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池田清彦、『他人と深く関わらずに生きるには』

車も来ないのに赤信号で待つのは日本人くらいだと20年以上も前に聞いたことがある。

それ以来、歩いているときは信号を忠実に守るような馬鹿なまねはせず、自分の判断で横断するようになった。子連れでも、ときどきジェイウォーク(jay walk: カケスのようにすたすたと道路を横断すること)もする。

青信号を横断中に轢かれるバカもいる。

青信号だからといって安心して横断するのではなく、怪しい車が近づいてきたときは、生き延びるために渡ってはいけない。

学校の先生は勉強を教えるのが仕事だけれど、能力の欠如している生徒ややる気のない生徒を勉強好きに変えることは不可能である。

勉強ができない生徒をできるようにするのがよい教師だという物語にはまっている人が多いが、それは間違い。生徒自身が自ら努力しないと、勉強なんてできるようにはならない。自己責任である。

よい生徒は、先生によく質問をするというのも間違い。よい生徒は、自分で調べられることは調べて、それでもわからないところを、お手数をおかけしますが、教えていただけないでしょうかと来るべきなのである。

教師の手を煩わせないで、勉強ができる生徒が、本当によい生徒なのである。

いずれもパターナリズム(おせっかい主義)を唾棄すべきものと考える池田さんらしい発言である。

池田さんは自分が死んだとき、それまで散々他の動物を食べてきたことにたいする贖罪として、他の動物に自分の死体を食べさせてやりたいと考えているという。船に乗ってわざわざ沖に乗り出して海に散骨するよりよいアイデアかもしれない。

死ぬとハエが飛んでくる。シデムシがやってくる。カラスが飛んできて、目玉をつつく。あらかた食われた屍は、コブスジコガネやカツオブシムシに食われて、骸骨となって残るのだそうだ。

化石燃料を燃やさないという意味において、エコ・フレンドリーな死に方(死体処理法)だと思う。

こういうの流行らないかな。

でも、ものの本で読んだことがあるけれど、奈良時代くらいまでは、この風景は日常的だった。道端によく屍が腐っていたそうだ。

石油が枯渇したあかつきには、再びこれが日常になるのかもしれない。いいねえ。


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