開き直り
昨日一緒に走っていただいた女性に、スタート前、「何を教えてらっしゃるのですか」と聞かれたので、「英語です」と答えたら、英語ができないことの劣等感を告げられた。大好きなアーティストのコンサートに行ったら、彼女のしゃべっていることがさっぱりわからなくて、残念な気分になったとおっしゃっていた。
彼女の気持ちもわからないわけではないけれど、語学を勉強すればそういうことがわかるようになると考えるのは安易な考えだと思う。「好きなアーティストの気持ちなんて、本当にそのアーティストのことが好きなのであれば、自然に伝わってくるものですよ。人間ですから」と答えておいた。「気持ちの問題ですよ。」
人は言葉のみによって意思を伝えているわけではない。人間のコミュニケーションの中で言葉の果たす役割はたった20%程度だったとはず。
顔の表情や、口調で、しぐさや姿勢でだいたいのことはわかってしまうもの。それでいいんじゃないのかなあ。
英語を教えているなどというと、そういうことを言われて羨ましがられることも多いけれど、裁判を扱った映画なんて、最初から最後までわからないことも多い。でも、別に、私にはどうでもいいことだ。そんなものは専門外なのだから、仕方がない。日本語だって、裁判の話は難しくてよくわからないくらいだし、興味もない。
そういう高度な分野を理解できるのは、ごく一部のエリートだけ。マラソンの世界と類似しているけれど、市民ランナーはフルマラソンを2時間台の前半で走らなくったていいんだよ。一般の庶民はそんなことを気にすることはないし、目指す必要もない。
そういうところから、語学を捉え直すことも重要なのかもしれない。
語学だって、勉強だなんて思わずに、ただ楽しめばいい。
人間が言葉で意思を伝える道具とだけ見るのではなく、遊びの道具と見ると、また違った明るい世界が広がってくる。
私は後者が好きだ。
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