早起きしたので、オクラの花が撮影できた。
日が昇ってくると、ポトリと落ちてしまう運命。
「花の命は短くて、 苦しき事のみ多かりき」(by 林芙美子)
昨晩、夜中に暗闇の中エアコンのリモコンをいじったら、どうも暖房か空気清浄か除湿モードになってしまったらしく、室温が29度にまで上昇。あまりに暑くて4時20分に目が覚めてしまい、それからずっと起きている。
寝たのが10時過ぎだったから、6時間くらいの睡眠は取れたと思うが、昼間にきっと睡魔が襲い掛かってくるだろう。
でも今日は休みだから、まあいいか。
昨日で火曜日のクラスは、前期の授業の最終日だった。シラバスには書いていなかったレポート提出を求めたら、出席点などないと言ったとたんに授業に来なくなった連中まで来て、レポートを提出していった。どこからこの情報を手に入れたんだ。産業スパイを送り込んでいるのかよ。腰抜けどもめ。
お前らのレポートなんか読んでやらないし、評価の対象にするわけがないだろう。バカじゃねえの。
あまりに頭に来たので、いままで授業に来なかった学生は今後とも無視するので、よろしくと申し上げておいた。勉強したくない連中に、勉強を教えるなんていうのは私の趣味ではないですから。テストは授業を聞いていないとできないようなものなので、残念ながら君たちの多くは落ちるでしょうね、とも。
いまの学生の8~9割は完全に「市場原理主義」に支配されているように思われる(少なくとも、そのクラスで、授業につねに顔を出すのは2割以下であるのが根拠)。
内田樹氏は昨日の日記の中で、「なぜ勉強しなければならないのですか」や「勉強するとどうなるのですか」という質問を立てること自体が市場原理主義に支配されていることを証明していると述べていた。これは彼の持論であるが、まったくその通りだと思う。
テストで一定の成績を収め、単位を取得できれば、それで大学で勉強をしたという証拠が残る。何を学んだかは問題にはならず、AとかBとかいう形になる証拠だけが残る。それだけを求めるのが市場原理主義である。
だからこそ、TOEICのスコアを上げることに躍起になったり、アメリカのクソ大学に語学留学したくらいで威張るような連中の数が増えるのである。
市場原理主義者の多くは、人間の価値を年収の多寡や肩書きだけで安直に判断する傾向がきわめて強い。自分の頭と体で人間や物事を評価する能力を持たないからである。
そういうステレオタイプに支配された、視野狭窄的な人間を大量に増やしてしまったことが、この日本の経済や政治や教育や文化に柔軟性を失わせ、疲弊させた原因のひとつだと思う。
市場原理主義者というのは、何でも市場に任せておけば、うまくいくと考える楽観主義者である。神様にお任せしておけば、何事もうまくいくと考えていた中世の人間と同じ単純な発想である。
ただ市場や神様に任せておいては、こぼれおちてしまうようなものを一所懸命に拾い上げる努力をもともと人間には課せられているはずだと私は信じるが、その作業は手間がかかるし、骨が折れるので、怠惰な人間は自分でやらずに、人任せにしてしまうのだ。
市場原理主義者は、実際は、そういう怠惰な人間なのである。
彼らは自分の頭や体で考えることをせず、他人が苦労して手に入れたものを黙って掠め取る。
他人に苦労をさせて、自分ではいっさい手を汚さないのである。
まるで万引き犯である。
私はそういう人間は殺したいほど嫌いだ。
今朝も、我が家の前の道路に、タバコの吸殻が落ちていた。ほとんど吸っていない状態だった(ずいぶん景気がいいではないか)。
他人の家の前にタバコを平気で捨てていく連中も、基本的には、万引き犯と同じである。
とにかく、自分の手は汚したくないし、余計な努力をしたくないのである。要するに、自分勝手で、わがままで、甘えん坊のおこちゃまなのだ。
「最近の若い者は云々」といって何でも他人のせいにするオヤジたちも、根本的に、彼らと同じ。
彼らには「当事者意識」というものがない。
この当事者意識のなさこそが、あらゆることに歪みをもたらした根本原因だと私は思う。
今後、この閉塞感を打破するためには、まず当事者意識を復活させることが緊急の課題であると思う。
何事も他人任せにしておけば、うまくいく。お金を出せば、何でも買える。
こういう発想で生きてきた連中こそが、世界の断片化をもたらし、視野狭窄的な人間を増加させてしまったわけだ。
話があまりに脱線し、混乱してしまった。
頭の悪い私にはもう収拾をつけることはできなくなってしまった。
今後、われわれは何をすべきかを、皆さんたち自身の頭と体を使って考えてもらえたら私はうれしいです。