分で判断することなく、垂れ流すことに躊躇することがない。そもそも自分が言ったことではないから、自分はその発言に責任はないと考えているのである。この無責任な人間には、完全に倫理観が欠如している。
こういう連中は、なんでもいつでも他人のせいにしたがる。自分の頭を通して考えることがないから、平気で他人のせいにすることができるのだろう。
近頃では、私の印象だと、このような傾向が、大学生の95%くらいにまで拡大しているように思える。たいへん憂慮&危惧すべき事態だと思う。
コミュニケーションの大部分は、実は言語そのものを通して行われていない。その言葉が発話されたときのトーンや顔の表情やその他さまざまな文脈があってこそ、メッセージが正確に伝わるのである。だから、実際に発話されたり、書かれたりした言葉を字義通り受け取ることは大変危険なことなのだ。
その言葉が言わんとしているのは、実はまったく逆のメッセージであることが多い。
「もうわかったよ」という言葉は、「本当にあなたの意図や考えがわかった」という意味ではなく、ふつうは「もうその話はやめてくれ」という言う意味である。
最近の若い人は、「もうわかったよ」というのを、本当にあなたの考えを理解したと受け取っているらしいのである。
この状態がさらに進行すると、たいへん困った事態が起こる可能性があるように思える。
「おまえなんか、もう死んだほうがいいよ」と私が誰かに向かって言ったとしたら、その人は、その言葉を真に受けて(私の意に反して)本当に死んでしまうかもしれない。
言うことを聞かない子どもに向かって、「お前にはもう何も買ってやらないからね」と言ったとしたら、その子どもは、もう飢えで死にそうになっても、何も買ってもらえなくなるというふうに受け取って、絶望の余り自殺してしまう可能性もある。
そのように言葉を文字通り受け取る人が増えたとしたら、もう言葉をこれまでのやり方では使うことができなくなってしまうだろう。
メッセージは、言葉の背後にあるものであるという前提があるから、言葉は自在に使えるのであって、もし、言葉はその言葉のデノテーション以上のことは指し示さないということになったとしたら、人類はこの上なく不幸になってしまうだろう。
昨今耳にすることが多くなった若者たちのコミュニケーション能力の低下という現象と、責任回避と、ネットの掲示板やブログなどで他人を口汚くののしるような品のなさと、何でも人のせいにする他責的傾向は、根底で連動しているのだというのが私の実感である。
兎にも角にもバカが増えた。養老先生のお嘆きが身にしみてわかる今日このごろである。